本郷保長(西山保長)

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ひまわりの種をならべてあの夏の恋のカケラを数えなおした

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夏が来る 青い葉ばかりいちめんに広がる路地の桜の死骸
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歯磨きのチューブを搾る指先が昨夜の悪を主謀していた
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録音した朝のラジオを聴く夜はミルクあたため明日に備える

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しにたいとつぶやく春はいつもどおりドクペ飲みほしアニメに笑う

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死なないと約束するよ今日出した新人賞の結果出るまで
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筆者近影(証明写真)


 もう30を超えてくると人生についての可能性や選択肢も現実的なものとなってくるが、たとえばあなたがまだ10代であるのなら、何を目指すのか、色々な中から決めないといけない。
 そんな若者について、およそ2通りの選択肢があると思う。夢を追う人生を選ぶか、生活のために生きる人生を取るか。あるいはこう言い換えてもいい。
 
 ウィキペディアに立項される人生を目指すのか、ウィキペディアに立項されない人生を送るのか。

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世紀末、破滅の予言あったころ生きることなど楽勝だった ――本郷保長


 まだ十代の頃、世界がいつか滅亡するのだと信じてた。ノストラダムスの大予言がそのまま実際になるとは思っていなかったけれど、大きなことが起きるはずだという予感があった。それはほぼ十代が90年代であるという時代の空気感もあったのかもしれない。『新世紀エヴァンゲリオン』が放送される前から、僕は日本で内戦が起きたことのことを想像していた。今、生活している場所が戦場になるのではないか、その妄想は日常から逃れることのできる方法で、限りなく続く退屈な日常を破壊する希望になっていた。終わりなき日常は確実に終わる、そう信じて疑わなかった。
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画像出典:Flickr/撮影:しゃれこーべ

「援助交際」と前インターネットの世界

 1996年の新語・流行語大賞。「援助交際」という言葉がトップテンに入賞した。その時、僕は田んぼに囲まれた学校に通う高校3年生だった。
 テレビや雑誌は女子高生ブームの真っただ中で、ルーズソックスを履いた女子高校生がメディアに登場し、身の回りについて語っていた。一方、僕の高校ではルーズソックスを履いた女子は一人もおらず、援助交際の噂も流れず、女子高生ブームはまるで外国の流行のようだった。
 
 僕がインターネットに書き込みを始めたのは1998年からで、だから女子高生ブームはインターネットが普及する直前のムーブメントだったと思う。すべての情報はテレビ局と出版社から伝えられ、当事者の「生の声」に直接触れることは困難だった。たとえば2000年代半ばの「アキバブーム」の場合、当事者の言葉はインターネットに溢れており、メディアで流れる言説についての当事者からの「ツッコミ」も簡単に得ることができたのだった。
 
 つまり、女子高生ブームは当事者性のない、完全にメディアによる自作自演の空虚なムーブメントだったのではなかろうか。そんなことを思ったは、村上龍の『ラブ&ポップ―トパーズⅡ―』を今さらながら読んだことであり、かねてからの違和感を感じたからだった。

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(撮影:本郷保長、以下すべて同じ

 物心ついた時からジャスコがあった。そのジャスコは国際秘宝館の隣にあって、家からは自転車で10分くらいの距離だった。ウィキペディアによると、僕が3歳の時に開業した店らしい。高校を卒業して町を出るまで、ジャスコは日常の風景だった。

 90年代まで、ジャスコはちょっとしたショッピング・センターではあったけれど、決して〈おしゃれ〉な場所ではなかった。ジャスコで服を買うのは中学生まで、なんとなくそんなフレーズが頭に浮かんだし、実際、高校生になると名古屋のファッションビルで買い物をするのが、クラスメイトにドヤ顔できる要素になっていた。食料品や日用品、あるいは大衆的な書籍やCD、普段着。ジャスコは生活の延長線上にあって、それほど背伸びする場所ではなかった。
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