上原周子

Sunrise on the Rapeseed field 花田早晨


---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

13---"食事会前夜"より続く)
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Food


---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

12---"開けゴマ!"より続く)


13--- "食事会前夜"


閉店後の後片づけも終わり、夜七時半を過ぎた。けれど、いつもの食器洗浄店の店員はやって来なかった。私はそれを気にかけながら、なんとなくうわの空で、ほとんど具の入っていない素麺片を盛りつけた皿を叔母と一緒に行ったり来たりしながらテーブルに運んだ。そのうち父や叔父、兄、ライヒがモスクから戻ってきて、一緒に食事の用意を手伝ってくれた。

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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

11---"叔父の家"より続く)

12--- "開けゴマ!"


昨夜は午前2時過ぎに叔父の家から帰ってきたせいで、朝から私は頭がぼんやりして身体もまったくシャキっとせず、お茶をこぼしてしまったり、お碗を落として割ってしまったりしたけれど、兄やライヒはいつもと変わらず注文を受けては、せっせとリズム良く牛肉麺を作り続けていた。

昼の混雑を過ぎ、みんなで昼食を済ませた後、母と叔母、私は明日の夜、店で行う食事会の買い出しに出た。明日はハラブが戻ってくるし、明後日は薬草を摘みに行くからということで、関係者を招いて食事会を催すことになったのである。結果、総勢20名ほどが食事会に参加することになった。イマームも食事会に来てくれることになり、これは名誉なことだと父や叔父は俄然やる気を出し、食べきれないほどの料理をふるまうよう母や叔母に言いつけた。

八百屋の店先に陳列された赤子の頭ほどもある大きな馬鈴薯を手にとり、叔母は憮然とした表情で「食事会なんてまったく面倒くさいよ」とぶつぶつ言った。その横で母が「ハラブが帰ってくるお祝いでもあるんだし」と叔母をなだめながらトマトを手に取っていた。
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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

10---"伯父の申し出"より続く)

11--- "叔父"の家


店の前まで来ると兄と私、ライヒは店には戻らず父や母と別れ、そのまま二軒先にある叔父夫婦の店へ向かった。「今夜ハラブからインターネットで連絡が来るから、みんな来ないか」と叔父が誘ってくれたのである。ハラブは叔父夫婦の息子で兄と私の従弟にあたる。私達も久々にハラブと話したかったのでお邪魔することにした。

叔父がズボンのポケットから鍵を取りだして錠を開け店の中に入った。そのあとを叔母、兄、私、ライヒの順で一列に電気のついていない真っ暗な店内を進み、店の一番奥にある階段を上り二階の母屋へと向った。叔父が母屋に入って居間の電気をつけると、五人で上るにはあまりに細くて頼りない階段の足元まで灯りが届き、幾分ほっとした。
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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

9---"来客"より続く)

10--- "伯父の申し出"


話し終えると、伯父は父を見た。父は、殻が堅くてなかなか割れない南瓜の種をこじあけようと格闘していたせいで、伯父の視線が自身に向けられたことに、はじめは気づかなかった。しかし、テーブルに座っている人全員の視線が自身に向けられていることにそのうち気づき、格闘するのを止めて口の奥から種を取り出すと、茶碗の横にそっと置いた。

ライヒが大きなくしゃみを連発したあと、不快な音をたてながら鼻をすすったので、私は席を立ち、レジスターの脇にある売り物のポケットティッシュをライヒに差しだした。彼はそれを受け取ると、また不快な音をたてて思いきり鼻をかんだ。母はそれを来客に申し訳ないと思ったのか、ライヒのことを「この子、風邪でねえ」と伯母に言うと、伯母は愛想笑いを浮かべて何度かうなずいたが何も言いはしなかった。伯父と同様、おそらく伯母も父が何か言うのを待っていたのだろう。けれど、父は黙ったまま茎茶を一口飲んだあと下を向き、前方を見たかと思えば顔を上にあげ、右手で顎をさすった。そして、やはり黙ったままだった。
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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

8---"きのこ雲"より続く)
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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

7---"女性の生き方"より続く)

8--- "きのこ雲"


店に戻ると家族や叔父夫婦のほかに客人もいて、新種の薬草の話で盛り上がっていた。彼らは、今回協力して薬草を摘みに行く牛肉麺屋や肉屋の人たちらしかった。テーブルの上や周りには、食べた後に残された、西瓜や向日葵の種殻が散乱していた。私は翌朝、それらを綺麗に掃除しなければならないことを、ひどく面倒に思った。

なんとなく喉が渇き、私はヤカンから茎茶を湯のみに注いで、一気に飲み干した。店を見渡すと、みんなが座っているテーブルから少し離れたところに、ライヒが小さく座っていた。話の輪に加わるわけでもなく、みんなの話も聞いているのかいないのか、とにかくぼんやりとしていた。私は彼の隣に座り、小さなため息をついた。
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1:レポート

SARAJEVO NOW/さらえぼNOW』より続く

ローカルの「麺」が無い? 

■ ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに滞在して2日目、「おかしいな」と思い始めた。そういえば、レストランや食堂で『麺』を使った地元の料理を全く見ない。パスタの店はある。試しにアラビアータを注文して食べた。しかし、日本のそれと変わったところのないアラビアータだった。イタリア料理の域を出たものではなかった。

■ 私が「ボスニアにも当然『麺』料理はあるだろう」と考えたのには、次の理由がある。


  1. 「麺」はシルクロードを伝って普及したはずだ。
  2. シルクロードは中国の西安とローマを結ぶ貿易路。バルカン半島もシルクロードと無関係ではないだろう。
  3. ボスニアはオスマントルコに支配されていた歴史がある(15C後半-19C後半)。その時代に東方の「麺」文化が流入した可能性があるのではないか。


■ ということから、中国の牛肉麺や中央アジアのラグマンのような料理が、当然ボスニアにあるだろうと考えた。また、ボスニアにはイスラム教徒が多い。そのため、『麺』を使ったハラ-ル料理が食べられるのではないかとワクワクしていた。しかし、実際に私が行った食堂では見なかったし、いくつか路上に置かれていた食堂のメニュー表の中にも、ローカルの『麺』料理を見つけることはできなかった。
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1:NOW


サラエボ、イメージと現実と

■ 「SARAJEVO NOW」これは、サラエボにある歴史博物館の外壁にかけられていた垂れ幕に印字されていたものである。2017年6月末、私はボスニアの首都サラエボに6日間滞在して様々な場所を訪れた。なかでも最も強い印象を受けたのが、この博物館であった。

■ サラエボを1人で旅した理由はなんだったろう。正直、はっきりと言えるような理由はない。また、ひとつではない複数の理由が重なり、私はボスニアに飛ぶことに決めた。

■ サラエボという土地の名をはじめて知ったのは、高校時代である。90年代半ば、テレビのニュースではサラエボ内紛の惨状が連日伝えられた。民族浄化、ジェノサイド、大量虐殺という言葉もそこで知った。その連日の報道により、私はサラエボに対して「民族紛争」というイメージを強く持つこととなった。そして、サラエボに実際に行ってみるまで、そのイメージが払拭されることはなかった。

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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

6---"友達"より続く)

7--- "女性の生き方"


「私達も結婚した方がいいのかな」と、ズフラは唐突に尋ねてきた。彼女はいつも笑っていた。しかし、それは表面的なものではなく、笑いたくて笑っていることが私にはわかっていた。だからこそ、彼女の笑顔は他人に求めるところがなく、逆に私が落ちこんだときには元気を与えてさえくれた。私は首を横に振り、「まだしない、するわけない」と答えた。ズフラは数回頷いて「私もしたくない」と言い、インターネットを通じて知り合った北京の大学に通う女の子の話をはじめた。
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