新宅睦仁

死ぬほど久しぶりに公募展で入選しました。
 
…が、下記で入賞・入選者等が発表されているんですが、なんか微妙。 
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もう一ヶ月以上前のことだが、広島県立美術館地下講堂にてChim↑Pom(チンポム)のトークショーがあった、ので、行った。


アート・アーチ・ひろしま2013

Chim↑Pom×アーサー・ビナード(詩人)×東琢磨(音楽・文化批評家)×ゲストという構成であった。 

まず、超絶出不精のわたしとしては奇跡の外出である。
夕方の18時からだったとはいえ、暑さが尋常ではなかった。別にここまで汗かいて行く価値なんてないんじゃないのかとも思ったが、なんとかがんばって行った。  » すべて読む
土曜日のことである。

昼下がりから英会話の授業を2コマ受けてその帰り道、お好み焼き屋に寄った。
16時ごろという中途半端な時間もあって、店内に客は皆無であった。店員が調理する鉄板の真正面であるカウンターに腰かけ、肉玉そば(つまりふつうの広島風お好み焼き)を注文した。
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小いわし30〜40匹がまさに雑魚寝でパックに詰め込まれて200円。
そこに黄地に赤文字の半額シールがぺたり。

だから100円。

30匹としても、1匹あたり3円あまり。それが小いわし一匹の命のお値段である。 

お店の閉店時間から考えて、ここでぼくが買わなかったから小いわしはゴミとなるであろう。救わねば、という慈悲の心で、買ってあげた。といってもすでに死亡しているが。 

小いわしの死骸を買って、とぼとぼと帰る。

ものは言いようで、死骸なんて表現をすると途端にグロテスクになる。 
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なにか小説を書きたいから小説を書こうと思う。

と、こう書き出した時点で、いわゆる知識人は、ああメタ小説かと思うであろうし、たいていの人はメタ小説、はてな、となるであろう。 

小説を書こう小説を書こうと思い立ってから、おおよそ十年が過ぎた。いや、正確には八年と十ヶ月。人間は、すぐに五年とか十年とか区切りをつけたがる。おそらく、人間の一生はあまりにも漠然としてつかみどころなく過ぎ去って、つまり死んでしまうので、ほとんど無理やりにでも区切りをつけ生を確かめようとするのだろう。なんて書くと、ちょっと小説らしい感じがする。というか自分がその気になる。こういう感じの描写を、要所要所に織り交ぜて、それっぽく書き進めていきたいと思う。 

ああそうだ。ちなみにぼくは、小説の勉強はけっこうした。谷崎潤一郎の、文章の指南書として名高い文章読本とかも読んだ。ほかにも、たくさん読んだ。それで、自分では勉強したと思っている。だからまあ、ぼくの文章力は、ふつうの人よりは高いと考えてもらってかまわない、というか、この小説の終わりまでにはそれを証明したい。というか、あなたがこれを、紙媒体にしろweb媒体にしろ、一般的な商業流通を経て読んでいるのであれば、きっと何しかしらの形で証明されたということなので(絶対に自費出版なんかしないから)、ぜひとも期待して読み進めていただきたい。 
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先日、毎日新聞のコラムにこんなのがあった。 


…幕末・維新のリーダーについても、池波(小説家の池波正太郎※引用者注)さんは興味深い批評をしている。 

「西郷隆盛は人物も立派なのだが、何しろ、見るからに偉人の風貌をそなえているから、することなすこと、すべてに信頼をもたれる。
もしも西郷隆盛が『きりぎりす』のようにやせた男であったら、あれだけの仕事をなしとげられなかったであろうし、上野の山に銅像もたたなかったであろう。この点、大久保利通は大分に損をしているといえそうだ。
人間というもの、姿かたちも大切なものなのである(『人斬り半次郎』)」

「あの巨体、あの重々しさ、堂々たる、そのくせ少しも力まずしてそなわった威厳など天性のすばらしさは、西郷の声や言葉を『真実』のものとした」(同)とも礼賛した。

2013年05月22日 サンデー時評:「歌ったり、はしゃいだりしないほうが」
http://mainichi.jp/opinion/news/20130522org00m010003000c2.html
 


「人間は 見た目じゃないよ 心だよ」とはよく言ったものだが、そうは言っても人間に目が付いている限り、文字通りまず目に付くのが見てくれなのだから仕方がない。 
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前に訪れたのはいつだったか。
おそらく陰毛も生えていなかったころではないかと思う。 

入館していないのも含めると、最後に行ったのは高校の時分、卒業アルバムのための集合写真の撮影だった、気がする。

広島平和記念資料館である。
ついつい原爆資料館と呼んでしまうが、広島平和記念資料館が正式名称なのだ。 
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先日のクチャクチャグァポグァポの件の続き。

棺桶に片足突っ込んでいる人間に文句を言ってもしょうがないので、大人な振る舞いで解決することにした今日の朝。 すなわち、食べる時間を意図的にずらす。

大人は不快なことに対して直接訴えない。
ただ立ち去るのみである。

祖母はいつも7時30分くらいから朝ごはんを食べる。そして30分はごはんを食べている。そんな情報を母より入手した。ならば8時からごはんを食べよう。そうすれば、もう不快不愉快な朝ごはんタイムとはおさらばである。

起床。絵を描いて英語の勉強をして、7時30分。それから、ランニングにでかけた。ランニングは約20分。シャワーを浴びて約10分。ちょうど8時になる。完璧なタイムスケジュールである。心なしか、ランニングの足取りも軽い。気のせいか、瀬戸内海はいつにも増して穏やかである。

爽やかなハァハァを漏らしながら帰宅した。

さて、シャワーを浴びてごはんを…

…と思っていると、ちょうど祖母がごはんをよそっているところであった。
祖母はぼくを見て、「おはよう」と笑ったが、ぼくは声を失い、引きつった。 
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ぼくの朝は祖母の咀嚼音から始まる。

だいたい、7時半。

ぼくの生活リズムでは、朝起きて絵を描いてランニングして朝ごはん、という時間。
その時間が、祖母の朝ごはんと奇しくも重なるのだ。 

祖母のことは、別に嫌いでも好きでもない。
学会員なのでやや池田大作信仰が過剰だが、おおむね善良ではある。
少なくとも人に恨まれ疎まれるような性根の持ち主ではない。 

しかし、問題は咀嚼音である。
言うまでもなく、咀嚼音とは人が食べ物を噛むときの音である。

祖母は幼いころから耳が悪く、そのせいか昔から咀嚼音が強い。
最近はほぼ聴覚を失ってしまい、全聾に近くなり、正確にコミュニケーションをとるには筆談の必要があるくらいだということもあり、さらにその咀嚼音が悪化しているようなのである。祖母の食事中、間断なく響く。

クチャクチャグァポグァポ。
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"Next stop is Atomic Bomb Dome"

以前にもツイッターでつぶやいたが、めちゃくちゃ違和感がある。
広島の路面電車(広電という交通機関であります)の車内アナウンス。
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