キム スギ


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"スイス、チューリッヒの床屋" (撮影:gato-gato-gato.) 
【引用】CCライブラリー http://cc-library.net/010003407_free-photo/


 スイスに来てそろそろ2年になろうとしている。人種差別・直接民主主義・徴兵制などのスイス事情について書くよう依頼されてこの文章を書いているが、率直に言ってこの2年はこちらの生活に慣れるのに精一杯で、スイスについて何かを知り得たと言うには程遠い状況と言わねばならない。またどれだけ多くの人がアメリカやフランスやドイツや中国ではなく、スイスに興味があるのか心許ない気もしている。でも逡巡しているだけでは何も始まらないので、自分の実体験を含めながらこちらの事情について素描を試みたいと思う。今回は1回目ということもあり、スイスという国の軽い紹介という形にしたい。

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その場を立ち去らずにまず聞くがよい、ここにかくも謎のごとき明朗さをもって汝の眼
前に繰り広げられるこの同じ生について、ギリシアの民衆の叡智が何を語っているかを
――ニーチェ 




 本論の狙いを一言で述べれば、ある特定のパースペクティヴから『悲劇の誕生』を読む、ということである。そのパースペクティヴとは、「道徳をあみ出さなくては生存は不可能であり、しかし道徳をあみ出せばそれが生存を断罪して止まない。この生=二律背反というニヒリズムはいかに解決できるか」という視点であり、言い換えれば、「一方では無意味性に反対し、他方では道徳的価値判断に反対すること」である。「無意味性」とは無価値性のことであり、いわゆるニヒリズムである。ニーチェによれば、「道徳的価値判断」もまたニヒリズムに他ならない。この二つのニヒリズムに陥ることなく、生を肯定する思想はいかに可能か、この答をニーチェの悲劇思想に探るのが拙論の主眼である。したがってここでは、『悲劇の誕生』の一般的理解や内在的読解などは目指されない。私の関心は「ニヒリズムの超克」だけにあり、このパースペクティヴからの再構成のみが目論まれる。それではどうしてこの問題の解決に、ニーチェを読むことが特権化されるのか?ここでは、無神論論争を簡単に振り返ることでニーチェのニヒリズム概念の射程と意義を確認し、『悲劇の誕生』の読解に取り掛かることにしたい。  

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