長浜さつき


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(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

高山病対策

今回のトレッキングは標高の高いところを歩く。キャンプ地の標高はどこも4,000メートルくらいで、12日間のトレッキングの間に5つの峠を越える。一番高いのは8日目に超える予定になっているシンチェラの峠で、標高は5,000メートルもある。十分な高山病対策をする必要があった。

高山病というと、頭痛やめまい、吐き気などの症状が思い浮かぶけれど、重症になると死亡することもあり、状況によっては緊急下山や病院での手当が必要になる。ジャムソーがトレッカーの高山病に気を使うのは当然だった。ブータン到着翌日は高山病対策で高地で身体慣らしのハイクをすることになった。

私がタクサン僧院へ行くのはいやだと言ったので、チェレラの峠が行き先になった。チェレラの峠は標高3,899メートルだ。峠近くまで車で行って、峠の周辺をハイクするという計画だ。 » すべて読む
137-1
ブータンのビザ書類に記載された旅行日程


ブータンのあとで】ブータンについて---26(完)から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

ネテンへのメール

2014年のブータン訪問から、一年半が経とうとしていた。4月の上旬、私はまたカリフォルニアから飛行機に乗って、ブータンへ向かっていた。

二匹目のドジョウを狙うのは愚かなことで、そんなことはしないように日頃から気をつけている。だからブータンでの日々を懐かしく思い出すことはあっても、再訪については慎重に考えていた。でもいつか、また行きたいという気持ちと、再訪するのはばかげているという二つの考えのあいだを、行ったり来たりするのに疲れてしまった。

迷っていることに疲れるくらいだったら、「もう一度行く」ということにしてしまったほうがいい。
昨年の初夏、そんな結論に辿りついた。 » すべて読む
棚

その時に、その場所で---5】から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


1月1日(金) 未明 埼玉県越谷市


29日からあとは人と会う予定は入れていなかった。それまでも片手間に両親の家の掃除をしていたけれど、年末の3日間は掃除と片付けに専念した。

高齢者の住まいはどこでもこんな感じだと思うが、同じようなものが家の中のあちこちにばらばらに収納してあり、捨てるしかないような空き箱や古いプリント類が、手の届きやすい「一等地」を占領していた。いつか使うから、と適当な場所に放り込まれて、そのままになっているものも山ほどあった。捨ててもいいものは処分して、まだ使えそうなものは整理して収納し、父母が探すときに困らないように大きなラベルを貼った。

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上野原

その時に、その場所で---4】から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


12月26日(土) 昼 栃木県宇都宮市


父の兄弟が多いので、私にはずいぶんいとこがいる。でも私の住まいは海外で、親族が集まる葬式にも結婚式にも行かないので、彼らとはもう何年も会っていない。2~3年前、親戚のお葬式に出た私の父が、従姉のメールアドレスを聞いてきた。6歳年上の従姉で、子供のころはお正月に祖父母の家で会うのが楽しみだった。私は一緒に遊んでいるつもりだったけど、「面倒を見てもらって」いただけなのかもしれない。

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ランプ

その時に、その場所で---3】から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


12月24日(木) 昼 埼玉県越谷市


物置に保管してあった古い持ち物の整理が終わったので両親の住まいの掃除に取りかかったが、昼食は市内に住んでいる古い友人と食べた。知り合ってから今年で40年になる。背が高くて色白で、目のぱっちりした彼女に、私はあこがれていた。別々の中学校に通ったけど、高校は同じだった。その友だちと、駅の近くのファミリーレストランへ行った。

初めて入ったそのレストランには、ランチのセットがある。質素なメニューで量もそんなに多くないが、普通においしいし値段は魅力的だ。平日の昼だからなのかもしれないが、店内はひとりで食事しているお年寄りや、おとなしい感じの女子高校生のグループが目立った。店員さんたちはその高校生たちよりほんの少し年上の、若い人が多かった。従業員募集の張り紙があり、外国人の方、歓迎します、と書いてある。

こういう時代の日本を、私はよく知らない。

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新宿ルミネ-3

その時に、その場所で---2】から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


12月22日(火) 昼 東京都世田谷区


静嘉堂文庫美術館へ行こうということになり、両親と3人で出かけた。両親の住まいの最寄駅から直通電車利用で、乗り換えなしで二子玉川まで行ける。乗車時間は長いけど、座ったままで行けるので楽ちんだ。両親はもう階段の上り下りはつらいので、彼らと出かけるときは私もいつも一緒に駅のエレベーター利用する。二子玉川の駅にもエレベーターがあったが、それはいつも私たちが利用する東武線や地下鉄のエレベーターと比べるとずいぶん大きかった。

大きいのには理由があった。
ベビーカーを押した母親が、とても多いのだ。

東武線のエレベーター利用者はお年寄り、ベビーカー、大きな荷物を持った乗客の比率が1:1:1くらいだが、二子玉川はベビーカーが圧倒的に多かった。

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恵比寿-1
Photo by Takashi Nakamura,  retouch by Ray To-ma

その時に、その場所で---1】から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


12月20日(日) 昼 東京都渋谷区

この日は母は用事で外出してしまい、父とふたりで山種美術館まででかけた。地下鉄の恵比寿の駅で降りて地上に出ると、私が覚えている恵比寿とはまったく別の光景が広がっていた。美術館までの地図をプリントして持参していたけど、東京のこのあたりの道は父がよく知っている。日曜日だったこともあり、駅から少し離れると交通量は少なくて静かだった。

村山華岳展を観に行ったのだが、同時代の画家たちの作品の展示もあり、わかりやすくてきれいな作品が多くて満足感があった。村山華岳の、描くことに精神性を見出す姿勢が印象的で、数年前に見たアントニオロペス展を思い出した。美術展はあまり混んでいなくて、父と一緒に見学するのにちょうどよかった。
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クマ
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


今回の一時帰国が特別というつもりはなかったのです。

長年海外に住むあいだ、度々一時帰国していました。
でも最近、私にとって一時帰国の意味は大きく変わってきました。

6~7年前までは、友人たちと会って楽しく過ごし買い物をするのが一番の目的でした。でも今は両親が高齢になったので、家族と過ごす時間の方が大事になりました。高齢者の生活感覚や生死感というのは独特で、短期間でも一緒に過ごしていると、私も影響を受けるようになります。慌てることはないんじゃない、と言われそうだけれど、自分の時間も限られていることも意識するようになりました。



「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。」

マルクス・アウレーリウス(『自省録』、岩波文庫、48頁)
 

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136-2
サクテンの村のネコ


【出発の朝】ブータンについて---25から続く

(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


1

帰宅のための長い旅のあいだも、日記を書き続けた。そうする必要があった。



「無理だ、なんて今から思ったらダメだ。明るく元気に輝いて生きることが私の義務だと思うのは、荷が重すぎる。私が幸せであることを願っている人もいるのかもしれない。そう信じよう」

「この旅が自分を変えると、過大な期待をするのは強欲だ。ではどうすればいいのだろう。かけがえのない経験、お金を払ったという事情があるにせよ、友情を味わいながら日々を過ごした。こんなに幸福なことがあるだろうか。誰かを愛し、友情を分かち合うこと。それが別の誰かを幸せにするだろうか」
 


バンコクに一泊して、翌日マニラでロサンゼルス行きの飛行機に乗る頃には、旅が終わり帰宅するということを納得できるようになっていた。時間の経過には、そういう効果がある。金曜日の夜、旅の一歩を踏み出してからちょうど3週間後、ただいま、と言って誰もいないアパートのドアを開けた。

私は家に帰った。
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ブータンでただ一つの国際空港、パロ空港

(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

最後の歌

サクテンに連泊した時ほどではないが、明け方に体調を崩して、薬のお世話になった。そんなに疲れているとは思えなかったが、情緒の方がへとへとなのだろう。ブータン入国以来、いやカリフォルニアの自宅を出発以来、いろんなことがありすぎた。

気持ちのよい寝覚めではなかったが、予定通りに出発の準備をして、9時にホテルの車寄せでジャムソーとネテンを待った。ふたりともまだ来ていなくて、ポーチに置かれたテーブルで日記を書いた。

しばらくすると、向こうから二人そろってこちらへ歩いてくるのが見えた。彼らは「食べるから」という仕草をして、そのままキッチンへ続く階段を上って行った。昨夜、「急ぐことはないから」と言われていたので、こんなことじゃないかと思ったが、案の定だ。でも本当に急ぐ必要はないので、テーブルで日記を書き続けた。

アジア系の団体さんを乗せたバスがホテルに到着した。早朝のフライトでパロ空港に到着したのだろう。ホテルの建物のブータン風の外装や庭園に感激したツーリストたちが、楽しそうに記念撮影している。

もしグループで旅行したら、私もあんなふうに振舞うのかなあと、ぼんやりと彼らの行動を眺めていた。

そのあいだ、ホテルの従業員たちが色とりどりのラゲッジをバスから積み下ろす。荷物を下ろすと、ツーリストたちはバスで出発した。私が昨日見学したパロのゾンか、それともタクサン僧院へ向かうのだろうか。 » すべて読む
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