長浜さつき


Long Beach21-Edit

【ロングビーチのマリアさま --- 04】
から続く


ふたたび長堤聖寺


日曜日の朝、いつものように早起きして海岸沿いの遊歩道を走り、その帰り、マリアさまに立ち寄った。今日は長堤聖寺で一般向けの行事があるはずだけど、どんな人が来るんだろう?朝の7時半をまわったあたりで、長堤聖寺の入り口に東南アジア系の男性がふたり腰かけて、世間話をしている。英語ではない。

 

入り口のドアは開いていて、中が見えた。思ったより明るい。話している男性たちに聞いてみた。



「一般向けの行事があるんですか?」

「あるよ。今日は阿弥陀経だけど、参加していく?」

「今日でなくて、また今度このお寺は、何語で話をするんですか?」

「ここは中国のお寺なんだ。でも中国語とベトナム語と英語で話してるよ」

「あなた方が話している言葉は、何語なんですか?」

「ベトナム語」


英語が通じるなら、一度来てもいいかもしれない。そう思いながら、長堤聖寺を後にした。 » すべて読む
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ロングビーチのマリアさま --- 03】から続く


新聞記事

長堤聖寺の場所にあったカルメル会修道院については、いくら調べても、結局よくわからなかった。あきらめて、サンタバーバラに移転したあとの彼女たちに関する情報を探した。サンタバーバラにもPoor Clare Colettine Nuns of Santa Barbaraという女子修道会があり、もしかしたらロングビーチから移転した修道院ではないかと思ったが、そうではなかった(彼女たちのウェブサイトに記された沿革には、1928年にカリフォルニア州オークランドで設立とあった)。 

その新聞記事は、上から何番目だっただろう。

サーチエンジンの検索結果に表示されたサイトのうち、カルメル会と関係ありそうなものを上から順に見てみたのだった。サンタバーバラの地域紙らしい、Santa Barbara Independent という新聞社の、2014年の記事だった。
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ロングビーチのマリアさま --- 02】から続く


代理聖母

その朝は、いつもよりビーチに行ったのが遅かった。前日の夜ひどく暑くて、よく眠れなかったのだ。海岸でランニングしたあとマリア像のところへ行ったのは、9時を回ったあたりだった。週末の朝で、私のほかにも何人かお参りしている人がいた。

 

「お参りする」といっても、実のところ、私はお祈りはしていない。キリスト教徒ではないから祈りの文句を知らないし、願い事をするのも何か違うかなと感じている。

像の前で瞑目すると、朝の空気の冷たさと肌に当たる陽射しの温もりを同時に感じ取ることができる。こういう時、生活の些細なことをあれこれ考えてもしょうがない。

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Long Beach08-Edit

ロングビーチのマリアさま --- 01】から続く


お参り

ある朝、海岸に延びる遊歩道をランニングしていると、散歩中だろうか、黄色い僧衣のお坊さんが歩いていた。目が合ってしまったので、ハロー、と話しかけた。

お坊さんは片言しか英語が話せない。
それでも、そのお坊さんが『お寺』の近くに住んでいることはわかった。
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Long Beach



ロングビーチのマリアさま

彼女をめぐる信仰の風景、あるいはささやかなスキャンダル

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仕事を終え、帰る馬たち。ジョモラリキャンプへ向かうトレイルで。

【旅の終わり】ブータンについて---38から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

再びの帰宅後に


バンコクに一泊して翌日は台北行きのフライトに乗り、台北で乗り換えてロサンゼルスへ向かった。フライトは長く、体力の落ちた身体にはきつかった。火曜日の深夜、予定通り帰宅した。

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出発前日に泊まったホテルから見える、首都ティンプーのメモリアルチョルテン。
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

下界に戻る


本当は、ピックアップを運転するギレが夜のうちにここガサへ到着する予定になっていた。ところが土砂崩れで道路が不通になってしまい、かわいそうに車中泊しなければならなかったようだ。翌朝になっても道路が開通したのかどうかわからなかったが、昨夜食事をしにきていた若者が運転する大きなトラックに乗せてもらい、出発することになった。

昨晩、マイラは馬を連れてパロに戻る、と聞いていたけれど、出発するトラックにはマイラと9頭の馬たちも乗っていた。ジャムソーによると、馬と一緒にパロまでトラックで帰れるようにしたのだという。詳しくは聞かなかったけれど、ジャムソーがネテンに、パロへのトラック輸送の費用を出すように交渉したのではないかと私は思う。オペレーターが個人的な知り合いだとそういうこともできるかもしれない。ガサからパロまで車でも丸一日かかる距離だ。トレッキングルートとは違う歩きやすい道があるのだろうけど、馬を連れて歩いて帰るんじゃ大変だ。ネテンの取り分は減ってしまうのかもしれないが、良かったなと思った。

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(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

最終日の朝


朝。

雨は上がったけれど、霧が深い。

交易所の建物の外に大きな流しがあり、ホースからいつも水が出ていた。きっと山の水をそのまま引いているのだろう。そこで顔を洗った。深い森の中に送電線の鉄塔が立っているのが見えた。

きょうはトレッキングの最終日だった。朝食をすませて、9時過ぎにコイナを出発する。待っていた荷物が到着しなかったのか、昨日話をした男性がまだ滞在していて、私たちを見送ってくれた。

「Be stroing, be heatlhy」


と彼は言った。それは単なる挨拶などではなく、文字通りの意味だった。病気になってから、それをずっと実感させられている。ここでは、強く健康でなければ生きていけない。

でも、私は強くなければ健康でもなかった。思わず考え込んだ。

こんなことで、生きていけるのだろうか?

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トレッキング・チームと

【ラヤへ】ブータンについて---35から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

2階の部屋で


民家に戻ると、はしごのような階段で2階へ上った。敷居や扉がやたらに多い建物で、懐中電灯の光を頼りに壁につかまりながら歩くあいだ、あちこちでつまずいた。

通された部屋は、訪問客を泊めたり普段は使わないような家財をしまうのに使っているようで、私はこの部屋で寝ることになった。部屋の隅にはウレタンの入ったマットレスやブランケットが積まれている。そのマットレスを一枚借りて床に敷き、上に寝袋を広げた。チュンクーが湯ざましの入った魔法瓶を持ってきてくれた。チームのみんなはこの部屋の真下にある部屋を使うのだと教えてくれた。

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(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

伝言


朝になりヤク飼いの家にジャムソーがやってきた時には、悪寒と発熱で身動きできなかった。

6時半出発なんて、到底無理だった。
発作的な高熱がおさまるのに、2時間くらいかかるんじゃないかと思った。

ここから終点のガサまで、まだ3.5日分の道程が残っていた。

ガサまで行かないと、自動車の通れる道はない。トレッキングを中断して車で移動する、という選択肢はないのだ。状況によっては予定通りに帰国できないかもしれない。 » すべて読む
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