私が上京したのは1970年の4月だった。その上京については、当時の『読書人』か『図書新聞』に、過激な関西の高校生アナキストが東京へ跳ぶというような伝説的な記述があったが、まずは早稲田のアナキストが住む池袋の一軒家に投宿した。
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千坂恭二
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夢の中の誰なのか分からない女性
- 2012年06月12日 16:53
- エッセイ
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夢と現実しくは喪失と悲哀
- 2012年06月10日 12:59
- エッセイ
つい今しがた目が覚めたが、昨日からほぼ、ぶっ通しで20時間以上は眠り続けていた。むろん20時間以上も眠り続ける身体上の必要があったわけではない。あえていえば、眠り続けたいという心理的な理由によるのだろうか。だから人間が必要とする睡眠時間を除けば、残りは単に惰性で眠り続けた惰眠ということになるかもしれない。
私は子供の頃から趣味は睡眠と思うくらい眠ることが好きだった。理由は、この現実は偽りであり、いずれ、そのことは明らかとなるだろうという漠然とした思いだった。この思いは、後に読むことになった埴谷雄高の『死霊』の言葉を借りていえば、私なりの「自動律の不快」によるものだった。つまり、子供の私は、私が私であることが不思議であり、理由が分からず、それは何なのかといつも思っていた。そのため、しばしば、意識が脳裏の中で遠くに退き、言葉を紡ぐ感覚が崩壊したようになり、自分がいる今の現実がガラガラと崩れ、ほんの一瞬だが記憶喪失のような状態になることがあった。そしていずれ私は、あるいは私という意識は、この私ではなく、現時点では誰かとしか言い得ない誰かと一体になるだろうと朧気に考えていた。
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私は子供の頃から趣味は睡眠と思うくらい眠ることが好きだった。理由は、この現実は偽りであり、いずれ、そのことは明らかとなるだろうという漠然とした思いだった。この思いは、後に読むことになった埴谷雄高の『死霊』の言葉を借りていえば、私なりの「自動律の不快」によるものだった。つまり、子供の私は、私が私であることが不思議であり、理由が分からず、それは何なのかといつも思っていた。そのため、しばしば、意識が脳裏の中で遠くに退き、言葉を紡ぐ感覚が崩壊したようになり、自分がいる今の現実がガラガラと崩れ、ほんの一瞬だが記憶喪失のような状態になることがあった。そしていずれ私は、あるいは私という意識は、この私ではなく、現時点では誰かとしか言い得ない誰かと一体になるだろうと朧気に考えていた。
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