西田 杏祐子



凡例

この連載2014年にÉcole Nationale Supérieure d’Arts de Paris-Cergy
西田杏祐子が提出したマスター論文に加筆訂正を加え、自己邦訳したものである。原題および邦題は下記の通り。各回の引用文献はその都度、末尾に記す。

(原題) "La fabrique du passé : réflexions sur le photographique" 
(邦題) 『過去を造る―写真的なものについての考察』



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大変ご無沙汰しておりました。

2014年冬に大学へ提出したメモワール(マスター論文)の日本語バージョンを書いていきたいと思います。論題は下記のようなものです。

(邦訳) 『過去を造る―写真的なものについての考察』
(原題) "La fabrique du passé : réflexions sur le photographique"

"Fabrique" という言葉は工場あるいは小さな工房のことを示しますが、製造や拵えることといった意味もあります。しかし製造だとインダストリアルなニュアンスが出てしまいどうもしっくり来ない部分もあり、悩んだ末に動詞にしました。このような感じなので、日本語タイトルは別のものに変更されるかもしれませんが暫定的にこうしておきます。

内容については、そのまま翻訳というわけではなくブログ形式に合わせたり、加筆訂正したりする部分もありますが、大筋に変更はありません。
 
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”マイクロフィッシュ”

デジカメやスキャン、ハードディスクなどの記録媒体にほぼどんな情報も収められる今日では、普段の生活で見かけることはないだろう。図書館などで、電子化され損なった程度に古い新聞記事を閲覧する時位しか利用する機会を思いつかない。

テキストやイメージなどの画像情報を縮小する試みは写真の発達と共にあった。
複数の情報をなるべく小さくして纏め、離れた場所に送し、そして読む際には拡大展開するという情報伝達システムは19世紀の中ごろに開発され、発展した。写真を極小サイズへ変換することに成功した発明者はフランス人写真家、ルネ・ダグロン(Dagron, Prudent René-Patrice)。しかし、彼はその技術を初めから遠距離間における情報伝達の手段に用いようとしていたわけではない。
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フランスの美術大学で学部3年目の終わりに受ける試験Diplome National Art Plastiqueは、訳すると「国家造形資格」。日本でいう学士卒業に相当する。DNAPの合否を審査するのは学内の教員だけではない。政府から指名派遣された人間が来校し担当にあたる。いっぽう、受験資格は学生側に前もって言い渡される。受験を受けるのにこれまでの作品発表などが吟味され、一定のレベルに達していないと判断されれば、たとえ単位や成績に問題がなくても受験資格が与えられない。また受験資格は取得しても、作品の方向性が学校で扱っている分野とかみ合わない、学校にいても意味がないとされた場合は、たとえ試験に合格しても修士として翌年から同じ学校に在籍することができない学生もいる。そしてこれらの判断はいかなる場合にも覆されることはない。
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2011年になって、そろそろ貯金がなくなってきた。
2月の半ばごろにパリ中心地の某高級日本食料理店でウェイトレスの仕事をはじめた。

ところが、うまくやろうと思えば思うほどうまくいかない。料理と人が行き来する中で頭の中は真っ白。いろんな失敗をやらかし、オーナーにもこっぴどく注意されるのだが、それによって改善されるどころか、益々おかしなことをするようになる。結局1ヶ月でやめたが、その間仕事の疲れで予備校にも碌に行っていなかった。3月、久しぶりに顔を出すと、みんな志望校を決めたり、書類準備をする時期になっていた。 » すべて読む
フランス長期留学の為のビザ書類集めに関して書かれたブログは、検索エンジンをかければ膨大な量が見つかる。その何れにも共通しているのは、やたら煩雑ということ。当たり前といえばそうかもしれない。外国人が簡単に別の土地に住み着いたら何をやらかすか分らないもんな。自国民ですら分らないのに。 
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私はとても寒がりだ。フランスは日本に比べ緯度が高いので、住むならなるべく暖かいところにしようと思った。それで南部にある学校を受験した。今思えばとても賢くなかったのだが、私は1校しか受験しなかったのだ。結果は先に言ってしまうが不合格だった。でもそれが自分の力不足のせいだけであるとは、今でも認めることができない。
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とても久しぶりに書きます。

11月初旬は下界では秋だが、でも、山はもう冬だ。
つまり小屋締めの時期になるなので勤務終了、下山することになる。冬の間は温泉旅館やスキーロッジで働いた。肉体的にも精神的にもきつく一度体調を崩し2週間ほど寝込んだこともあったが、無事に勤務を終了することができた。

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さて、コラージュに感激てしまったのはいいとして。だからといってそれを続けるために本当に山女、いや山爺に転職するのはちょっとちがう、というか本末転倒。ここはあくまで「通過点」。次にすすまなきゃ。と、一応ちゃんと考えていた。

ここで、「読むこと」について書こうと思う。

大学に入ってから、だんだん文が読めなくなっていた。別段無学の人になったわけではない。たとえばひとつの単語があればそれを別の言葉でいいかえたり、知っている外国語であればそれに相当する日本語をあてたりするという、ポイント作業はできるのだが、分からくなっていったのはもっと大きな括りでの部分だ。仮に大意を理解できたとしても、それを記憶にとどめたり、考えたり、現実と関連付けたりすることができなくなっていた。そこでつまずいているうちに単語レベルでの理解も落ちてくる。とはいっても学生のときはそういう訳にはゆかず、どちらかというと入学してから学業が大変になるというタイプの学校だったので、参考文献や課題図書を読む機会は少ないほうではなかったと思う。けれど、何度も読みなおさなければ理解できなかった。


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幼少より絵画に親しみ、芸術系の高等学校卒業生のはしくれとして、いちおう山にはスケッチブックや鉛筆、絵の具なども持ってきていた。沢を隔てた山頂が見渡せ、下界(都会)ではめずらしい高山植物も豊富な環境だったので、休憩時間には切り株、地ベタにすわり写生なぞしていた。

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