寄稿/転載

entry_blog_fuzkue54

お気に入りで毎日のように買っていたアイスの取り扱いがなくなるとの知らせに悲しみ、自分の生活の中で唯一といっても過言ではない楽しみはこんなに簡単に奪われていいものなのか、自分は毎日のように買っているのに不人気で販売中止とは不条理ではないだろうかと問う客、共感を覚える店員、後日、例のアイスのアップグレード版が発売になる、ここだけの話なんですけど、と伝える店員、大喜びして発売日を待ちわびる客、当日、喜んで買う客、その喜びにすごくほっこりする時間だったねと喜び合う店員たち、後日、全然別物じゃないか、前のやつのケミカルな味が好きだったのに、期待を持たせてそこから突き落とすとはどういうことだ、ひどい、上の人間を呼んで、店長じゃ話にならない、本社の人間を呼んで、と要求する客。勝手に期待してんじゃねーよと突き放す本社スタッフ。私が全部いけなかった、間違えた情報を伝えて期待させてしまった、責任を取る、といって辞める店員。

という場面が昨日見てきたチェルフィッチュの『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』にあった。

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20141101155516


He saw a family consisting of the father, and mother with 2 boys and a baby. Keith saw father take the baby and throw it from the cliff into the water far below, and then he pushed the other children off the cliff. After that he pushed his wife and then jumpded himself. Keith and his men got there and saw guy still floating alive, so they shot him.

(断崖の上で)彼は父親と二人の男の子の手を引き赤ん坊を抱いた母親の一家を見た。その父親が赤ん坊を取り上げると断崖から遥か下にある海面へと投げ入れ、それから二人の男の子を突き落とし、妻の背中を押した後、父親自身も飛び込んで行ったのをキースは目撃した。キースとその仲間達が一家が飛び降りた場所に到着すると、父親が海面から浮かび上がってまだ生きている事が判ったので、彼等は父親に向けて銃を撃った。(拙訳)

Richard Carl Bright "Pain and Purpose In the Pacific: True Reports of War"


 
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【目次】
 
◇『高架線』先行研究
◇「羽根」のない主人公
◇馬から鉄道へ
◇上下と動不動
◇「喘息」で繋がる/が繋がる
◇『蟹工船』から『高架線』へ

※ 転載元:パブー(Puboo)


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小林多喜二と埴谷雄高
Amazon:荒木優太 【 小林多喜二と埴谷雄高 [文庫] 】


※ このテクストはもともと高橋から荒木への私信として構想され、書かれ、何人かにメールが送られ、そののち、第三者の判断で公開が提案されることとなった。読者は、以上の経緯を念頭においてほしい。


 1

 小林多喜二と埴谷雄高という二人の作家がいて、少しだけではあるが、同じ時代に生きた。物語はこの二人の出会いから始まる、というのがこの本の書き出しである。といっても、二人が出会うことはなかった。せっかくどちらかがどちらかに会いに行ったのに、留守だったのだ。
 
 昔の作家は、よく会いに行った。吉本隆明さんが太宰治の話をするときには、いつもあの人にカンパを頼みに行った。優しい人だった、と言っている。同じ話を何回もあちこちで言ってるのだ。それだけのことだった、ということだ。会いに行く、という場面から書き始めたのは、この著者のミソであるのかも知れぬ。書いた本人は人間嫌いである。そのことは本人がそう言っているから間違いない。違う言い方ではあるが。それなのに平気な顔でこういうことをする。著者は抜け目なく、なかなか油断のできない人物のようだ。
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ビルとビルとの間で切り取られたような 
一瞬を切り取った写真のような 

人間が識別できる範囲において青の入り混じった黒い空が告げるのは、
ほら、方々に散り始め各々の偽りの姿へと帰っていく街娼たちの 
あの夜の中においてのみ輝くことのできる不思議な秘密の蜜のような、
快楽と幻想と苦痛の交差した時間の終わりを示す 

帰宅の途につく彼女らの足は重く冷たく、
霧雨を頬に真に受けて、
まるで涙のような粒が黒い夜に碇を下ろす

人間の真の動機を知っている彼女らは、
この世界と人とに己を求めない 

原始から彼女らはそれを知っていた すべてを知っていた 

天上の女神とは悪魔であった 
地上の楽園とは地獄であった 

しかし、もしもおまえが太陽と海の重なりあった黄金色を、
あるいは、太陽と海との境界が鋭い刃のように青く煌めくのを、
その束の間の凪の瞬間を偶然に発見したならば、

おまえの想念が真っ逆さまにたちまち巨大な渦巻きとなり 
そのとき人間たちの真の動機が、世界の真の成り立ちが 
大風によってなぎ倒される大樹のように、
長い長い時間をかけて崩壊していくのを目撃するだろう 

おまえは街娼らの周知だった事実を、
その光景を、そのときこそ知るだろう 

それが陽光を自ら遮った、
己を闇夜へと解き放った 
あの隠された人間たちの生きている世界であることを 
それこそがこの世界の唯一の真実であったことを
 


転載元:亜猟社
2013-12-18【詩】カタストロフ
http://hsmt1975.hatenablog.com/entry/2013/12/18/215053
 


 トオマス・マンのそう長くはないこの小説の中には、一人の人間が如何に文学を志すようになり、文学を志す人間が如何にそうではない人間と相まみえないか、しかし、どれほど平凡に生きることに憧れそれらを愛しているか、つまり、如何に俗人であるかがすべて書かれている。一部の芸術家が自らを世俗と切り離された高貴な人間であると確信するところの欺瞞を、それがどのような種類の欺瞞であるかを密かに知りながら、つまり自身の中にその胚芽を認めながらも、小説家はそれを恥じなければならないだろう。

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転載元:大村益三【〈B術の生態系〉Bな人のBな術(2013年02月13日更新)】 
 


「東京が変われば、日本が変わる」。恐らくそれは「西欧が変われば、世界が変わる」と同じ様な意味を持っている言葉だったに違いない。「東京が変われば、日本が変わる」が、「東京が変われば、東京以外は否応なく巻き込まれる」なのか「東京が変われば、東京以外の手本になる」なのかは判らない。いずれにしても、「東京」が示した現実としての「変わる」が、慨嘆の対象であるかもしれない「選挙の有名無実化」等々であるならば、「東京が変われば、日本が変わる」という題目を「日本」が受け入れる限り、「日本」もやがてそう「変わる」べきなのであろう。「東京が落ちる所まで行けば、日本も落ちる所まで行く」(=死なば諸共)。しかしそれは御免被りたい。

「東京」の展覧会巡りの続きを書く。
(転載者注:前エントリ→【イーサン・ハントのフラッシュバック】) 
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「PTSD」という言葉が精神医学に於いて初めて登場したのは1980年になる。「アメリカ精神医学会(APA)」が定め、「世界」的に使用されている精神障害に関するガイドラインである「DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断・統計マニュアル)」の、「DSM-III(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Third Edition)」というバージョンに、当時の「アメリカ国家」の社会制度的変容の要請もあって、その語は些か拙速に誕生した。「DSM-IIII」はその小改正版である「DSM-III-R」(1987)から、「DSM-IV」(1994)、「DSM-IV-TR」(2000)を経て現在の「DSM-5」(2013)へと至る。「DSM-III-R」までに存在した「通常の人が体験する範囲を越えた(experienced an event that is outside the range of usual human)」という、専ら「ヴェトナム帰還兵」を想定していた表現を改めた「DSM-IV」から、「PTSD」の「診断基準(criteria)」を引用する。尚「アメリカ精神医学会」が公認する、味わい深い日本語で訳された同書に於ける「PTSD」の「公式」的な和訳は「外傷後ストレス障害」である。
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それが「三年殺し」になるのか「七年殺し」になるのかは判らないが、東京の展覧会巡りで相当の距離を歩いたので、これを書いている身体の疲労はピークに達している。

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豊田市美HP(展覧会URL)

 SF好きとしてはたまらなく興味をそそられるタイトル「反重力」。9月から始まったこの展覧会の告知文には、宇宙の加速膨張、宇宙旅行、テレポーテーションなどの言葉が並び、出品作家の名前にも心躍る。一方で気になるのが、同展が「揺れる大地 われわれはどこに立っているのか 場所、記憶、そして復活」をタイトルに掲げ、東日本大震災とその後の世界に正面から密接に向き合った愛知トリエンナーレとの連携事業であることだ。連携事業でありながら「反重力」という言葉づかいはいかにも解放的で大地と、その上に成り立つ現実から離れているように思える。しかし、この展覧会は現実世界、すなわち震災後を生きる2013年の私たち自身にとって、単なるファンタジーでも現実逃避でもない。むしろ、私にとっては途方もない現実味を伴ったものだった。以下はそのことについて展覧会を振り返りながら考えてみたい。
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