ヴィパッサナ瞑想

Elatan'sStarmap

想像上の銃(瞑想について-08)」より続く


『巻き添え』

インタビュールームを出たら、リネーはもういなかった。

きっと他に仕事があるのだろう。アルヴィンと顔を見合わせた。片言の日本語ができるばっかりに、「うつ」だの「危険」だの刺激の強い言葉が飛び交うインタビューに同席することになってしまい、どんな風に感じているのだろうか。何かひとこと、釈明したい気持ちもあった。

でも、瞑想者にそんなことを言ったところで何になるだろう?
現象や物事を言葉で説明したとして、どれほどの価値があるのか? » すべて読む
night fire


見えないホタル(瞑想について-07)」より続く


『どうしてわかってくれない』

インタビューが終わったら、もう休憩時間だった。
いつもは昼寝をするかシャワーを浴びるかどちらかだが、明日の出発に備えて部屋を掃除した。明日はこの部屋を引き払う。私の後はまた別の誰かが来て、この部屋で眠り、キッチンで仕事する。瞑想センターはその繰り返しだ。

ATとのやり取りが完結したという安心感のためか、午後2時半の瞑想は大きなトラブルには見舞われなかった。それでもやはり疲れた。10日目の昼食がすんでしまえば、キッチンの仕事はもう終わったも同然だ。サラダはもう出さないので、サラダの仕事もない。瞑想のあと部屋へ戻り、身体を休める。キッチンの仕事はないので、ダイニングホールのセッティングをぼちぼち手伝いながら、夕食時間を迎えた。

自分を忙しくする仕事がないと、自分の存在価値に自信が持てなくなる。
あるいは、10日分たまったおしゃべりの欲求を大急ぎで満たしている参加者達のエネルギーに当てられたのだろうか?

夕食後、6時の瞑想が最後のグループ瞑想になる。気分はよくない。
無事に1時間過ごせるだろうか?ヒステリーを起こすようなことはないだろうか?

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10日目、メッタの日は朝早く目が覚めた。

朝食当番ではなかったので、ホールへ行って瞑想した。おしゃべりが解禁になる前の、最後の数時間を味わいたかった。早朝の瞑想は「グループ瞑想」ではなく、参加者はホールで瞑想してもよいし、自室で瞑想してもよい。キッチン要員は参加の義務はない。また、事情があれば中座することもできる。

いつものように6時からパーリ語の経典の詠唱が流れ、6時半で瞑想は終了した。ATから指導されたとおり、いったん自室に戻りベッドに横になる。頭からつま先まで意識を移動させ、気持ちを落ち着かせてからキッチンに向かった。

昨夜の予想どおり、この日は曇っていた。

いつもなら夜明け前の空がすみれ色に冷たく澄み渡るのに、今朝は薄い雲が空を覆いつくしている。その雲を通過して地面に届く光は平面的で、まるで皆既日食のようだ。砂漠の白い大地が妙に明るく、空の光を反射しているというより、それ自体が発光しているように見えた。

スタッフ用のダイニングルームでは、すでに仲間たちが朝食を摂っていた。
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『箱の蓋』

ATとのインタビューのあと午後2時半、午後6時とグループ瞑想があったが、がんばり過ぎない瞑想でそこそこ上手くいった。ATに事情を話すことができたという安心感ゆえかもしれない。

午後9時、キッチン要員のミーティング。私と面談したATから短いコメントがあった。



「8日目、9日目は参加者のエネルギーが高くてトラブルの起きやすい時期なので、参加者の様子がおかしかったら、どんなことでもすぐに連絡してくださいね」
 


これはある意味、私へのメッセージで、「自分のコンディションには十分注意を払って、何かおかしなことがあったらすぐに相談しに来るように」ということなのか?いつかは箱の蓋を開けて、中を掃除する必要があるかもしれない。不用意にそんなことをしたら収集がつかなくなりそうだが、心の仕組みがわかってきたのは一歩前進だ。


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romaine lettuce
                         ロメインレタス

脱走したいわけじゃない(瞑想について-04)」より続く。
                    

『記憶の塊』

7日目の午前中、キッチンの調理台でサラダに使う大きなレタスを切っていたときのことだった。レタスはロメインと言う種類の、白菜くらいの大きさのもの。キッチンの仲間が私に、「イタリアンドレッシングの作り置きはどこにあるの?」と聞いてきた。私はサラダの係なのでドレッシングも管理していたが、テーブルでサラダの横に並べる小さい容器入りのドレッシングか、大きな容器に入った補充用のドレッシングか、とっさに判断がつかなかった。もたもたしていたら、すぐ横で作業していた別の仲間があっさり答えた。「ワゴンの中段」

これだけのことが、一体、どうしてあんなに堪えたのだろう?

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course boundary -  trimmed

                                                コース境界の標識。コース期間中はここから外に出てはいけない。


グティエレス神父(瞑想について-03)」より続く


『駐車場』

女性スタッフ用のダイニングルームは、コース境界の近くで、境界を越えたすぐ向こうが駐車場だ。コース期間中は会話禁止のほかにも、さまざまな制約がある。そのひとつが、コース境界内で過ごすという制約だ。散歩道を含む境界は広大で、狭苦しい思いをすることはない。でも駐車場は境界外だから、期間中は自分の車まで行くことはできない。

スタッフ用ダイニングルームと同じ建物の中に参加者用のダイニングホールもあり、天気のよい日は食事をすませた女性たちが無言のままコース境界の近くをうろついていることも多かった。スタッフが食事していると、窓越しにその様子がよく見えた。

「ねえねえ、あの参加者、食事の後いつも駐車場の方を見てるのよ」

あれは何日目だったか、キッチン仲間の女性が他の仲間にそう話しかけた。
窓の外を見ると、サングラスをかけた女性が手にマグカップを持ち、駐車場のほうに顔をむけて立ちつくしている。

「ひょっとして、脱走しようと思ってるんじゃない?」

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Camila
                映画「カミーラ」より グティエレス神父とカミーラ



『カミーラ Camila』
1984年:アルゼンチン・スペイン合作
監督:マリア・ルイサ・ベンベルグ
劇場公開日:1992年2月29日
配給:岩波ホール
参照:映画.com(http://eiga.com/movie/43426/
 


砂漠の瞑想センター(瞑想について-02)」より続く


『神さまは人間の願いを超えて』

この映画のことも、グティエレス神父のことも、何年も思い出すことはなかった。
瞑想センターでの経験は時に、こんな関係なさそうなものまで私の記憶から引っぱり出してくる。

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SCVC air

砂漠の瞑想センター (Google Map Satellite View)


『コースの始まり』


12月18日、コース開始にあわせて瞑想センターに到着した。瞑想のコースは10日間だが、集合日を0日目と数える。その日の夜に最初のグループ瞑想があり、その時点からコース参加者は会話禁止になる。しゃべるのだけではなく、アイコンタクトや身振りでの意思疎通も禁止だ。10日目の午前中に会話が解禁され、11日目の早朝に最後の講話があり、その講話でコースは終了する。

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昨年も書いたのだけれど、私は2010年以来、毎年この時期になると、山中の僻地にある瞑想センターで瞑想のコースに参加している(参照:「今年の瞑想」http://www.en-soph.org/archives/22476712.html)。

だが、今年(もう昨年だが)は砂漠の瞑想センターで、コース運営の手伝いをすることにした。今日から九回ほど、そのときのことについて書いてみようと思う。


【瞑想に人間性を高めるというような効果を期待してはいけない】

砂漠のセンターは私の家から車で3時間くらい。2011年の春にこのセンターが開所する直前から、たびたび手伝いに行っている。まとまった休みをとるのは難しいので、いつも2日か3日、長くても5日の滞在だ。でも今回はコースの最初から最後まで、11泊12日の日程で手伝うことにした。通しでコースの手伝いをするのは初めてだ。

瞑想センターと聞けば、さぞかし平和で穏やかなところだと思うかもしれない。そういうところに滞在すれば、きっとすっきりキレイな気持ちになれるだろう。それは正しいが、瞑想センターは、お客様の満足を約束するリゾートではない。心をキレイにすることができるかどうかは本人次第だ。

私の場合、滞在中にストレスで悩むことも少なくない。
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Photo by Mitch Walker




注:この記事は断食を勧めるものではありません。人間の身体はひとりひとり違います。断食をする場合は、各人の責任で行ってください。
 



どこか何かバランスがおかしい。
だからこんなことをするのかもしれない。


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