小説




---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

3---薬草より続く)

4--- "信仰と労働"


 夕方は、店のテーブルがすべて満席になるのは稀だった。簡易椅子を使うまでもなく、夜7時の閉店を迎えるのが常だった。牛肉麺はたいがい朝食や昼食に食べられるのが普通であるから、私達の店のメニューが牛肉麺のみであることを知ると、何も食べずに帰る客も夕方には多かった。なかにはメニューには無い料理を、無理やり注文する者もいたが、父は頑なに拒み、たとえ客が悪態をつけようとも注文を受けることはしなかった。それについて一度、兄が、牛肉麺以外の注文も受けた方が儲かるのではないかと、父に尋ねたことがあった。すると父は、我々は神のおかげで商売ができているのだから、稼いだ金は神のものであり、自らの儲けたいという欲望のためにほかの注文を受けることは許されない、もし注文を受けるのであれば、その前に神に伺いをたてるべきだろうと、静かに、そして論理的に答えた。
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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

2---噂より続く)

3--- "薬草"


 午前11時ころから再び客が増え、午後1時半ころまで客足が途絶えることはなかった。昼はバスターミナルの利用客にくわえ、店の裏手にある中学校の生徒や県政府の役人が大勢来店する。4人がけのテーブルは朝と同じように満席の状態となり、壁に背をもたれながら立ち食いをする客の姿が目立ちはじめる。私達家族は、普段よりも幾分早口で客に注文を尋ね、全力で牛肉麺を作り、客が食べ終わると同時にお碗を下げ、テーブルの上を片づけ、少しでも店の回転を速くすることに力を尽くした。
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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 


1--- "朝"』より続く)

2--- "噂"


 店のメニューは牛肉麺のみで、他には馬鈴薯や胡瓜の惣菜をつくる日があったりなかったりする。注文は前払制だ。長い間、陽射しにさらされて、すっかり色褪せてしまったレジスターが出入口の脇にあり、そこには父がいつも立っていた。
 父は客から代金を受け取ると、麺の太さや牛肉の量などの細かい注文を聞き、金額や数量をレジスターに打ち込む。するとレジスターからチーンと大きな音が鳴り、下からは勢いよく抽斗が、上からはドッドッドッドッと低い音をたててレシートが出てくる。父は代金を抽斗に入れたあとレシートを切り、細かい注文内容をレシートの余白に書きつけて客に渡す。客は、それを店奥にある厨房前のカウンターで作業をするライヒに渡す。すると、ライヒは注文内容を大声で読みあげる。

「細麺、牛肉多め!」
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『回花歌』---梗概

舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 


1--- "朝"


 朝の5時になると母屋から店の厨房へと向かい、その隅にひざまずいて母とともに礼拝を行った。父や兄、いとこのライヒは、叔父の運転する農業用トラクターに乗ってモスクへ向かった。これから夜が明けるなんて思えないほど外は暗かったが、そのうちに朝が来ることは間違いなく、しばらくするとモスクへ出向いた者たちが戻ってきたので、私達家族は開店の準備にとりかかった。
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(写真:東間 嶺。以下すべて同じ)

中村さんが津田沼にいる世界で(前篇)
中村さんが津田沼にいる世界で(中篇)
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(撮影:東間 嶺)


  一駅目

 がついたときにはすでにうんこが出口まで来ている、ということが頻繁にあり、つまりそれがおれの体質なのだ。普通の人はもっと早く便意や尿意に気がついて、造作なく処理しているのだとしても。みんな、大抵のことはおれよりもうまくやるのだから。
 
 早稲田を二回受験したが、二回ともうんこを漏らした。
 
 衆人環境で脱糞したのは幼児期を除けば今のところは人生においてあの二回だけで、そのどちらもが早稲田受験の時だったのだから、きっと早稲田大学と前世などでなにかあったのかもしれない。
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中村さんが津田沼にいる世界で(前篇)

「あ、それはそうとぼくさえきさんの書いている小説、読みましたよ」
と中村さん。
「そりゃ、ありがとうございます。どうでした??」
やや自信なさげな声でわたしはたずねる。
「うん、面白いんじゃないですかね」
「そうですか?」
「面白いですよ」

中村さんは手元のiPhoneにメールが着信したのを横目にしながらハイボールを注文した。わたしはすこしぬるくなったビールを啜った。
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中村さんが新所沢を去り、津田沼に引越してから早一ヶ月が過ぎようとしていた。春独特の不安定な気候に左右されながらも、わたしは徐々に生きるエナジーとでも言うべきものを取り戻しつつあった。

が、しかし中村さんの不在はなかなか耐えがたく、彼の職場でもある新宿でいっしょに酒を飲むことにした。
 
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なにか小説を書きたいから小説を書こうと思う。

と、こう書き出した時点で、いわゆる知識人は、ああメタ小説かと思うであろうし、たいていの人はメタ小説、はてな、となるであろう。 

小説を書こう小説を書こうと思い立ってから、おおよそ十年が過ぎた。いや、正確には八年と十ヶ月。人間は、すぐに五年とか十年とか区切りをつけたがる。おそらく、人間の一生はあまりにも漠然としてつかみどころなく過ぎ去って、つまり死んでしまうので、ほとんど無理やりにでも区切りをつけ生を確かめようとするのだろう。なんて書くと、ちょっと小説らしい感じがする。というか自分がその気になる。こういう感じの描写を、要所要所に織り交ぜて、それっぽく書き進めていきたいと思う。 

ああそうだ。ちなみにぼくは、小説の勉強はけっこうした。谷崎潤一郎の、文章の指南書として名高い文章読本とかも読んだ。ほかにも、たくさん読んだ。それで、自分では勉強したと思っている。だからまあ、ぼくの文章力は、ふつうの人よりは高いと考えてもらってかまわない、というか、この小説の終わりまでにはそれを証明したい。というか、あなたがこれを、紙媒体にしろweb媒体にしろ、一般的な商業流通を経て読んでいるのであれば、きっと何しかしらの形で証明されたということなので(絶対に自費出版なんかしないから)、ぜひとも期待して読み進めていただきたい。 
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とうとう中村さんが仕事を終えて、新宿から新所沢に戻ってきた。わたしは彼を待っている間にどうしても一杯やりたくなってしまい、駅前の日高屋で餃子をつまみにビールを飲んでいた。我慢できなかったのだ。中村さんはわざわざ日高屋の前まで来てくれたので、わたしは急いで会計を済ませ、店を出て、歩きながら話した。
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