ボクシングを打ち倒す者

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毒入りのオレンジは藪の中

 『狂気に生き』(1986/新潮社)は、今や時代劇作家として高名な佐伯泰英が手がけたボクシング・ノンフィクションである。
 つい先日、この本を約20年振りに読了した。約20年前の私は、メキシコで知り合ったあるボクシング関係者からこの本を勧められ、彼のコレクションを一時拝借して読みふけったものだった。久し振りに読みたいと思ったのは、私の興味が、ボクシングそのものよりも、制度や業界の裏側に移っていったという事があるだろう。
 
 この作品は、第一部「パスカル・ペレスへの旅」、第二部「疑惑のタイトルマッチ」の二部構成で書かれており、戦後まだ間もない焼野原の状態であった日本ボクシング界から、メキシコ、アルゼンチン、ベネズエラを経由し、当時週刊文春の記事によって世間を騒がせていたいわゆる『毒入りオレンジ事件』を睥睨する怪作である。

 再読してみて、殆どを忘れていた事、そしてここで提示された問題が現在も未解決である事に気付かされた。
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 2016年4月27日、内山高志は自身の持つWBAスーパーフェザー級世界タイトルの12度目の防衛戦の挑戦者として暫定王者ヘスリール・コラレスを迎え、僅か2ラウンドでタイトルを失った。ファン・カルロス・サルガドからタイトルを奪ったのが2010年1月11日だから、六年以上の長きに渡って防衛したタイトルを僅か六分で失った事になる。
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ドレフュス事件をめぐって二分する世論を風刺した漫画( 出典:Wikipedia )


――われ弾劾す!

 これは19世紀末のフランスのある新聞に掲載された、作家のエミール・ゾラによる大統領宛ての公開質問状の見出しである。ゾラは、当時世間を騒がせた所謂ドレフュス事件において、証拠不十分のままスパイ容疑で逮捕されたユダヤ人のドレフュス大尉を弁護する為に、軍部を批判してこの質問状を作成した。この事件の背景には、西洋キリスト教社会に根深いユダヤ人差別がある。この事件についての世論は当時真っ二つに分かれたが、ドレフュスを罰するべしという意見の中には「ドレフュスが本当に犯人であるかどうかよりも、国家の威信を守る事が重要なのだ」というものまであったそうだ。

 さて、ではボクシングの話をしたい。昨年12月3日に行われたIBF王者亀田大毅とWBA王者リボリオ・ソリスのスーパーフライ級統一タイトルマッチをめぐる一連の騒動について、だ。ご存じ無い方の為に試合前日の計量から1月10日の倫理委員会までの経緯を説明しておくと、大体以下のようになる。

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 最終回となる今回は、今まで1~8で書いてきた事を総括し、その後書きたかったけれども書かなかった事を簡単に紹介したい。

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 日本ボクシング界について―私的論考②

 

今回は、業界とJBCの癒着・談合体質について、亀田興毅vsカルロス・ボウチャン(メキシコ)、そして女子アトム級タイトルマッチとして行われた小関桃vsウィンユー・パラドーンジム(タイ)の二試合を例にして取り上げたい。しかしその前に、前回取り扱った「ジム制度からのプロモーター権限の分離」という私の意見についてだが、これに関連して、以前に「ジムについて②」で書いた内容を以下でもう一度取り上げると共に一部訂正し、自分の意見を纏めたい。
 

 「プロモーターのライセンスを取得するには(原則的に)オーナー、プロモーター、マネージャーのライセンスを持つ者の中から二名以上の保証人が必要なようだが、これは恐らくそれ程難しい問題ではない。重要なのは、興業が儲からない事だろう

 

上記では、何の考えも無しに「それ程難しい問題ではない」と書いたが、新規参入や革新的にビジネスを興そうとする向きには問題となるのかもしれない。この保証人の問題に加え、(やはり既述ではあるが)東京とその近郊では1000万円、日本チャンピオン経験者だと500万円、東洋チャンプ400万円、世界チャンプ300万円という高額で不平等な日本プロボクシング協会への加盟料(プロのジムとして活動する費用)も、新規参入を目指す向きには非常に大きな問題となるだろう。この両者(保証人と加盟料)の問題は、業界の活性化の為には改められなければならない。元チャンピオンといった功労者には年金などで労うべきだろう。こういった参入障壁が取り除かれた上で専業のプロモーターが育てられ(協会がその音頭を取るべきだ)、ジム会長がプロモーターの権利を手放し易い状況を作りあげてから、「ジム制度からのプロモーター権限の分離」がなされなければならない。

以上を前回の内容に加える。

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日本ボクシング界について-私的論考 ①

 前回までは、私的な意見に走りがちな自分を縛めるために「私」といった一人称はなるべく禁じてきた。しかし、勿論そこには「私」の判断であり、考えであり、価値基準であり、といった諸々の要素が含まれている。だからこそ「公的」な議論を進める為に「私」の存在を隠したわけだ。これからは、これまで行ってきた議論を踏まえ、さらに展開させる為に「私」を登場させたい。やや具体的に述べると、これまで行ってきた「ジムについて」「移籍について」で行った議論に自分なりの意見として、解決策・改善策を提示したい。読んでくれる方が居るわけだから、これまで行ってきた議論を前提にして「私的」にやり直すより、その都度「私」を登場させて意見させた方が読み物としては余程親切だったろう。しかしそう思いながら、自分の意見の正当性を確かめる意味合いもあって、まず「公」的視点で議論を展開させて貰って、その後、「私」的意見に移るという構成にした(だからといって公的な価値観を無視して意見を述べるつもりはない)。ある議論においては既に述べたものであり、「くどい」と思われるかもしれない。しかしその点については、再確認の意味もあるし、初回に述べたように、未熟な書き手による書き物だから勘弁して貰えれば有り難い。以下、「日本ボクシング界について-私的論考」本編に移らせて頂きます。

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移籍について②

JBC(日本ボクシングコミッション)は、業界団体である日本プロボクシング協会の推戴によって生まれたプロボクシング競技を統轄する機関である。JBCはボクシングの競技としての公平性・安全性を確保する為に、試合の管理、ランキングの作成、選手やジムの管理・指導も行っており、その「総則」には、正直なボクシングビジネスの実現を目指すという内容が書かれている(正しい文言はJBCHPの記載内容を確認して欲しい)。

移籍したいボクサーは大勢居る。実際に移籍してジムを移ったボクサーもまた数多い。そしてそれがスムーズにいった例も、そうはいかなかった例もあるだろう。そういった例の中から、一般のファンの耳に届く移籍の話題はごく少数である。それを一般論として語るには問題があるかもしれない。しかし問題にされるべきは「いざ問題が起こった時にどうするべきか」という事ではないだろうか。以下に、実際に問題になった例を三つ紹介する。

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移籍について①

 

プロボクサーだったある友人は、引退後どうしてもボクシングが忘れられずに再起を目指した。一から身体を作り直し、海外武者修行でその自信を付けたが、反りの合わないかつての所属ジムにはどうしても戻りたくない。帰国後すぐにジムに移籍の希望を話して断られたが、移籍金を払うという約束で了承を得た。しかし、その後半年間働いて貯めた移籍金は「少ない」という事で受け取って貰えなかったそうだ。その時に持参した金額は数十万と聞いた。東洋タイトルマッチ挑戦の経験もあるプロボクサーの移籍金として、その金額の多寡をどうこうというつもりはない。問題は、「引退後四年を経てボクサーを縛ったものは一体何なのか」という事である。

 

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ボクシングジムについて③

 

前回ジム間の興業格差の問題について取り上げたが、その問題はそのまま後半部の「業界全体が競技人気の底上げを怠った」という批判、「ボクサーやトレーナーといった人材が生活環境を整えられるような制度設計をするべき」という提案に繋がっている。興業格差の問題と上記の批判・提案を繋ぐのは、ジム間の興業格差に起因する「選手を育てるには、儲からずとも興業を打たなければならない」という業界のパラドックスである。そこには、「ボクシング人気の底上げ」という問題が関わっている筈だし、ボクサーやトレーナーの収入にも繋がる筈だ。それらについて本論では、ジム側の自己責任として片付けるにはあまりにも酷な話しであり、業界の制度の問題として捉えられるべきと考える。今回は、問題の底にある思想にまで掘り下げて考えたい。
 

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ボクシングジムについて②
 

前回ジム制度について説明した内容には、必ずしも正しいとは言えない記述がある。それは、ジム制度を「プロモーターやマネージャーなどを丸抱えし、プロボクサーの全権を握るジム経営のシステムの事である」と説明した箇所になるが、実はボクシングジムはその全てがプロモーターを抱えているわけではない。この事はJBC(日本ボクシングコミッション)のHPにある事業報告書を確認すれば一目瞭然である。この報告によると、2011年度に発給されたライセンスの数量はクラブオーナー276に対し、プロモーターは93しかない(マネージャーは384)。つまり、ボクシングジムの約三分の二にはお抱えのプロモーターがいない状態という事になり、ジム制度の説明として「丸抱え」という表現は必ずしも正しいとは言えないだろう。それにも関わらず訂正しなかった理由は、ジム制度をボクサーの視点から見るならば、「プロボクサーの全権を握るジム経営のシステム」という記述は間違いだとは思わないし、それには試合に出場する権利も含まれるからだ(つまり、興業のプロモートをしないジムも、選手のプロモート権限は持つわけだ)。

前回、「次回はボクシングジムへの同情的な視点を以て制度を見たい」と述べた。前回はボクサーからの搾取など不遇の例を紹介したが、ボクシングジムだって殆どが儲からない。

今回の議論の出発点は、「ジム制度の現状は、多くのボクシングジムにとっても負担の大きなものなのではないか?」という疑問である。

 

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