エッセイ

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毒入りのオレンジは藪の中

 『狂気に生き』(1986/新潮社)は、今や時代劇作家として高名な佐伯泰英が手がけたボクシング・ノンフィクションである。
 つい先日、この本を約20年振りに読了した。約20年前の私は、メキシコで知り合ったあるボクシング関係者からこの本を勧められ、彼のコレクションを一時拝借して読みふけったものだった。久し振りに読みたいと思ったのは、私の興味が、ボクシングそのものよりも、制度や業界の裏側に移っていったという事があるだろう。
 
 この作品は、第一部「パスカル・ペレスへの旅」、第二部「疑惑のタイトルマッチ」の二部構成で書かれており、戦後まだ間もない焼野原の状態であった日本ボクシング界から、メキシコ、アルゼンチン、ベネズエラを経由し、当時週刊文春の記事によって世間を騒がせていたいわゆる『毒入りオレンジ事件』を睥睨する怪作である。

 再読してみて、殆どを忘れていた事、そしてここで提示された問題が現在も未解決である事に気付かされた。
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1:レポート

SARAJEVO NOW/さらえぼNOW』より続く

ローカルの「麺」が無い? 

■ ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに滞在して2日目、「おかしいな」と思い始めた。そういえば、レストランや食堂で『麺』を使った地元の料理を全く見ない。パスタの店はある。試しにアラビアータを注文して食べた。しかし、日本のそれと変わったところのないアラビアータだった。イタリア料理の域を出たものではなかった。

■ 私が「ボスニアにも当然『麺』料理はあるだろう」と考えたのには、次の理由がある。


  1. 「麺」はシルクロードを伝って普及したはずだ。
  2. シルクロードは中国の西安とローマを結ぶ貿易路。バルカン半島もシルクロードと無関係ではないだろう。
  3. ボスニアはオスマントルコに支配されていた歴史がある(15C後半-19C後半)。その時代に東方の「麺」文化が流入した可能性があるのではないか。


■ ということから、中国の牛肉麺や中央アジアのラグマンのような料理が、当然ボスニアにあるだろうと考えた。また、ボスニアにはイスラム教徒が多い。そのため、『麺』を使ったハラ-ル料理が食べられるのではないかとワクワクしていた。しかし、実際に私が行った食堂では見なかったし、いくつか路上に置かれていた食堂のメニュー表の中にも、ローカルの『麺』料理を見つけることはできなかった。
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画像出展:Scrapbookpages Blog

 アウシュヴィッツのガス室へ全裸で連れ込まれるユダヤ人男性たちの写真を評して、男性の突起物というのは物哀しさを誘う、と書いたのは誰だっただろうか。誰が書いたどの本だったかは忘れてしまったが、その文章を読んで以来、私は男性の突起物が引き起こす様々な悲喜劇に、時々、思いを馳せるようになった。言うまでもなく、男性の突起物は生殖器としての機能が遺伝的に付与されており、その限りにおいては、他の動植物の雄と何ら変わりがない。人間の男性もまた、本能によって女性との生殖行為に励むのであり、より優れた子孫を残すために、あの奇妙な突起物が備えられている。 » すべて読む

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【ロングビーチのマリアさま --- 04】
から続く


ふたたび長堤聖寺


日曜日の朝、いつものように早起きして海岸沿いの遊歩道を走り、その帰り、マリアさまに立ち寄った。今日は長堤聖寺で一般向けの行事があるはずだけど、どんな人が来るんだろう?朝の7時半をまわったあたりで、長堤聖寺の入り口に東南アジア系の男性がふたり腰かけて、世間話をしている。英語ではない。

 

入り口のドアは開いていて、中が見えた。思ったより明るい。話している男性たちに聞いてみた。



「一般向けの行事があるんですか?」

「あるよ。今日は阿弥陀経だけど、参加していく?」

「今日でなくて、また今度このお寺は、何語で話をするんですか?」

「ここは中国のお寺なんだ。でも中国語とベトナム語と英語で話してるよ」

「あなた方が話している言葉は、何語なんですか?」

「ベトナム語」


英語が通じるなら、一度来てもいいかもしれない。そう思いながら、長堤聖寺を後にした。 » すべて読む

1:NOW


サラエボ、イメージと現実と

■ 「SARAJEVO NOW」これは、サラエボにある歴史博物館の外壁にかけられていた垂れ幕に印字されていたものである。2017年6月末、私はボスニアの首都サラエボに6日間滞在して様々な場所を訪れた。なかでも最も強い印象を受けたのが、この博物館であった。

■ サラエボを1人で旅した理由はなんだったろう。正直、はっきりと言えるような理由はない。また、ひとつではない複数の理由が重なり、私はボスニアに飛ぶことに決めた。

■ サラエボという土地の名をはじめて知ったのは、高校時代である。90年代半ば、テレビのニュースではサラエボ内紛の惨状が連日伝えられた。民族浄化、ジェノサイド、大量虐殺という言葉もそこで知った。その連日の報道により、私はサラエボに対して「民族紛争」というイメージを強く持つこととなった。そして、サラエボに実際に行ってみるまで、そのイメージが払拭されることはなかった。

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Embed from Getty Images

ロングビーチのマリアさま --- 03】から続く


新聞記事

長堤聖寺の場所にあったカルメル会修道院については、いくら調べても、結局よくわからなかった。あきらめて、サンタバーバラに移転したあとの彼女たちに関する情報を探した。サンタバーバラにもPoor Clare Colettine Nuns of Santa Barbaraという女子修道会があり、もしかしたらロングビーチから移転した修道院ではないかと思ったが、そうではなかった(彼女たちのウェブサイトに記された沿革には、1928年にカリフォルニア州オークランドで設立とあった)。 

その新聞記事は、上から何番目だっただろう。

サーチエンジンの検索結果に表示されたサイトのうち、カルメル会と関係ありそうなものを上から順に見てみたのだった。サンタバーバラの地域紙らしい、Santa Barbara Independent という新聞社の、2014年の記事だった。
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ロングビーチのマリアさま --- 02】から続く


代理聖母

その朝は、いつもよりビーチに行ったのが遅かった。前日の夜ひどく暑くて、よく眠れなかったのだ。海岸でランニングしたあとマリア像のところへ行ったのは、9時を回ったあたりだった。週末の朝で、私のほかにも何人かお参りしている人がいた。

 

「お参りする」といっても、実のところ、私はお祈りはしていない。キリスト教徒ではないから祈りの文句を知らないし、願い事をするのも何か違うかなと感じている。

像の前で瞑目すると、朝の空気の冷たさと肌に当たる陽射しの温もりを同時に感じ取ることができる。こういう時、生活の些細なことをあれこれ考えてもしょうがない。

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ロングビーチのマリアさま --- 01】から続く


お参り

ある朝、海岸に延びる遊歩道をランニングしていると、散歩中だろうか、黄色い僧衣のお坊さんが歩いていた。目が合ってしまったので、ハロー、と話しかけた。

お坊さんは片言しか英語が話せない。
それでも、そのお坊さんが『お寺』の近くに住んでいることはわかった。
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Long Beach



ロングビーチのマリアさま

彼女をめぐる信仰の風景、あるいはささやかなスキャンダル

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改良型牛肉麺(調理、撮影、東間嶺。以下キャプチャ以外すべて同じ)

小説と牛肉麺


■ 一ヶ月ほど前から、ここエン-ソフ上にて《回花歌》という小説の連載がはじまっている。上原周子さんという、北海道で文化人類学の研究をやっている人が書いていて、二十回ほど続く予定の作品は、いまのところ二回目までが掲載されている。

■ 【とある大陸の西方に位置する街】を舞台にするその物語は、《牛肉麺屋》を営む人々を中心に展開する。《牛肉麺》とは何か?牛と、肉と、麺。漢字が読める人間なら、伝聞でもそれがどういうものであるかは想像できるだろうし、実際、想像(するだろう)通りのものだ。Googleで画像検索すると、下のような図が出て来る。
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