エッセイ


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 那覇空港のLCCターミナルは非常に簡素な造りをしており、出国ゲートを抜けてからは特にお粗末なものだった。とはいえ、ようやくプロローグが終わり、本格的に旅が始まると思うと喜びと共にどこからか緊張感が湧き出してくる。

 福岡から沖縄まで搭乗した国内線も久しぶりだったが、国際線に至っては14年前にベルリンからの帰国便以来のことになる。
 僕は、再び乗り遅れるといったことはなく、21:45那覇空港発ピーチエア989便に乗り込んだ。出発時間は実際には少し遅れたかもしれないが、ともあれ僕と飛行機は無事に離陸した。

 正直に言って、すでに約5ヶ月が経過してしまったこの時のことはあまり覚えていない。 深夜便のLCCで食事は出ないが、小さな透明カップ入りの水だけは出ただろうか。しかし強く記憶に残っていることもある。
 パスポートナンバーのことだ。

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 本編に入っていきなりで不躾だが、まず旅の反省からはじめたい。

 一つは、次回は必ず改善しようと思っている荷物の問題だ。もっと荷物を減らすべきだった。
 上の写真は友人に頼まれて帰りの那覇空港で撮った今回の荷物だ。 このバックパックは小さく見えるが、ベルトで調節できるマチ幅がかなりあり、最大で35リットル程度入る。

 旅は身軽であればあるほど良い。そうは思いつつも久しぶりの旅で心配だったのだろう。結局バックパックのマチ幅は最大限に解放され、荷物は膨れ上がった。
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ダナンのゲストハウス

 僕は今、ベトナムのダナンという街にあるグリーンバルコニーという宿の軒先に設けられたテラスでこのまえがきを書いている。
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 小説を書くことが止められない。最初は作家になりたいと思って、就職活動みたいな気持ちで書いていた。新人賞に応募し、かすりもしなくても、根拠もなく自分は作家になれるのだと信じていたし、落ちても落ちても書き続けてきた。
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ヴェイユ肖像(出典:Wikipedia

ぼくの哲学との出会いは、2010年の夏頃にハイデガー『存在と時間』(細谷貞雄訳・ちくま学芸文庫)を読み直そうと試みたところから始まる。

『存在と時間』は1927年にドイツで刊行され、第二次大戦後フランスで起こった実存主義の運動に大きな影響を与えた書物だが、ふしぎなことにその実存主義を批判した構造主義の哲学にさえ影響を与えた。そのようなことは読書を続けていくうちに、とくに木田元先生の諸著作に触れることを通じて知ってゆくのだが、『存在と時間』をなんとか理解しようと努めていると(ハイデガーが研究した)ニーチェ、(ハイデガーの)ナチス加担問題、(ハイデガーが言及している)ヘーゲル、(ハイデガーの言う)"現象学"についての解説本を多数記している竹田青嗣、(レヴィナスの)ハイデガー批判などが気になり、『存在と時間』にむかう読書という幹が枝葉をどんどん増やしてしまった。

ぼくは2016年になってようやく『フランス現代思想史』(中公新書)を読む。「ドイツ哲学にばかりかまけていないで、たまにはフランス哲学にも目を配ろう」という気持ちに(ようやく)なるのに、6年かかったのだった。

さてその頃、Twitterでもいくつかフランス語を用いる哲学者のbotをフォローした。しばらく眺めているとそのなかに、妙に気になる、つまりツイート内容がちょっと不可解な=部分的に文意が不明なbotがあった。それが、Simone Weilのbotだったのだ。(レヴィナスbotも同時にフォローしたが、ほぼ何を言っているのか分からないbotだったので、取り付く島が無かった)

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キェルケゴール肖像(出典:Wikipedia

セーレン・キェルケゴール(1813-1855)の名前を初めて知ったのはいつだったろうか。ぼくがハイティーンだった頃に流行ったアニメーション『新世紀エヴァンゲリオン』の第拾六話のサブタイトル「死に至る病、そして」がきっかけだったのだと思う。TV版エヴァの後半は、登場する主要なキャラクターたちが、その実存に悩み苦しみ、徐々にストーリーが劇的に破綻していく展開で印象的だった。それはともかく、エヴァの劇場映画が公開された1997年ころぼくはこの作品にかなり熱中していたので、『死に至る病』というキェルケゴールの著作があることはすでに知っていたはずだ。しかし、手を伸ばして読もうとはしなかった。おそらく、その必要を感じなかったからだろう。 » すべて読む

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サンイシドロのゲートで、バラの花を売る男


前編から続く)

"「あんな奴らに金をやっているのか」"


今の会社に入社して最初の一週間は研修だった。会社のことだけじゃなく、ティフアナでの運転や電話のこともいろいろ教えてもらわないといけなかったので、マンツーマンでトレーナーがついてくれたのはありがたかった。

 

私が使っているアメリカの携帯電話は、国境を越えたメキシコでは電波を受信しない。なので、携帯電話ショップに連れて行ってもらって、メキシコの安価な携帯電話を購入した。その帰り、コンビニに寄ってコーヒーを買ったのだが、私の財布には大きな金額の紙幣しかなく、コーヒー代を払う小銭がなかった。

 

ここでトレーナーにコーヒー代を払ってもらうのに言い訳をする必要はなかったのかもしれないけど、当たり前みたいな顔をするのも嫌だったので、彼に「国境の人たちにあげちゃったんで、小銭がない」と言った。

「あんな奴らに金をやっているのか?」

彼は呆れたように言った。
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オタイメサのゲートで、米国入国審査を待つ車の列(以下、撮影はすべて筆者)


"はじめに"


米国の自宅からメキシコの職場への「越境」通勤も、2カ月になろうとしている。私はかつてメキシコシティやそれ以外のメキシコの都市に住んだことがあり、メキシコだからといって、特にびっくりするようなことはない。でも毎日国境を越える暮らしは初めてで、人間の都合で荒野に設定された「線」が人間の生活に大きく影響することを実感している。

メキシコへ自家用車で入国する場合、事実上審査はなく、パスポートを見せることもない。でも米国への入国は書類の審査があり、場合によっては車内やトランクの検査があり、相応の時間がかかる。タイミングが悪いと2時間近く待つことになると聞いていたが、実際その通りだった。そしてこれも予想していたけど、長い列を作って入国審査の順番を待つ車のあいだを、たくさんの物売りや物乞いが歩いていた。

2カ月のあいだ、彼らから教えてもらったこともあるように感じている。国境通過時に優先レーンを利用するパスが取れたので、彼らとももう会わなくなるけれど、忘れてしまう前に彼らのことを書いておこうと思った。

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ロングビーチのチベットセンター


前編から続く)

死について


人間が生きているあいだ、意識と身体は分かちがたく結びついている。でもそれは別々のものなので、ある時点で分離することになるが、それが死だ。ダライラマは、その関係を馬と騎手に例えて説明する。意識は騎手で、身体は馬だ。乗馬するためには騎手は馬が必要だし、馬のほうも騎手がいなければ走れない。馬を下りた騎手は、また別の馬に乗って進んでいくが、それが転生だ。違う馬でも、乗っている騎手は同じだ。


意識と身体の離別はとても辛い。生まれた時から片時も離れたことがない自分の身体と自分の名前を手放すことになる。長い間共に過ごした家族や友人、大事な思い出、大切にしていた所持品ともお別れだ。でも自分が自分でいることを完全に止めることができるのは、死ぬ時くらいかもしれない。だからこそ思惟を深める機会にもなるのだろう。

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はじめに

仏教の勉強を始めて日が浅い今の時点で、こういうものを書いて公開するのが妥当なのかどうか自信がなかった。でも、何年勉強しても完璧な自信がつくとは思えないし、それだったら今の時点で考えていることを書いておいてもいいかもしれない。また、米国に住んでいることもあり、英語で仏教の勉強をする機会に恵まれているが、(難しい漢字の言葉が出てこないのはありがたいけど、どういう意味なのか想像がつかないパーリ語やチベット語の言葉が出てくるという苦労がある)英語で勉強した仏教の話を、日本語で書いてみたいとも思った。私の心の中にある。仏教はこういうもの、という日本文化の枠内でのイメージは、今英語で学んでいる仏教のイメージと違う。そのギャップを、少しでも埋められるかもしれない。
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