[ATLAS]新たなる原子力の時代に


Nov. 11. 2015 "security guard"  Futaba, Fukushima
Nov. 11. 2015 "security guard"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)


"えんがちょ"を蒸し返す

◆ 朝、半年ほどチェックしていなかった小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 をまとめて読んでいたら、2月のある日の更新で、オダジマがまた、【原発のお話を蒸し返さねばならない。】と言っていた。Google Calendarの日付をみる。ああ、そういえば今日は11日で、震災から5年と三ヶ月を迎える日なのだった、と思う。

◆ 蒸し返すには、おあつらえ向きの日かもしれない。



正しいとか正しくないとか、良いとか悪いとか、論理的だとか感情的だとか、そういう真正面からの議論を展開する以前の段階で、われわれは、そもそも、異なった見解を持つ人間と対話を持つことそのものに気後れを感じるように育てられている。だから、ある臨界点を超えて論争的になってしまった問題に関しては、それについて自分がどういう考えを持っているのかとは別に、はじめからその問題に関与すること自体を避ける。

 原発は、そういうものになっている。

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写真:2015年のチェルノブイリ原子力発電所近郊空撮。現在も立ち入りは制限されている(© Google Maps、キャプチャ&補正=東間 嶺)

第一回(10/03~10/10)から続く。】

◆ 10月2回目の更新。約20日空いたが、思った以上に記録すべきニュースが多く、なんとも長々とした回になった。次からはもう少しコンパクトにしたい。

◆ 10月全体で特に印象的なのは、イギリスが中国製原発の導入、日本がイランの核支援を決めたことだ。どちらも、引き返せない一歩を踏み出した感がある。川内原発二号基再稼働&伊方原発三号基再稼働決定は驚くようなことではなかった。あとは、河野太郎議員の入閣と、《NPO法人ハッピーロードネット》が実施した国道6号線の清掃をめぐる炎上などだろうか。会の趣旨自体は理解も賛同もするのだけれど、地元の再生を願う活動が、櫻井よしこのように強く政治的な立場を持つ人たちと関わることは誤解のもとであり、賛成できない。《ハッピーロードネット》が、正面から原発を推進する政治運動なら、話はまた別なのだが。

◆ それでは、以下、11日のニュースから。
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写真:汚染水浄化設備群と処理水貯蔵タンクの山で、軍事施設か港湾の石油基地のごとく変貌を遂げた最近の福島第一原発。(© Google Maps:キャプチャ&補正=東間 嶺)

の噂も75日、という諺が、ある。諺、というもの自体が我が国では既に死につつあるのかもしれないが、とりあえず、そんな諺が、ある。ひとつの季節が終われば、どのような風聞であっても自然に消えゆくという内容だが、その時間感覚、タイムなスパンの意識は、現今の世界においては、あらゆる意味で妥当性を失っている。

れは、この世にまだインターネットという恐ろしい/素晴らしい情報インフラが無く、さらに、【炎上】という言葉が、文字通り【火が燃え上がること。特に、大きな建造物が火事で焼けること。(goo辞書)】だった時代の話だ。高度情報化社会が日々猛烈に高度化している2015年、【炎上】の勢いと、鎮火(忘却)のスピードは、季節どころか1日刻みで推移する。

なたは、国立競技場でイスラム国と佐野研二郎さんとピケティが在日でラッスンゴレライを8.6秒踊ったルミネのCMとクソコラグランプリのサインコサインを、覚えていますか?つまり、そういうことだ。
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#43 -Cleaning(family grave)- Futaba,Fukushima
May. 14-15. 2014 
"Cleaning(family grave)" Futaba,Fukushima(撮影:東間 嶺以下全て同じ)

んたってあいつら二万円余計に貰ってるんだからな。12万だ。直前まで昂った調子で怒りを訴え続けていた初老の男がふいに表情を緩め、嘲るようにそう言うと、集会所にすし詰めで座って男と同じように怒ったり憤ったりしていた人々のあいだに、どっと、同調するような笑い声が広がった。人々と対峙して訴えを聞いていたスーツ姿の男たち数人は笑わなかったが、と言って諌めたりたしなめたりすることもせず、淡々と受け答えを続けていた。スクリーン上に展開されたその光景は、上映された全体の記録の中ではごく僅かな、殆ど一瞬の時間の出来事でしかなかったにも関わらず、わたしは、なんだか凄まじいもの、酷くむごたらしいものを観てしまったかのような、正視できないほどのいたたまれなさを覚えた。〔二万円〕、というむき出しの言葉と、それに呼応する笑い声が耳にへばりついて離れなかった。
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【承前】:《 結界の内側にて-1 》から続く

  Chapter-4:"Contamination"(汚染)


◆ 静寂の中、周囲には線量計の発するピッという鋭い電子音が不規則に響いている。液晶画面を見る。0.61μSv/h。旧警戒区域とは思えない低さだが、それでも東京近郊の平均からすれば十倍はある。飛び交うガンマ線を捉える音と数字が、生身の肉体がその場で受ける被曝量によって、《体験》が上書きされたことをわたしに告げる。Street View車が撮影のために行き交い、わたしが墓参のために立っている土地がどのような場所なのかを、露わにする。

 
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"Traffic gate(with two security guards)" Futaba, Fukushima (撮影:東間 嶺)


"うわ、またこりゃざっくりした地図だなあ"。防護服姿の伯母が車内から示した通行許可証と、一時立ち入りのルートが「ざっくり」書かれたコピー紙を見るやいなや、郵便局前に設置された『ゲート』の前へ立つ初老の警備員二人は素っ頓狂な調子の困り笑いを辺りに響かせた。午後の日差しが強くなってきていて、ヘルメットに安物の綿マスク、汗が滲んでくたびれた水色のワイシャツ、そして『原子力災害現地対策本部』の文字が入った安全ベストという《ふつう》の格好をした彼らは、首を捻りながら何度も地図とゲートの向こうを見比べていた。
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◆ 三年前から現在へ。2011.3.11から2014.3.11へ。

◆ 今日であの東北の震災から三年が経って、明日は福島で最初に原発が爆発してから三年が経つわけだけど、《三年》、と一言でまとめてしまうとなにか実におさまりが良すぎるというか、それは「まだ三年」なのか或いは「もう三年」なのかみたいなこととも関係なく、実際に経過した時間というものの実質が抽象化されすぎてしまい、観念性に物理量が飲み込まれてしまうような気がして、だから実はあまり使いたくない言葉だったりもする《三年》《三年》、なのだけれども、とはいえ「三年経った」こと自体は間違いなくて、なんというか、唖然とするThree years later.

◆ で、まあ、そういうわけで、なんだかんだで《三年》、なのだけどまったくの偶然から、来月発売のとあるリトルマガジンに、わたしと、その三年前の2011年3月に内閣官房長官だった人物が、同じ多数の寄稿者の一人、という立場でテキストを書いている。

◆ エダノ、というそのどこか間の抜けた響きの固有名は、しかし2011年のあの3月において、今とは全く違う存在感を国内外の人々とわたし(たち)に感じさせていたはずで、エダノ!と改めて「」まで付けて発話してみると、あのとき彼がいかに国民からの《注目》を集めていたかということと、なんでまたそこまでの《注目》に晒されていたのかということの全体が、久しぶりに、まさに《三年》ぶりくらいにまざまざと思い出されてきて、具体的に過ぎ去った月日やその記憶は、そういった個別の、固有名の、さまざまなディティールによってこそ刺激され、意識に立ち上るのだということを強く感じる。

◆ だから、さあ、もう一度、エダノ!エダノ!エダノ!

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Tomoki-Imai-Semicircle-Law-4
今井智己 Tomoki Imai 『 "Semicircle Law" #25  2012.12.2 / 13.5 km Mt.Okura.』 Detail.
マッチアンドカンパニー刊(2013年)画像出典: gadabout.jp





  Chapter-1:結界の発生と消滅


◆ 2011年3月、東北地方が地震と津波に襲われた春、悲劇の土地の一部に【禁忌】の場所が生じ、【結界】が張り巡らされた。数十年前から土地と人々が奉じる【核】の神殿によって、その事態はもたらされた。【結界】と外を隔てる境の線は、複数の同心円、およびいくつかの飛び地を描き、内部への立ち入りは禁じられるか、厳しく制限された。二年と数ヶ月が過ぎたのち、自然科学の視点によるいくつかの観察結果と日本国政府の強い政治的意向から、【結界】は消滅し、姿を変えることとなった。

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                                                                                                        渋谷 2013.5.18 撮影:東間 嶺

◆ 5月18日の日曜午前に、当En-Soph(エン-ソフ)の背景やロゴマークなどを描いてもらった小崎さんと、渋谷の文化村で開催されているアントニオ・ロペス・ガルシアの回顧展を観に行った。13時過ぎに会場を出て、少し遅い昼食にしようと駅に向かって歩いていたとき、ふと、あの「子供たち」はいまどうなっているだろうかと思った。いまもこの都市の片隅で、あちらこちらで、発見されないメッセージ/プロパガンダとして存在し続けているのだろうかと思った。

◆ 幸いにも(?)小崎さんはまだ彼/彼女たちに一度も「遭遇」したことがないというので、「第16回渋谷・鹿児島おはら祭」によって全面道路封鎖された文化村通りから地下に降り、センター街へと向かった。

◆ 観光客や歩行者、祭りの見物客でごった返した通りからみずほ銀行とマツモトキヨシのあいだの角を曲がると、彼/彼女たちは、相変わらずそこに佇んでいた。以前とは違う姿で、あるいはずっと無残な状態で。

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   証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?
 【 国会事故調 2012年2月15日 班目春樹 】                   新潮社刊 「証言 班目春樹」


「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう」

◆ 事故から二回目の3月11日を迎えたと思ったら、あっというまに10日以上が経った。昨年の3月11日に、「ちょうど一年になる」とかなんとかFacebookやTwitterで呟いていたときから、本当にあっと言うまに、さらなる一年が過ぎたのだ。

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