ウツノウミカラ、キカンセヨ!


2012年8月11日


無職15日目。昨晩の飲み会の興奮の余波で朝4時ころまで眠れず。その後一度起きて、ベランダに洗濯物を干したあと、寝たり起きたりを夕方まで繰り返す。
寝たり起きたりを繰り返すのは無為かつ不毛なので止めたいが、最近これがクセになってしまっていて大変良くない。なんとかしたい。当然、妻の機嫌が良いわけがなく、墓穴のなかに更に穴を掘っているような気持ちがする。
 
» すべて読む

2012年7月30日

無職になって三日目。
何だか、肩の荷が下りたようだ。やはり気持ちがラクだ。
何かに所属しているということは、あんなにも不自由なことだったのだなと思わずにはいられない。
きょうは炎天下、飯田橋の健保組合事務所にて、健康保険の任意継続手続きをした。その足で、近所の保健福祉センターに寄り、自立支援の申請用紙一式をもらい、汗だくで帰宅。
自立支援(精神障害)は、病院での診察費用を通常の三割から、一割負担にするという魔法の一種で、魔法であるからには一年毎更新をせねばならない。
これをすると、パブリックな気違いとして役所に認定されるのである。いま思うところをいろいろ書きたいのだが、どうも頭の中がまとまらないので、きょうはこのへんにしておく。
 

» すべて読む

2012年7月10日

月末を以て退職することになった。
ショックである。
こういう時にも半端に高いプライドが邪魔をする。
そのプライド以上に今の自分には自信が無い。
自己評価の揺れが激しすぎるとわたしは思う。
ところでうつ病は治るのだろうか。治すという強い意志が必要なのだろうか。いろいろ分からない。分からないが、分からないなりに生きていくしかない。
無惨である。
しかし、人生はそんなものかもしれない。
わたしは自分の人生に、何をそんなに期待していたのだろう。

謎だ
 
» すべて読む
ここ最近、日がな寝てばかりいるので、毎日があっという間に過ぎてゆく。朝、妻に起こされ、母からもモーニングコールがケータイにかかってくる。時計を見ると7時を回ったばかりだ。まだ眠れる、どうせきょうも予定は何もない。ああでもとりあえず、朝ごはんは食べよう。モグモグ。 » すべて読む
2011年12月4日

風呂に入り、体に軟膏を塗り、湯たんぽを三つ作った。二つは妻が使う。わたしは残り一つの小さいものを使うが、夜中暑くなって布団から蹴り出してしまうこともままある。湯たんぽに使ったお湯の残りで、妻の同僚の韓国土産の菊茶を飲む。彼の国では、菊の花を煎じて飲む習慣があるらしく、面白いものだと思いながら、レッド・ガーランドの抑制的かつ端正なピアノの演奏に耳を澄ましていたら、まあ生きていても悪くないね、という気分になるもので、まったくお茶と音楽というのは偉大なものだと改めて思った次第。

しかし師走に入り、一段と冷え込んだり、暖かくなったりと、まったく気忙しいものである。とはいえわたしは自宅療養の身であるから、世間の動静にはとんと疎くなり、まあ、それでも世界は、地球は相変わらず回っているし、クラークの『幼年期の終わり』のように人類を超えた知的生命体が地球に飛来したという話も聞かないし、愛と憎しみとその中間くらいのあいまいな感情で先進国では労働者は生活に疲れており、アフリカではどんどん産まれる赤子が片っ端から死んでいっているのだなあ、と思う。何も変わらないと思うのは、家にこもっているわたしの心だけで、いわゆる客観時間があらゆる物事を少しずつ、しかし確実に変えていっているということはわたしも実は知っているが、今ひとつ実感に乏しいのはやはり毎日、幼児のように寝て暮らしているからだと思わざるを得ないきょうこの頃である。

» すべて読む
2011年10月15日

6時半起床。わたしと妻の結婚式なので、結婚式をした。神前式は明治時代に生まれたもので歴史が浅いが、神主の祝詞奏上もこれは仏教の影響を受けて生まれたもので、やっぱり発声の仕方も僧侶に似てるな~などと思いつつ、三三九度+ショウとヒチリキのアンサンブルにてしばしトランシーな良い具合になった。披露宴は極めてシステマティックに無事進行したが、魂は虚ろだった。現在の結婚式はあまりにも形骸化し過ぎており、産業化の度合いが甚だしい…などと陳腐に憤る気力も無かったが、このような仕組みで満面の笑みを浮かべられているご老体や朋友も散見されたので、結局やって良かったという結論に至り、まあしかしくたびれた、休職している身には。


» すべて読む
2011年10月2日

先日、わたしは自宅で酩酊して、「わたしは仏陀よりキリストより偉い」と口走った挙句、トイレの便器で嘔吐。妻によれば「ぼくが神なんだ。この世界はぼくのもののはずなんだよ。なのに何もかもうまく行かないんだ」とも言っていたらしく、さすがに寛容な妻も閉口したという。もちろん酔いが覚めたあとは妻に謝った。

昨日、精神科に行ったところ、主治医に開口一番「調子悪そうですね~」と言われ、会社に行けないことなど話をしたところ、薬の種類が変わり、経過観察しながら、休職も検討しましょうという話になった。一安心というか不安が増したというか複雑な心境だが、何もかもしたくないし、あまり死にたくはないのだが、とにかく寝ているのが唯一の楽しみで、我ながら頭がだいぶおかしくなってしまっていることは分かっているので、三年前、主治医に言われたことを思い出した。

「最終的には薬は止められると思います。ただ長い闘いになりますよ」。

全くその通りだ。人生の酷薄さを噛みしめざるを得ないが、やがてやや朗らかに暮らせる日も来るであろうと自らに言い聞かせて、前へ前へと進まざるを得ないのだ。ああ、なんと憐れで安っぽいヒロイズム無しに、わたしは生きられないのだろう。本当に憂鬱になる(鬱状態とは別な意味で)。もはや笑うしかない。

» すべて読む
[承前]

わたしは2008年の夏ころからうつの為、精神科に通っている。言うまでも無くウェブ上において、精神的に問題を抱えている人々がいろいろなことを書き散らしているが、わたしにとっては、うつであっても日々日記(のようなもの)を書くことが、命綱になった。そのようなあり方でしか、わたしはわたし自身をドライブすることができないのだということに改めて気づかされた。さいわい、休職して8ヶ月が経ち、うつの症状はかなり和らいで、多少己の人生に対する意欲もでてきた。これを機に、自らのうつがどんな具合だったのか、できる限りふりかえってみたい。このことによって、うつが悪くなったらすっぱり更新を止めるつもりだが、一人でも多くの方にうつがどんな具合の病気なのかを知ってもらいたいので、しばらくうつ日記のエントリとそれ以外のエッセイ、翻訳のエントリが交互にポストされることになる。どうぞよろしく。


» すべて読む
平成21年の夏、わたしはひどいうつ状態に陥っていた。当時、江戸川区東葛西で一人暮らしをしていたのだが、5日ほど布団から起き上がれず、仕方なく地下鉄東西線葛西駅前の心療内科に駆け込んだ。不眠を訴えたところ、ここは凄い藪医者で、いきなりロヒプノールという強い睡眠薬が処方されて、飲んで寝たら翌日左半身がしびれていて、驚いた。こりゃだめだと思って、精神科でカウンセリングを受けている友人に相談したところ、千葉県船橋にある病院を紹介してもらった。そこに通うようになってだいぶ良くなったのだが、平成23年の春に職場が大手町に変わり、夏ごろから再度うつが強くなり、希死念慮(要は脳内の具合によって死にたくなる)なども出てきて、とうとう休職するにいたった。 » すべて読む
NEW POST
関連本
CATEGORIES