ブータンについて


147
ギレとの再会

【チェレラの峠】ブータンについて---28から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

仲間たち

朝7時、ネテンの運転するSUVでパロのホテルを出発した。西へ向かって30分ほど走ったところに集落があり、ネテンはそこでSUVを停めた。一年半前のトレッキングの時にアシスタントをしてくれたギレが待っていた。懐かしくて、思わず記念撮影する。もう会うことは無いだろうと思っていたけれど、行動さえすれば、またこうやって会うこともできるのだ。

ここからトレッキングの出発地点であるシャナまでは悪路だ。ジャムソー、ネテン、私の3人は、ギレの運転するピックアップに乗り換えた。道は小さな集落をいくつも通り過ぎながら進む。路面は所々冠水していて、スピードは出せない。

10時少し前、やっとシャナに到着した。トレッキングのクルーが調理や食事、そして夜寝る時に使う赤いテントが張ってあって、その中から、ドルジが出てきた。こちらも前回のトレッキング以来で、言葉はあまり通じないけど再会を喜び合った。ジャムソー同様、ドルジも勤めている旅行会社の仕事を休んで、私のトレッキングに同行してくれたのだ。 » すべて読む

141
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

高山病対策

今回のトレッキングは標高の高いところを歩く。キャンプ地の標高はどこも4,000メートルくらいで、12日間のトレッキングの間に5つの峠を越える。一番高いのは8日目に超える予定になっているシンチェラの峠で、標高は5,000メートルもある。十分な高山病対策をする必要があった。

高山病というと、頭痛やめまい、吐き気などの症状が思い浮かぶけれど、重症になると死亡することもあり、状況によっては緊急下山や病院での手当が必要になる。ジャムソーがトレッカーの高山病に気を使うのは当然だった。ブータン到着翌日は高山病対策で高地で身体慣らしのハイクをすることになった。

私がタクサン僧院へ行くのはいやだと言ったので、チェレラの峠が行き先になった。チェレラの峠は標高3,899メートルだ。峠近くまで車で行って、峠の周辺をハイクするという計画だ。 » すべて読む
137-1
ブータンのビザ書類に記載された旅行日程


ブータンのあとで】ブータンについて---26(完)から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

ネテンへのメール

2014年のブータン訪問から、一年半が経とうとしていた。4月の上旬、私はまたカリフォルニアから飛行機に乗って、ブータンへ向かっていた。

二匹目のドジョウを狙うのは愚かなことで、そんなことはしないように日頃から気をつけている。だからブータンでの日々を懐かしく思い出すことはあっても、再訪については慎重に考えていた。でもいつか、また行きたいという気持ちと、再訪するのはばかげているという二つの考えのあいだを、行ったり来たりするのに疲れてしまった。

迷っていることに疲れるくらいだったら、「もう一度行く」ということにしてしまったほうがいい。
昨年の初夏、そんな結論に辿りついた。 » すべて読む
136-2
サクテンの村のネコ


【出発の朝】ブータンについて---25から続く

(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


1

帰宅のための長い旅のあいだも、日記を書き続けた。そうする必要があった。



「無理だ、なんて今から思ったらダメだ。明るく元気に輝いて生きることが私の義務だと思うのは、荷が重すぎる。私が幸せであることを願っている人もいるのかもしれない。そう信じよう」

「この旅が自分を変えると、過大な期待をするのは強欲だ。ではどうすればいいのだろう。かけがえのない経験、お金を払ったという事情があるにせよ、友情を味わいながら日々を過ごした。こんなに幸福なことがあるだろうか。誰かを愛し、友情を分かち合うこと。それが別の誰かを幸せにするだろうか」
 


バンコクに一泊して、翌日マニラでロサンゼルス行きの飛行機に乗る頃には、旅が終わり帰宅するということを納得できるようになっていた。時間の経過には、そういう効果がある。金曜日の夜、旅の一歩を踏み出してからちょうど3週間後、ただいま、と言って誰もいないアパートのドアを開けた。

私は家に帰った。
  » すべて読む

132
ブータンでただ一つの国際空港、パロ空港

(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

最後の歌

サクテンに連泊した時ほどではないが、明け方に体調を崩して、薬のお世話になった。そんなに疲れているとは思えなかったが、情緒の方がへとへとなのだろう。ブータン入国以来、いやカリフォルニアの自宅を出発以来、いろんなことがありすぎた。

気持ちのよい寝覚めではなかったが、予定通りに出発の準備をして、9時にホテルの車寄せでジャムソーとネテンを待った。ふたりともまだ来ていなくて、ポーチに置かれたテーブルで日記を書いた。

しばらくすると、向こうから二人そろってこちらへ歩いてくるのが見えた。彼らは「食べるから」という仕草をして、そのままキッチンへ続く階段を上って行った。昨夜、「急ぐことはないから」と言われていたので、こんなことじゃないかと思ったが、案の定だ。でも本当に急ぐ必要はないので、テーブルで日記を書き続けた。

アジア系の団体さんを乗せたバスがホテルに到着した。早朝のフライトでパロ空港に到着したのだろう。ホテルの建物のブータン風の外装や庭園に感激したツーリストたちが、楽しそうに記念撮影している。

もしグループで旅行したら、私もあんなふうに振舞うのかなあと、ぼんやりと彼らの行動を眺めていた。

そのあいだ、ホテルの従業員たちが色とりどりのラゲッジをバスから積み下ろす。荷物を下ろすと、ツーリストたちはバスで出発した。私が昨日見学したパロのゾンか、それともタクサン僧院へ向かうのだろうか。 » すべて読む

130

【パロへ】ブータンについて---23から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

パロのファームハウス

この日の午後、ストーンバスに入りたいかどうか聞かれた。
これは出発前にカルマからもらった旅程表にも書いてあったが、どういうものなのかイメージがわかなかった。

ジャムソーに訊ねると、焚火の中で赤くなるまで石を熱して、その石を水に入れて湯を沸かすのだという。石のミネラルが湯にとけだし、薬効がある。タクサン僧院の帰りに穴から墜落してしまったし、打ち身の手当てにはちょうどいいかもしれない。

入りたい、と言うと、ジャムソーが予約を入れてくれた。場所はパロ近郊の古い農家を改装した建物で、そこで夕食も食べるようだ。ツーリストの多いホテルのダイニングで食べるより、落ち着けるだろう。 » すべて読む

123
タクサン僧院


【カルマに会う】ブータンについて---22から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

メッセージ

翌朝、モーニングコールはなかった。

目が覚めたのは5時50分。顔を洗って着替えて、ロビーに降りたのがちょうど6時だった。ロビーは常夜灯がついているだけで、フロントデスクの中で毛布をかぶった夜勤が眠っていた。ジャムソーたちはまだ来ていない。フロントデスクの横に宿泊客用のパソコンがある。昨夜は子供がゲームをしていて使えなかったが、この時間なので誰も使っていない。手元が暗かったが、タイプミスだらけの短いメッセージを友人宛に送った。

…ブータンの首都、ティンプーから。明日、ブータンを発つ…帰宅は金曜日の夜…

永遠に続く旅なんてない。もうすぐ帰宅するのだ。

» すべて読む

118
ティンプーの目抜き通りを歩く人たち


【首都、ティンプー】ブータンについて---21から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

午後の街で

午前中に見学した工場で作ったお線香を売っている店があるというので、食後に出かけた。これも雑居ビルの2階にある、小売店というより卸売りの問屋のような、薄暗くて活気のない場所だった。帳簿係の女性が一人いるだけだ。お線香はたくさんあったが、何も表示がなくて、どういう種類のお線香で値段がいくらなのかわからない。商売っ気はまるでなかった。
» すべて読む

111
ティンプー、遠景。ぼんやり霞がかかっている。


【プナカへ】ブータンについて---20から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

首都へ

ドチュラの峠からティンプーまで、そんなに遠くない。最後の通行止め地点を通過し、車は順調に走り出す。疲れていても、都市に到着するという高揚感があった。そしてジャムソーたちの、久しぶりに帰宅するという安堵の気持ちを、私も感じとることができた。

山道はいつの間にか舗装の整った高速道路になった。両側の山肌を埋める建物が見る間に増える。ティンプーは山にはさまれた平原に発展した都市だ。東京やバンコクのような密度はなく、ちょっとスカスカした印象だったが、それは紛れもない『都市』で、高速道路はその真ん中に滑り込んでいった。

この国に、こんな所があるんだ!

2週間前にサンドゥルップで入国して以来、ずっと小さな村や町を旅してきた。ジャムソーは、ブータンの都市はティンプーだけであとはみんな『町』だと言っていたが、それは本当だった。

ティンプーは別格だ。
» すべて読む

108
丘の上にあるチミラカンの寺。周囲は公園のようになっていた。


【プナカへ】ブータンについて---19から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

チミラカンの寺で

プナカゾンを見学できないのは、残念というより、そういう巡り合わせのような気がした。もしかしたら将来、年取ってから来ることがあるのかもしれない。あるいは、見る必要のない場所なのかもしれない。

SUVに乗り込み、チミラカン寺のあるメッシナに向かう。プナカからは少し距離があり、ティンプーへ向かう途中だ。ネテンが道路沿いに車を止め、そこからチミラカンまで、水田の間を通る村の道をジャムソーと歩く。プナカゾンと同様、ここもいちおう観光スポットだ。車を止めて、さらに歩かなくてはいけないから、周辺が観光客でごった返しているということはないが、ガイドに付き添われた欧米人シニアのカップルがちらほら参拝している。

私もいずれは年を取るからこんなことを考えてはいけないのだが、どこもお年寄りのツーリストばかりで、それを眺めていると自分まで老け込んだ気分になる。ガイドに手を引かれた白人のおばあさんが、寺へ続くゆるい坂道を大儀そうに上って行く。

東ブータンでトレッキング中に出会った、時には幼いと思えるほどの顔立ちの人たちが懐かしくなった。

この日はジャムソーはおとなしく、落ち着いた様子だった。食事の場所についてリクエストを出すにはいいタイミングかもしれない。歩きながら、切りだした。
» すべて読む
NEW POST
関連本
CATEGORIES