MOVIE&レビュー


 ※注。新刊『仮説的偶然文学論』(月曜社)がとにかく売れてほしい。 そういうわけで、意気込みを示すために、ディズニー&ピクサー作『リメンバー・ミー』に関する評論を書き下ろした。あまり偶然と関係ないと思われるだろうが、「誤ること/謝ること」に関しては関係しなくもないだろうと思っている。読んで面白かったら新刊の方はこの3倍は面白いので是非買ってほしい。面白くなくても本は面白いので是非買ってほしい。是非買ってほしい。どうぞよろしく。

仮説的偶然文学論 (哲学への扉)
荒木優太
月曜社 2018-05-24


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 ※注。新刊『仮説的偶然文学論』(月曜社)がとにかく売れてほしい。 そういうわけで、意気込みを示すために、ディズニー&ピクサー作『リメンバー・ミー』に関する評論を書き下ろした。あまり偶然と関係ないと思われるだろうが、「誤ること/謝ること」に関しては関係しなくもないだろうと思っている。読んで面白かったら新刊の方はこの3倍は面白いので是非買ってほしい。面白くなくても本は面白いので是非買ってほしい。是非買ってほしい。どうぞよろしく。

仮説的偶然文学論 (哲学への扉)
荒木優太
月曜社 2018-05-24


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今年みた映画---2017年上半期その1
"視える美、視えない愛" 2017年の映画---上半期3位『ブラインド・マッサージ』より続く

2位:『太陽の下で-真実の北朝鮮-』/ヴィタリ・マンスキー

 

劇場:2月後半、シネマート新宿で。

なぜジンミは泣いたのか


…あなたにも考えてほしい。ジンミはなぜ泣いたのか。この命題は、なぜこのカットをラストに使ったのかと言い換えてもいい。そこにはきっと(マンスキー監督の)真実がある。明瞭な輪郭は持たないけれど、とても大切な真実だ。


■ 森達也がパンフレットに寄せた思わせぶりな一文を読みながら、YouTubeの有料レンタル(驚きの高画質!)を利用して、再びこの映画を、観ていた。一週間ほど前には、北朝鮮の国営放送局、朝鮮中央放送が『特別重大報道』として、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験成功を発表していた。Twitter中毒の疑いがかけられているアメリカ合衆国大統領ドナルド・J・トランプは、すぐさまツイートで『応酬』したが、その内容は「日本と韓国がだまってないだろう」という投げやりなものだった。日本国内の自称/他称の軍事評論家や退屈しきったネット民は、「これで戦争になる」「反日朝鮮人を滅ぼせ」などと沸いていた。
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今年みた映画---2017年上半期その1から続く

3位:『ブラインド・マッサージ』/ロウ・イエ


劇場:1月後半、アップリンク渋谷で

(※ 現在はUPLINK Cloudでオンライン動画のレンタルが可能)。



「視えない人」のセックスってすごいですね


■ 知人の彼女がこの映画を観終えて、最初に言った感想だという。そのひとは下北沢とか中野が象徴するカルチャーの大好きな、いわゆるサブカル女子(大学生)で、これまでロウ・イエの映画を観たことがない、という話だった。「ほかのも、こんな感じなんです?」そう問われた知人は「まあ、そう…かも?」と曖昧に答えたらしい。

■「こんな感じ」が、どんな「感じ」なのかは、もう少し彼女にことばの解像度を上げて貰わないと分からないのだけれど、ロウ・イエが一貫して映画で追い求めてきたものという意味ならば、『ブラインド・マッサージ』は、その「感じ」がもっとも濃密にあらわされた、たぶん、いまでで一番の作品なんじゃないかと思う。
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2017年上半期の映画

■ 映画を観たことについて、書くタイミングを失うことが、多い。とりわけ、映画館まで出かけたそれについて。

■ べつにたいした理由があるとかではなく、わざわざ外出までして観た映画について、いいとか悪いとか、思ったことをなるべく正確に書こうと思ってウダウダしていたら、いつのまにか「ハ?いまシン・ゴジラについて書くとか言ってる君の名は?」みたいに、それに言及すること自体がKY化しているからだったりする。
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ゴジラが鎌倉海岸から日本に再上陸した。
 その姿があまりに神々しく見え、ぼくは劇場でボロボロと泣いた。 

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 (C)2016 TOHO CO.,LTD.


【途絶えることのない「ゴジラ」シリーズ】

 庵野秀明監督の話題作「シン・ゴジラ」は、はっきりいってしまえば、諦めの映画である。もっといえば、祭りのあとですらある。それは庵野監督自身が一番知っているに違いない。
 庵野作品をほぼ観ていない私は、庵野監督の手法をどうこう語れる立場にない。しかしながら、初代「ゴジラ」を観れば、「シン・ゴジラ」がそれのオマージュとなっていることは明らかだろう。後者においても、ゴジラは凍結されたまま、死ぬことなく映画は終わる。歴代の「ゴジラ」においても、ゴジラは決して途絶えることがなかった。それが意味するものは何か。なぜ、ゴジラは続いてきたのか。映画「ゴジラ」シリーズを考えるとき、そこを素通りすることはできない。


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神秘の顕現、ドライヤー 『奇跡』


 カール・テオドール・ドライヤー監督の『奇跡』1955年)をdvdで再視聴した。厳格に構築された映像美には何度見ても驚かされるが、それにしても腑に落ちないのは、すべての伏線が一挙に回収される大団円的な結末である。 » すべて読む


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撮影:中島水緒、デジタル編集:東間嶺

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 文章を書く者はいつも、「自分はなぜ書くのか」という問いの周辺を堂々巡りして、その核となる部分を言い当てられずにいる。書く作業を「未来のわからなさ」に向けて自分を投げ出すようなものとするならば、テキストを書き直す行為は、季節を跨いでこの「わからなさ」と再びつきあうことの表明となる。本稿は、2014年製作の私家版テキスト(「恋愛映画」は誰のためにあるのか―「(500)日のサマー」における「真実」と「言葉」)を加筆修正し、若干の変奏を加えたものである。
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 今年のはじめ、デビッド・ボウイの突然の訃報が駆け巡ったとき、多くの追悼文のなかに「日本の少女漫画に与えた影響は大きい」という意味のコメントを目にした。少女漫画の美麗な男子キャラがボウイのルックスをモチーフにしていた、ということなんだろうか。ほかの意味もあるのかもしれないが、少女漫画に疎い僕にはよくわからない。ただ、同じように少女漫画が好みとする金髪碧眼のスターとして、ヘルムート・バーガーの名前を挙げてもそれほど的外れではないだろう、とは思う。

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