ART&レビュー


大友
(撮影:さえきかずひこ、デジタル編集:東間 嶺)

 2014年11月22日から2015年2月22日まで初台インター・コミュニケーション・センター[ICC]で開催された【大友良英 音楽と美術のあいだ】展に、会期後半である1月23日に足を運んだ。ぼくの個人的な記録によればその前にICCを訪れたのは、2005年3月21日(【アート・ミーツ・メディア:知覚の冒険】展)であり、約10年ぶりの訪問だった。 » すべて読む

20141101155516


He saw a family consisting of the father, and mother with 2 boys and a baby. Keith saw father take the baby and throw it from the cliff into the water far below, and then he pushed the other children off the cliff. After that he pushed his wife and then jumpded himself. Keith and his men got there and saw guy still floating alive, so they shot him.

(断崖の上で)彼は父親と二人の男の子の手を引き赤ん坊を抱いた母親の一家を見た。その父親が赤ん坊を取り上げると断崖から遥か下にある海面へと投げ入れ、それから二人の男の子を突き落とし、妻の背中を押した後、父親自身も飛び込んで行ったのをキースは目撃した。キースとその仲間達が一家が飛び降りた場所に到着すると、父親が海面から浮かび上がってまだ生きている事が判ったので、彼等は父親に向けて銃を撃った。(拙訳)

Richard Carl Bright "Pain and Purpose In the Pacific: True Reports of War"


 
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shintaku-1 (1 - 1)
#01 " LIFE feat / 牛丼の滝(Cup noodle Seafood )" 


Flickr Photo album
LIFE feat/牛丼の滝 】---
流れ(落ち)るのは我が涙、ではなく牛丼、生卵、味噌汁、お新香、チーズ、カップ麺、そば、焼きそば、など--- 
https://www.flickr.com/photos/108767864@N04/sets/72157648592726737/


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承前【新宅睦仁個展『牛丼の滝』のご案内】
http://www.en-soph.org/archives/40544636.html

2014年10月2日(木)〜10月14日(火)の日程で高知県の沢田マンションギャラリーroom38にて開催しておりました個展「牛丼の滝」が終了いたしました、ましたましたと、すべての表現が過去形になりましたので、間違いなく終了いたしました。ました。 

ご関心をお持ち頂いた方々、並びにご来廊いただきました方々には心より御礼申し上げます。特にインスタレーション用の映像素材として、牛丼の食事風景の撮影にご協力くださった20名近い方々には心より感謝いたします。また、遠方よりご足労いただきました友人諸氏に両親、岡本さんはじめ沢マンメンバー、その他SNSなどネット上でいいね!やリツイートボタンの押下に指先を痛めてくださった皆様方にも改めて御礼申し上げます。 

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【新宅睦仁個展『牛丼の滝』】
沢田マンションギャラリーroom38
http://sawaman-room38.com/web/


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拝啓

時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

この度、2014年10月2日(木)~10月14日(火)に、高知県の沢田マンションギャラリーにて新宅睦仁個展「牛丼の滝」を開催いたします。

当展覧会では、新作の平面作品を数点と、3メートルを超える平面作品と映像を組み合わせた、ある種のプロジェクションマッピングを思わせるインスタレーション作品の展示を予定しております。

是非多くのお客様にお越しいただきたく、ご案内申し上げます。

何卒宜しくお願いいたします。

敬具
 
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”マイクロフィッシュ”

デジカメやスキャン、ハードディスクなどの記録媒体にほぼどんな情報も収められる今日では、普段の生活で見かけることはないだろう。図書館などで、電子化され損なった程度に古い新聞記事を閲覧する時位しか利用する機会を思いつかない。

テキストやイメージなどの画像情報を縮小する試みは写真の発達と共にあった。
複数の情報をなるべく小さくして纏め、離れた場所に送し、そして読む際には拡大展開するという情報伝達システムは19世紀の中ごろに開発され、発展した。写真を極小サイズへ変換することに成功した発明者はフランス人写真家、ルネ・ダグロン(Dagron, Prudent René-Patrice)。しかし、彼はその技術を初めから遠距離間における情報伝達の手段に用いようとしていたわけではない。
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転載元:大村益三【〈B術の生態系〉Bな人のBな術(2013年02月13日更新)】 
 


「東京が変われば、日本が変わる」。恐らくそれは「西欧が変われば、世界が変わる」と同じ様な意味を持っている言葉だったに違いない。「東京が変われば、日本が変わる」が、「東京が変われば、東京以外は否応なく巻き込まれる」なのか「東京が変われば、東京以外の手本になる」なのかは判らない。いずれにしても、「東京」が示した現実としての「変わる」が、慨嘆の対象であるかもしれない「選挙の有名無実化」等々であるならば、「東京が変われば、日本が変わる」という題目を「日本」が受け入れる限り、「日本」もやがてそう「変わる」べきなのであろう。「東京が落ちる所まで行けば、日本も落ちる所まで行く」(=死なば諸共)。しかしそれは御免被りたい。

「東京」の展覧会巡りの続きを書く。
(転載者注:前エントリ→【イーサン・ハントのフラッシュバック】) 
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「PTSD」という言葉が精神医学に於いて初めて登場したのは1980年になる。「アメリカ精神医学会(APA)」が定め、「世界」的に使用されている精神障害に関するガイドラインである「DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断・統計マニュアル)」の、「DSM-III(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Third Edition)」というバージョンに、当時の「アメリカ国家」の社会制度的変容の要請もあって、その語は些か拙速に誕生した。「DSM-IIII」はその小改正版である「DSM-III-R」(1987)から、「DSM-IV」(1994)、「DSM-IV-TR」(2000)を経て現在の「DSM-5」(2013)へと至る。「DSM-III-R」までに存在した「通常の人が体験する範囲を越えた(experienced an event that is outside the range of usual human)」という、専ら「ヴェトナム帰還兵」を想定していた表現を改めた「DSM-IV」から、「PTSD」の「診断基準(criteria)」を引用する。尚「アメリカ精神医学会」が公認する、味わい深い日本語で訳された同書に於ける「PTSD」の「公式」的な和訳は「外傷後ストレス障害」である。
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それが「三年殺し」になるのか「七年殺し」になるのかは判らないが、東京の展覧会巡りで相当の距離を歩いたので、これを書いている身体の疲労はピークに達している。

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