ART&レビュー


連載【芸術とスタンダール症候群】とは?

筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。

連載の流れは以下のようになる。

 1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
 2. スタンダール症候群の説明
 3. スタンダール症候群が出る作品
 4. スタンダール症候群が出やすい条件
 5. 芸術の本質とは何か?




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『辰野登恵子アトリエ』三上豊編・著、桜井ただひさ撮影、せりか書房、2017年



アトリエ---「死者」の遺せしもの

2014年、画家・版画家の辰野登恵子が転移性肝癌のため64歳で逝去した。辰野は1980年代に抽象と具象のはざまにあるような油彩作品でスタイルを確立した画家だ。美術館での展示経験も多く、2003年からは多摩美術大学で教鞭を執り多くの後進を育てた。現代美術界ではその名を知らない人はほとんどいない巨匠のひとりである。
デビュー当時から高い評価を得て精力的な活動を展開してきた辰野だが、とくに大学勤めが始まってからは制作基盤の見直しを考え始めていたようだ。腰を据えて制作に臨める新しいアトリエを欲し、杉並・下井草の閑静な住宅街に念願となる半地下構造の住居兼アトリエを新築したのは、辰野が逝去する8年前、2006年のことだ。
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吉川陽一郎《歩く人》+東間嶺《コウイとバショのキオク---吉川陽一郎》会場風景/撮影:東間嶺

告知:コウイとバショのキオク---吉川陽一郎

■ 12月2日から17日まで、水道橋のオルタナティブ・スペース《路地と人》で開かれている吉川陽一郎氏の個展《歩く人》と連動し、わたしも同スペースで写真の展示を行っています(5、12日火曜は休み。FBイベント公式)。

■ 旧いビルの一室に巨大な私的空間(トイレ)と奇妙な機械仕掛けのオブジェを出現させる『歩く人』、それがアトリエでつくられた過程の一部と、さらに同じ場所で一年十ヶ月前に発表された吉川氏の個展《裏無いの小部屋》の記録写真を混ぜあわせ、複数の記憶が相互に重なり合うような空間の形成を目論んでいます。
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田代一倫『ウルルンド』(発行:KULA、2017年)


あわいに漂う写真

 9月に刊行された田代一倫の写真集『ウルルンド』(KULA、2017年)を折に触れては眺めている。「ウルルンド」とは竹島/独島の近くに浮かぶ韓国の離島。ハングルで「울릉도」、漢字名で「鬱陵島」と書く。
 田代は今年の2月と5月にこの小さな島を訪れ、数日間の滞在中に出会った現地の人々を撮影した。前作の写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島 2011~2013年』(里山社、2013年)が2年間に撮影期間が及ぶ長期のシリーズで、453点もの肖像写真を収録した大作だったことを思えば、「ウルルンド」をめぐる2つの取材旅行はごくささやかな規模である。B5変形72頁の小冊子という体裁をとった本書は、旅のささやかさを仕様においても体現していると言えよう。
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吉川陽一郎《行為が態度になる時間》/撮影:東間嶺


引込線2017:吉川陽一郎《行為が態度になる時間》

■ 8月26日から9月24日にかけて、所沢市の廃止された学校給食センターを利用した、《引込線2017》という比較的大きな規模の美術展が開かれている。屋内外に広がる会場の入口付近では、参加作家の一人である吉川陽一郎氏が《行為が態度になる時間》と称された、〈実演〉を途切れなく行っていて、そばに置かれた大きなジェラルミン・ケースには、かれが自身の、いままさに行っている〈実演〉を木版画として刷ったものが四種並べられ、一枚200円で販売されている。

■ そして会期途中の9月3日日曜日から、そのジェラルミン・ケース上には、わたしの作った箱入りの写真/オブジェクト《行為のような演技が撮られたことは間違いないだろう》も並べられている。二年前、同じ場所で開かれた《引込線2015》で吉川氏が行った一連のパフォーマンス(〈実演〉ではない)、《行為のような演技をすることに間違いないだろう》を撮影したもので、のべ210枚ほどの写真を蛇腹のような形態につなげたものだ。公式の出品作というわけではなく、〈実演〉に付随した展示物、ぐらいの位置づけだろうか。
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(fig.1)秋本将人《ツヤと軽やかさが共存した揺れ感ストレートに視線が集中》(左上から右下: ホワイト, ブロンド, グレー, レッド, ブラウン, ブラック)(2013、鉛筆、ニュースプリント紙、29.7×21.0センチ)。*ヘアスタイル、タイトルに使用したフレーズは『大人のための美人ヘアカタログ〈2013年春夏号〉』(宝島社)を参考、引用


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連載【芸術とスタンダール症候群】とは?

筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。

連載の流れは以下のようになる。

  1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
  2. スタンダール症候群の説明
  3. スタンダール症候群が出る作品
  4. スタンダール症候群が出やすい条件
  5. 芸術の本質とは何か?



『龍安寺の石庭を解明する-2』から続く)

黄金比と美意識---〈数の機能〉


※ 黄金比の現れとして有名なオウムガイ

龍安寺石庭について、前回は実際に石庭の図を見ながら配石比率を検討し、おおよそどのような規則性が考えられるかを書きました。今回は、そこに現れていた数字の意味についてさらに考えてみたいと思います。

まず、私が出した暫定的な結論をもう一度見て下さい。
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連載【芸術とスタンダール症候群】とは?

筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。

連載の流れは以下のようになる。

  1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
  2. スタンダール症候群の説明
  3. スタンダール症候群が出る作品
  4. スタンダール症候群が出やすい条件
  5. 芸術の本質とは何か?


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『幸福否定』と『芸術』と『スタンダール症候群』


久しぶりの投稿になります。
2012年から2014年まで【幸福否定の研究】を連載していた渡辺です。

あれから数年が経過し、自身の認識に様々な更新があったため、また新しく連載をはじめようと思いたちました。『スタンダール症候群』という奇妙な現象の研究を踏まえながら、「芸術の本質とは何か?」を探る試みです。
 
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 人はなぜ歌うのか。人は歌によって、どこに赴こうとするのか。


 木村敏は有名な「あいだ」の概念を説明する際、しばしば合奏の例を用いた[註1]。木村によると、理想的な合奏が成立するためには、音が合うということより以前に、まず「間」が合わなければならない。「間が合う」とは、演奏者一人ひとりの「内部」で鳴っている音楽が、同時に他の演奏者との「あいだ」の場所=「虚の空間」でも鳴っているような事態である。では、複数の演奏者が楽器音のタイミング(間)をピタリと合わせられるのはなぜか。相手が奏でた音を聴いてから自分の音を発するのでは、わずかとはいえどうしても遅れが生じてしまう。

 木村の考えはこうだ。演奏者はこれから演奏する音や休止を予期的に先取りし、そこに演奏行為を合わせていくことで周囲と音楽を成立させているのではないか。われわれが経験するのはいつも、すでに演奏された音楽の知覚もしくは記憶であるか、これから演奏する音楽の予期のどちらかである。つまり、タイミング(間)を合わせるために演奏者が意識を集中させるのは、自分の頭の中で鳴っている仮想的な旋律なのだ。


 表出された音ではなく、いまだ実現していない音に照準を合わすという考えは面白い。「理想的な合奏」という全体像に同期するために、個々の演奏者はおのれの内部へと意識を閉ざす必要があった。これは、楽器演奏だけでなく合唱の場にも当てはまることかもしれない。調和に向けて「個」と「全体」が溶け合い、演奏者(歌い手)の意識と身体が開きつつ閉じるような状態。矛盾に思える様態も具体例に即して考えれば腑に落ちるときがある。私が木村の合奏論から思い出したのは、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミュラーによるサウンド・インスタレーション作品40声のモテット》2001)だった。


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