連載【芸術とスタンダール症候群】とは?
筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。
連載の流れは以下のようになる。
1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
2. スタンダール症候群の説明
3. スタンダール症候群が出る作品
4. スタンダール症候群が出やすい条件
5. 芸術の本質とは何か?
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連載【芸術とスタンダール症候群】とは?
筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。
連載の流れは以下のようになる。
1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
2. スタンダール症候群の説明
3. スタンダール症候群が出る作品
4. スタンダール症候群が出やすい条件
5. 芸術の本質とは何か?
(fig.1)秋本将人《ツヤと軽やかさが共存した揺れ感ストレートに視線が集中》(左上から右下: ホワイト, ブロンド, グレー, レッド, ブラウン, ブラック)(2013、鉛筆、ニュースプリント紙、29.7×21.0センチ)。*ヘアスタイル、タイトルに使用したフレーズは『大人のための美人ヘアカタログ〈2013年春夏号〉』(宝島社)を参考、引用
連載【芸術とスタンダール症候群】とは?
筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。
連載の流れは以下のようになる。
- 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
- スタンダール症候群の説明
- スタンダール症候群が出る作品
- スタンダール症候群が出やすい条件
- 芸術の本質とは何か?
木村敏は有名な「あいだ」の概念を説明する際、しばしば合奏の例を用いた[註1]。木村によると、理想的な合奏が成立するためには、音が合うということより以前に、まず「間」が合わなければならない。「間が合う」とは、演奏者一人ひとりの「内部」で鳴っている音楽が、同時に他の演奏者との「あいだ」の場所=「虚の空間」でも鳴っているような事態である。では、複数の演奏者が楽器音のタイミング(間)をピタリと合わせられるのはなぜか。相手が奏でた音を聴いてから自分の音を発するのでは、わずかとはいえどうしても遅れが生じてしまう。
木村の考えはこうだ。演奏者はこれから演奏する音や休止を予期的に先取りし、そこに演奏行為を合わせていくことで周囲と音楽を成立させているのではないか。われわれが経験するのはいつも、すでに演奏された音楽の知覚もしくは記憶であるか、これから演奏する音楽の予期のどちらかである。つまり、タイミング(間)を合わせるために演奏者が意識を集中させるのは、自分の頭の中で鳴っている仮想的な旋律なのだ。
表出された音ではなく、いまだ実現していない音に照準を合わすという考えは面白い。「理想的な合奏」という全体像に同期するために、個々の演奏者はおのれの内部へと意識を閉ざす必要があった。これは、楽器演奏だけでなく合唱の場にも当てはまることかもしれない。調和に向けて「個」と「全体」が溶け合い、演奏者(歌い手)の意識と身体が開きつつ閉じるような状態。矛盾に思える様態も具体例に即して考えれば腑に落ちるときがある。私が木村の合奏論から思い出したのは、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミュラーによるサウンド・インスタレーション作品《40声のモテット》(2001)だった。