せっかくだから沖縄初日のことについて書いておこう。
7時すぎ、羽田空港発の飛行機に乗り、大体10時に那覇空港に到着。到着時の天候は悪く、多少小雨が降っていた。後で延々記すようになると思うが、僕が訪れた間中ずっと沖縄の天気模様は雨か曇りで、いわゆる常夏の島のイメージを与えてくれることは殆どなかった。雨が降るたびに、「沖縄アホなのか」と僕が考えたことはいうまでもない。後で聞くところによると、大陸の高気圧の張り出しに伴うその連日の雨は例年と比べても異常なもののようだったらしい。運の悪さに辟易である。 運易である。
そんなわけで、空港から出発し、僕はとにかく歩いた。空港出口を出て右側(南方面)を歩いていくと、フェンスで囲まれた航空自衛隊の那覇基地の隣りを微妙な上り坂で数十分歩き続けることになる。
大体こんな経験をすると、誰もが軍隊撤廃論者(護憲パワーで世界を救え(笑))になるものだ。見えてくる風景がとにかく一様。人工的な山なり芝生の広がりが延々と続くだけで面白くもなんともない。しかも延々続くフェンスの囲いがこちらの道の行く先に圧迫感を与え続ける。要するに前進している感じがしないのだ。これは嘉手納や普天間の米軍在留基地にもいえる。大体の基地の外周の外観は単調で眠気を誘う。その点では国産だろうが、米国産だろうが変わらない。きっと軍事にはローカルカラーなど存在しないのだろう。
だから、お坊ちゃん、お嬢さんを平和主義者に育てたければ、ヒロシマ・ナガサキに行かせるよりも、基地に沿って遠足させたら宜しい。糞つまらない空間には怒りすらこみ上げてくる。
さて、そんな風に歩き始めた沖縄初日は、しかし、あまり前進することはなかったのだった。土地勘がなく、コンパスも忘れてしまったため、途中で知らず知らずのうちに道が逸れて、ぐるりと回り、スタートラインから少し進んだ程度の所にまで戻ってきてしまったのである。お前は鳩なのか、という話だが(鳩が戻ってくるかどうかは知らないよ!)、途方もない徒労感を感じながら、僕が機内で読んでいたソローの一節を思い出したことは言う迄もない。
「普段はなに気なく歩いている時でも、無意識とは言いながら、いつも自分のよく知っている標識beaconsとか断崖headlandsを頼りに進んで行く。もし、いつもの航路をはずれていると思えば、心の中でどこか近くの岬の位置を考えているものだ。人間というのは自分が目隠しをされていて、その場をぐるりと一周りさせられるだけで迷い子になってしまうほどであるから、完全に迷ってしまうか、ぐるりと一周させられるまでは、大自然の広大さも、その不思議な姿も理解できないのである」(『森の生活』「村」)
ソローにはある確信がある。すなわち、自然は決して変わらない。変わるとしたら、それはテメエの方だ、という確信だ。しかし、ソローは人間と自然を対立的に思い浮かべていない。人は自然の中でくらし、自然にひたり、自然につかる。事実、変わりやすく迷いやすい人の心のなかには、進路を導く「近くの岬neighboring cape」がある。それはうつろう人間のなかに恵まれた、指針として結晶化した自然でなくて一体なんであろうか。「コンパスなど必要ない、俺がコンパスだ!!」、これがソロークオリティーである。
さて「近くの岬」のない僕は迷いつつも、前進し、糸満市中央部にある白銀堂という神社に何とか辿りついた。時刻は16時頃だったろう。神社とはいうものの、建造物はほとんどなく、鳥居と庵とトイレぐらいしかなく、その背後には大きな岩山(神岩)が祀られておりどうやら島の漁師(海人)が海上での安全祈願のために訪れるようだった。しかも裏が山というか森というような具合になっていて……、これが市街地になるのだから、単刀直入に頭おかしいんじゃないかとか思わなくもないが、住民でもないのでOKINAWAワンダーランドということで勿論別に構わない。勿構である。
そこのトイレの裏で早めの就寝の準備をした。暗くなることを怖れていたが、沖縄の夕べはゆっくりと流れていた(でも、真っ暗になるとガチコワ!)。10センチあるかないかのアホな屋根の下で横になりながら、時たま顔にしぶく小雨とやぶ蚊と壕の前でひたすらお祈りをする地元住民男性に眠りを邪魔されながら、夜が更けていった。それが沖縄初日である。
人間なんてみんな死ねばいいのにね♪