私が上京したのは1970年の4月だった。その上京については、当時の『読書人』か『図書新聞』に、過激な関西の高校生アナキストが東京へ跳ぶというような伝説的な記述があったが、まずは早稲田のアナキストが住む池袋の一軒家に投宿した。
 その後に、私より先に東京へ来ていたアナ高連の彼女と渋谷のハチ公前で落ちあい、とりあえず彼女は世田谷の弦巻に、私は若林にアパートを借り、6月の反安保の国会前デモの後、駒沢公園近くの目黒区東が丘で同棲を始めたのだった。
 東京へ来て、自由だなぁと感じたのは、いつまでも眠っていられることだった。実家にいると、平日は仕方がないとしても日曜や祭日でさえ、父親が軍隊の頃の慣習だか何だかは知らないが、朝早くから「起床!」と叫んで、家中のドアや窓を開けるため、嫌でも起きなければならなかった。ところが東京で生活を始めると、そういうこともなく、私は朝が来ようとも好きなだけ眠っていられるのだった。
 いつまでも眠っていることが好きなのは、前にも書いたが睡眠中に見る夢への嗜好が強かったからだった。夢を見るはとにかく必要以上に眠る(つまり浅い眠りの時間を長く持つ)必要がある。そして目が覚めても、それを忘れないためには、それなりの時間をかけて夢を反芻する必要がある。それを強く感じるようになったのは、アナ高連の彼女と別れ、東武練馬で団地生活をしていた妻と離婚し、中央線の国立駅北口のアパートで一人住まいを始めた1975年以降の頃だった。それまでのアナキズム活動の総括をも兼ねて長いバクーニン論を雑誌に書き、その延長でワーグナーを聴きながらドイツ・ロマン主義や世紀末デカダンスの夢に関する本を読みあさっていた。
 夢に出てくる光景や人物には不思議なところがある。それは、夜の半ば闇に沈んだ街であったり、ひと気の無い建物の地下へ降りてゆ階段だったりエレベーターであったり、また自分がよく知る建物にあったが知らないままだった未知の屋上に通じる梯子や天窓だったりする。知っているような場所だったとしても、夢に出てくる処は少し違っていたりする。例えば地名が少し違っており、小田急線のような電車に乗ってながら、駅名が、北成城とか経堂西だったりしていて、路線が少しズレているらしく一向に新宿に到達しなかったりするのである。このような夢については、以前にブログの日記にも書いたが、最近、なぜか女性が登場する夢を頻繁に見ている。取り立ててどういうものでもない夢もあれば、妙に郷愁感に満ちたものもあれば、不思議なエロス感の漂ったものがあるかと思えばカフカ的な雰囲気のものがあったりする。
 ただ共通しているのは、夢のなかに登場する女性たちに見覚えがなく、誰なのか分からない場合が多いということだ。昨日というか今朝方に見た夢に登場した女性もそうだった。
 元解放派のイケメンの友人が、美人の彼女を伴って訪ねてくるのだが、私は彼女から相談を持ちかけられ、人の混んだ電車の中で会話をした後、電車から降りた彼女が駅のホームから微笑みながら手を振っているのを車窓越しに眺めているシーンがあった。次いで何かの会議で飲み屋へ行くのだが、その会議にはなぜか彼女も来るらしく、それに淡い期待を持っていたにも関わらず、ついに彼女は現れず、そればかりか私の上着が紛失し、店で一悶着あったりする。
 こんな程度の夢だったが、肝心のその女性が誰なのかさっぱり分からない。似たような雰囲気の女性は思い当たることはあるのだが、やはり違う。夢の中では、私は彼女から相談を受けたことに嬉しさを感じていたようだから、彼女に好感を持っているらしいことは分かる。だから車窓から見たホームで手を振る彼女の笑顔が印象的なのだが、その顔をよく見ようとするとカメラのレンズがボケるように顔の輪郭が曖昧になってしまうのだ。
 取り立ててどういうこともない夢にすぎないが、このようなさしたる特徴もない夢の方が波乱万丈な夢よりも印象的だったりするのは、どのような波乱万丈なことも、その根底には日常があったりするからだろうか。