国会事故調 第16回委員会:参考人「菅直人」
◆ 2月の後半から国会に設けられている「東京電力福島第一原発事故調査委員会」の参考人聴取が、6月8日日の清水正孝前東京電力社長を最後に、ほぼ終わった。
委員会には、これまで事故対応において国家の意思決定へ関与し、あるいは直に判断を下した人々が幾人も召集されてきた。
◆ 海江田前経産大臣、枝野前官房長官、菅前総理、原子力安全委員会の班目委員長、保安院の寺坂前院長、深野現院長、そして東京電力の武黒フェローや武藤前副社長などが、当時の状況についてあれこれ釈明したり、申し開きしたり、謝罪したり、開き直ったり、お互いに責任転嫁したりしていた。
◆ 多くの人々から鳩山元首相と並んで「戦後最低の宰相」と激しく罵倒されている前首相は「えー」や「あー」を繰り返しながら、「東電が悪い、保安院が悪い、というかみんな原子力ムラが悪い。つまりわたしはぜんぜん悪くないしむしろベストを尽くしたんですが一応ごめんなさい」と主張していた。
◆ 「お前ら、お前らが悪い!」と批判された、東京電力の原子力部門におけるボスであった人物は、「我々は頑張った。悪いのはカンです!海水とか!」と徹底抗戦の構えで、肝心なときに目眩で倒れた死にそうな顔の前社長は、懐かしの「記憶にございません」を乱発していた。
◆ 「タダチニ エイキョウ ハ ナイ」という世紀の「名/迷言」を連発し、震災直後に彼を応援するTwitterのハッシュタグが驚異的なツイート数を叩き出した当時の官房長官は、ここでもノラクラと巧みな自己弁護の答弁を展開し、すぐにキレては泣き出す元財テク評論家は「伝言ゲーム!伝言ゲーム!」と、前首相をなじっていた。
◆ 予想通り、新たな事実関係や判断の実情は殆んど明らかにならなかった。どれもこれも、これまで何度も繰り返された話ばかりだった。証言するために呼ばれた誰もが他の誰かや別の何かのせいにしたそうであり、なんとなく歯切れの悪い質問者側とのあいだの空気には、決定的に重要な部分で公にしてはいけない事実があるのだろうという雰囲気を強く感じさせもした。
◆ 要するに、全体として有意義な聴取になっているとは言い難かった。かれらに与えられた、申し開きのパフォーマンスでしかなかった。ある種マッタリとしたやりとりが続くことで、当時の状況がどれほど緊迫していたのか、それすらも、ぼんやりと曖昧になってしまっているようだった。
◆ そして、その、「ぼんやり」と「曖昧」は、いま日本のあちこちで、ゆっくりと、しかし着実に進行しているような印象を受ける。
「起きなかったけれども起きたかもしれなかったこと」
◆ 清水前社長の聴取から三日後になる6月11日で、震災から一年三ヶ月が経過した。
未だに東北関東5県にまたがる沿岸部の瓦礫数千トンの処理が終わる目処は一向に立たず、前代未聞の過酷事故を起こした福島の原子力発電所も、さまざまな危機の要素を孕んだまま長い長い安定化作業の端緒に着いたばかりだ。
その有様の実態は、「収束」とも「終息」ともほど遠い。
◆ けれど、「あの日」から一日一日と時間が過ぎるのと同時に、社会から、人々のあいだから、「あの日」以降に起きた出来事に対する、「あの日」に生まれた特別な感情の色が次第に褪せ、そして、「起きなかったけれども起きたかもしれなかったこと」への想像力が失われてゆくのを感じる。
◆ その現象自体に不思議はない。災厄の後遺症から社会が回復し、「平常運転」に戻る過程で必ず起きる現象だ。才能を感じさせない退屈なポップスの歌詞のように、人は忘れることで生きていける(笑)のだし、絶え間ない忘却の積み重ねが人類の歴史だとも言える。自然災害はもちろん、信じられないような大虐殺や百万単位で人が死んだ戦争でさえも、ぼくらはそうやって「忘れて」きた。
◆ 震災が、「終わっていない」、いまも継続している出来事だとはいえ、いずれ同じように「忘れる」だろう。そもそも日々起き続ける衆目に「知られることのない」無数の死や災厄や悲劇は、「忘れられる」ことすら、ない。
◆ 「忘れる」ことは、仕方のないことだ。
仕方のないことだけれども、その前に、2011年の3月に「起きた」ことを「忘れて」しまう前に、あのとき「起きなかったけれど起きたかもしれなかった」ことを、当時の国家中枢で実際の可能性として直面していた人間たちが(不明瞭ながらも)証言している時期だからこそ、改めて「想像」してみるのはとても重要なことだと思える。
◆ 「起きたかもしれなかったこと」について「想像」してみることは、震災以後にわかに流行り文句と化したタレブの「ブラック・スワン」が指摘する「不確実性の本質」(=意思決定は確率(想定不能)よりも影響(想定可能)のほうに焦点をあわせなければいけない)について意識するということであると同時に、巨大地震によって激しく変動し、現在もし続ける不安定な地殻の上で、50を超える原子力発電所と共に今後もダラダラと生きる予定(ですよね?)のぼくらにとって、避けて通ることができない態度でもある。
「最悪シナリオ」というカタストロフ
◆ まさか理解できない人が存在するとは思わないし、今さら繰り返す必要もないかもしれないが、「あの日」から十日くらいのあいだに東北や関東で「起きた」ことや「起きたかもしれなかった」ことは、これまで日本や世界を襲ったどんな自然災害や核施設の事故とも決定的に異なる類のものだった。
◆ 想像を絶する激しさの地震と、地震が引き起こした悪夢的な規模の津波によって数万人の命が失われ、同時に数百キロのあいだに点在する原子力発電所で原子炉十数基が被災し、重大な危機へ直面した国など、これまで存在しなかった。
◆ 津波の被害としてはスマトラ沖のものよりずっと軽微であり、原子力プラントの事故としても、これまでで最悪の人的・環境的被害をもたらしたチェルノブイリ原発ほど凄まじい放射性物質の拡散を引き起こすことはなかったが、それは単に「たまたま」であり、信じられないほど大きな幸運に恵まれた結果に過ぎない。
◆ 何かひとつボタンを掛け間違えていれば、10基のうち4基が建屋爆発や炉心溶融(メルトダウン)に至った福島はもちろんのこと、宮城に三基、茨城に一基、青森に一基あった原子炉のうち、青森をのぞくすべてで、同様かそれ以上の事象が発生しても何らおかしくはなかった。
◆ 福島第一原発に関しては、 内閣府原子力委員会の近藤駿介委員長が作成した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」という資料を元に政府が想定していた、いわゆる「最悪シナリオ」の存在が昨秋からたびたびニュースになっている。
ワイドショーや週刊誌は「首都圏3000万人避難」と煽っているけれど、上記の発電所がすべて過酷事故によって破壊されるという真の「最悪」が「起きてしまった」場合、近藤委員長の予想どころではない、まさに「日本沈没」級のカタストロフが訪れただろう。
「デカイ一発」としての「世界の終わり」
◆ 地震が起きてから少し経って、原子炉の制御が小康状態を迎えた時期、幾人もの知人友人が「あのときは、このまま【世界の終わり】が来るんじゃないかと思った」と半笑いで語っていた。
◆ さらなる大規模余震、さらなる誘発地震、さらなる津波の予感に戦慄し、福島では原発が連日爆発しては大量の核物質を吹き上げ、東北関東の各地で水道水の汚染が確認されていた「あのとき」、ネットではナウシカやAKIRAやドラゴンヘッドを引っ張り出しての終末論が盛大に叫ばれ、かつてはノストラダムスやオウム真理教によって「終末」のビジョンに熱狂した関東東北に住む文化人は、放射能に怯えて引きこもった自宅やそそくさと避難した「安全な」場所から、「あれほど望んでいたはずの【デカイ一発】が実際に来たら、全然ワクワクしなかった。全然楽しくない。こんなはずじゃなかった」などと叫んでいた。
◆ 「世界の終わり」という、実質的意味がひどく希薄な、安いサブカルチャーの毒にまみれた言葉があのときは非常に強いリアリティを持っていた。具体的にどうなるとかこうなるとかの次元ではなく、言葉のもつ響きやイメージが、これ以上なく説得的だった。
◆ その理由として決定的だったのは、進行する事象が単独の原子力災害とも天変地異でもなく、予測を遥かに超えた後者の到来によって前者が引き起こされたという点にある。
チェリャビンスク65も、スリーマイルも、チェルノブイリも、純然たるオペレーションミスや設備のトラブルが原因の単独事故など、「世界の終わり」からはほど遠い。たとえこれまでそう扱われてきたことがあったとしても、今回の出来事が孕んでいた可能性とは比較にならない。
◆ あの3月後半に「起きたかもしれなかったこと」は、人知を超えて荒れ狂う天地の変異が世界に破滅的な核の汚染をもたらすということであり、そのSFとしても文学としてもあまりに、あまりに手垢のついた陳腐な想像力とモチーフは、しかし実際に「起きたかもしれなかった」状況としてぼくらに突きつけられたとき、これほど、「世界の終わり」にふさわしい組み合わせも他にないものだった。
◆ ハルマゲドンとしての核戦争はヒトの手による自滅だが、「世界を終わらせる」のはヒトではなく、やはり大洪水であり、天からの硫黄と火であるのがふさわしい。
◆ 「あのとき」、多くの人々に去来した(と勝手に決め付けてしまうが)圧倒的な非現実感による思考の停止、恐慌と、動揺と、興奮の連鎖反応は、絶対に来るはずなどなかった「デカイ一発」が、本当に「デカくなりそうな」可能性を、世界がぼくらに垣間見せたからなのだろう。
◆ そう考えると、国会事故調に呼ばれた人々、特に東京電力の関係者があれほど呆けたような受け答えばかりしていることにも、あまり腹が立たなくなってきたりもするのだ。
「結局、終わらなかった世界」と再びのブラック・スワン
◆ でも、結局のところ世界は終わらなかった。
というか、現在のところ、終わっていない。終わる気配もない。
◆ 「あのとき」から数ヶ月もしないうちに、「世界」ではなく「世界の終わり」があっさりと「終わって」しまい、放射能が原発からそれなりにダダ漏れ続けながらも、プロ野球や「いいとも」やキッチュなアイドルグループのいかれた人気投票が普通に再開され、国外へ吹っ飛んで逃げていた外国人たちさえ何食わぬ顔で戻ってきた。夏にはダラダラと政変が起きて首相が退場し、年末にはなんと失笑ものの事故収束すら宣言され、最近は再び原子炉に火を入れることすら決まった。
◆ 一部の人々はいまも「4号機が、4号機が…」と連日繰り返しているが、彼らは日ごと「曖昧」に、「ぼんやり」してゆく「世界の終わり」を惜しみ、必死で抵抗しているだけのように見える。
◆ 今後また「デカイ一発」が来るのか、こないのか?
例えば首都直下型地震に東海地震と富士山爆発、そして浜岡ー!が手を携えて襲来したりするのか?そして次回はホントに「世界が終わる」のか?
◆ 当たり前だが、そんなことは分からない。いくら意識しても、ブラック・スワンはその外からやってくるからこそブラック・スワンなのだ。
◆ ただ、一度は「世界の終わり」が危うく訪れそうになり、あらあらといううちに、それが「とりあえず来ないことになった」という一連の流れを、ぼくはこれからもできるだけ忘れないでいたい。忘却に抵抗したい。最近、Twitterで作家としても先輩である年長の知人が下記のように呟いていたが、まさに「起きなかった」のは何故なのか?そんなことを思い浮かべながら。
「起きなかったこと」を選択された偶然(もしくは必然)としての「この現在」のなかに見るという視点は、昨年来、目の前にある日常の光景にいつも感じ続けています。非在を実在のうちに見る視線は、考え始めると果てしなく深いですね。とても興味深いです。 @fukudanaoyo
— 水野 亮(3)さん (@drawinghell) 6月 11, 2012