One value even of the smallest well is, that when you look into it you see that earth is not continent but insular.
――Walden, or Life in the Woods

はじめに 

 2011年12月1日、オイラは沖縄本島を徒歩で一周するという旅を企てた。那覇空港から糸満の方へ南下し、本島西側の南城、うるま、名護、国頭へと北上。本島最北の辺戸岬を折り返し地点に、今度は東側を通っていったその旅は15日間(半月)の期間をかけて完結したのはみんなの記憶にも新しいだろう。

 いい加減、人間とかクソだと思っていたオイラは、これを機会に、人のいない生活を試みてみようと思った訳だ。大体、オイラは人間が大キライで、基本みんな死ねばいい、とか思っていて、ただまあ、待っていても人類は絶滅しない訳で、そんな鬱々たる日々を送っていながらも、最近特にそのミザントロープ具合――分からない人はググッてね。あとどうでもいいけど、ミザントロープってスープの名前みたいだよね!オニオンとか入ってそう!――もマックスにきてた折だったのだ。

 沖縄を選んだのは第一に人が少なそうだからで、次に野宿しても凍死はしないだろうと思ったからである。それ以上の意味はない。むしろオイラという人間はリゾート感覚で「沖縄の海、キレー」とかいってる女子大生のこめかみをちょっとした鈍器のようなもので殴りつけたい衝動にかられるような男なので誤解してはならない。いや、よくよく考えてみれば、女子大生という存在とか何の予断も挟まずドンキー――こめかみをちょっとした鈍器で殴りつけること――したい対象かもしれない。マジで、上野千鶴子。

 とにかく、オイラは沖縄にはなんのゆかりもなければ、これから先ゆかることもないし、ゆかりたいとも思わない。あと、田舎の人間のもつ人情味とか暖かさとかも別に興味がなかったし、これからも興味がないだろう。人間などみな等しく腐っているし、腐りすぎていて、発酵してさえいるからだ。人間はこれ以上腐らないように、冷凍庫にいれておく必要があるので、むしろみんな北海道に行くべきなのだ。

 しかし、とにかく沖縄に行ってきたのだから、沖縄のことをこれから書く事にしよう。そして、敬愛すべきソロー大先生のことも。

 そうだ。人類がいくら腐っているとはいえ、その長い歴史の中には一人や二人くらいはまともな奴がでてくるものだ。それがアメリカの偉大なナチュラリスト、ヘンリー・デイヴィット・ソローHenry David Thoreauだ。

 先ず始めに、ソローがすげえのは、生涯、定職につかなかったということだ。ソローは1817年マサチューセッツ州コンコードに生れる。父親はコンコードの北にあるチェルムズフォドで食料品店を経営していたが、ソローが一歳のときに破産、それから結構な貧乏生活を送っていた。ソローは、16歳で奨学金を得てハーヴァード大学に入学する。卒業後はコンコードの小学校の教師として赴任するが、けれども、しかし二週間ほどでリタイヤ。鞭打ち体罰とかアリエナイ、というのが辞めた理由だったようだ。その後の1838年、兄ジョンと共に私塾を開くが、兄の病気のためそれも三年で閉鎖。代わるようして雑誌に詩やエッセイを寄稿し――お前は中二病なのか!――、師匠宅に寄寓して編集助手を務めたり、家業の鉛筆づくりを手伝ったりしていたが、その後、転機となるコンコードから少し離れたウォールデン池畔で孤独なアウトドア生活を二年過ごす。この経験が名著、というより人類のバイブル『森の生活――ウォールデン――』を生み出したのだ。そしてその後もやはりきちんとした定職につくことはなかった。

 この通り、「いや、働けよ」的な男なわけだが、ソローにとってみれば、人間は明らかに働きすぎで、必要な分を軽くオーバーしていた。ソローがいうには、

「五年以上もの間、私は自分の手仕事による労働だけで自活の生活をしてきた。そこでわかったことは、一年のうち六週間ほど働ければ全生活費が稼げるということである」(『森の生活』「経済」)。
 
 マルクスもビックリな六週間理論とかマジきてる訳だが、これがソロー、これがニートスピリットを内に宿す運命の男の賜るお言葉なのだ。器が違う。ゆとりすぎというか、ニトりすぎで、しかも全く悪びれないその態度がすげえ。凡人が理解しようと思ってはならない。

「要するに、私が確信していることは、信念と経験から判断すれば、われわれは質素で、賢い生き方さえすれば、この地上で自分一人養っていくのは、さして辛いことではなく、楽しいことだという事実だ」(『森の生活』「経済」)

 「確信しちゃったよっ!」的なツッコミを知ってか知らずか、ソローはこうしてそのハイパーメディアニート生活にがっつり入っていった。つまり、ウォールデン池近くでの森の生活だ。自分で家を作り、自分で飯を作り、そして散歩して物を書く。なんでもかんでもハンドメイドだ。ソローが教えてくれるのは、ニート道を極めに極めれば、逆説的にも、超自活男として変転してしまうということなのだ。「食い物買うとか、たるくね?」とか「家とか、作ればよくね?」といった具合だ。こうして、ハイパーメディアハンドメイダーとして覚醒したソローは、手作りを忘れ、荒廃しきった現代文明社会にたった独りで喧嘩を売っていく。この神感ヤバすぎる。

 ソローは無駄に政府に反抗して、税金を支払わず、ブチ込まれた経験をもっていることでも有名だ。というのも、ソローは政府が始めた対メキシコ戦争や奴隷制維持にマジギレしており――特に奴隷制とかマジキチ――、そんなクソ政府に税金を払うなど人の道に反すると考えていたからだ。「俺が政府を教育してやろう」と恥ずかしげもなく言えるのが、デイヴィッドだ。お前大丈夫か、と思わず言葉をかけたくなるが、これが大丈夫なのだ。いや、それよりも、これを真の愛国者と呼ばずして、何を愛国者と呼ぶのか。とりあえず「君が代」歌わせときゃいいや、とか、「政府批判するなら日本から出てけ」とかいってるエセ右翼にも猛省を促したい。いやマジでガチで。

 そんなわけで、ソローはハイパーハンドメイダーで、そしてハイパー右翼な、要するにハイパーな奴なのだが、こんなハイパーな行動の数々は実は一つの原理に基いている。その原理とは「テメエのケツはテメエで拭け」ということだ。

 ソローからみれば、就職など自立でも自活でも独立なんでもない。それは集団や共同体に自分の人生を譲渡する奴隷制みたいなゲロゲロなクソ行為だ。だから、森でがっつりニトる必要がある――ちなみに、ソローが森で生活をし始めたのが7月4日の独立記念日。デスティニー!――。だから例えば、新社会人が「いいねぇ、学生は暢気で」みたいなスカしたことをぬかすならば即刻ドンキーしとけば宜しい。森で生活したこともない連中に独立がどうとか責任が何たらとか言われたくないゼ。実にドンキーコングである。

 奴隷制批判も同じだ。人は奴隷に頼って、或いは奴隷は人に頼られて生きるべきではない。自分の生を誰かに託しちゃならんのだ。全てのことを、例外なしに、テメエで何とかすべきなのだ。

 さて、そんなソロー大好きっ子のオイラが、ソロー先生の中二気質のお言葉を胸に、沖縄に行ってみると、アラ不思議、オイラにはソロー先生の生地が、沖縄であるような錯覚をうけたのだった。ソローは沖縄で生れ、沖縄の海に囲まれて育った、島国の人間なのではないか。沖縄という日本のなかでも色々と面倒臭い環境がなければ、ソローのようなマジキチ男は生れないのではないか。本島を歩けば歩くほど、そんな考えがオイラを支配していったのだ。

 島人ソロー。どうしてそんな、英米文学研究者からみればアホなクソ仮説をもったのか。オイラは知らない。しかし以下、オイラはそんなトンデモ仮説について、つまりソローと沖縄のことについて延々と書きたいと思う。エヴィデンスとか、スルー。というか、それって食べれるんですか? オイラが確信したからオイラが書くのだ。ソローも『森の生活』の最初の方で言っているではないか。

「たいがいの本では《私》という一人称は省略されている。しかし、この本では省略しない。《私》に執着することが他の本と異なる点である。われわれはたいてい忘れてしまうのは、話をするのは所詮、一人称であるということだ」(『森の生活』「経済」)

 この文章でも「一人称」は省略しない。クソ詰まらん、ソロー研究なんてクソ食らえ!ここではオイラが思ったことをオイラが思ったままに書く。後は野となれ山となれ。そんなこんなで、沖縄本島一周レポート、というよりも、マジキチソロークソ伝説がついに始まるヨ!……どうでもいいけいどいい加減クソクソクソクソ言い過ぎだろ、マジクソ。

人間なんてみんな死ねばいいのにね♪