ボクシングジムについて①

前回「ジム制度」或いは「クラブ制度」と呼ばれる日本ボクシング界の制度について紹介した。日本におけるジム制度とは、日本プロボクシング協会加盟のプロボクシングジム(以降、それぞれ単に協会、ジムと記す)がプロモーターやマネージャーなどを丸抱えし、プロボクサーの全権を握るジム経営のシステムの事である。これに対し、欧米などのボクシング先進国では「マネージャー制度」が敷かれており、特にアメリカではボクサーのプロモーターとマネージャーを兼業する事が禁じられている。

興行主であるプロモーターは観客からの会場収入やテレビの放映権料などを収入とし、会場の賃料やボクサーのファイトマネーなどの経費を支出する。経営というのは何事も収入を増やし、支出を減らす事で営利を図る。この時、「マネージャー制度」におけるマネージャーは、プロモーターの搾取からボクサーの利益を守る役割を担う。マネージャーはボクサーのファイトマネーから一定の割合で収入を得る為、ボクサーの利益を守る事が自らの利益を守る事にもなるのだ。

一方のジム制度にもマネージャーの役職が存在するのは既述の通りだ。JBC(日本ボクシングコミッション)が発行するライセンスには、プロボクサーライセンスの他にクラブオーナー(ジム会長)、プロモーター、マネージャーなどのライセンスがあり、これらは同一人物が二種類以上のライセンスを持つ事が禁止されている(ただし例外として、クラブオーナーがプロモーター、或いはマネージャーを兼ねる事は認められている)。更にJBCルールでも、マネージャーに対してボクサーの健康管理や収入を確保する事が義務づけられている。

こうして見ると「ジム制度」におけるマネージャーにも、「マネージャー制度」におけるマネージャーと同じ役割が与えられているように見える。それは、プロモーターの搾取からボクサーを守るという問題意識の存在を示すものである(筈だ)。

 

しかし、ファイトマネーの代わりに試合のチケットが渡されるというボクシングジムの話を耳にした事があるファンは少なくないだろう。勿論、「売ってきて金(自分のファイマネー)にしろ」という意味である。だが、チケットを売るのはそこから収入を得るプロモーターの仕事であり、ボクサーの仕事ではない。ファイトマネーのチケット払いのような事が横行しているのならば、プロモーターとマネージャーの役割は双方共に果たされていない事になる。ファイトマネーのチケットによる支払いの例について、第096回国会における法務委員会会議録に、安藤巌議員の発言として以下の内容がある。

 

“ある選手の奥さんが、その選手が家にほとんど金を入れてくれない、あれだけ何遍も試合をやっている、大勢のお客さんも入っている、一体どうなっているのだというので、コミッショナーに直訴したこともあるそうですね。ところが、その問題についてはうやむやになってしまったというような事がありまして、その選手は、試合前に売ってこいと言われたチケットをロッカーの上に置いて、試合が終わったらそのまま姿を隠してしまった、そういう悲惨な例だってあるわけなんですね”

 

この報告は今から30年も前のものである。ではチケット払いの現状は変わったのだろうか。恐らく、問題意識を持って業界の慣行を変えていこうというジム会長は少なくないのではないか。しかし、身近でもある日本チャンピオンの例として聞いた事があるし(十年も前の話ではない)、東京の業界関係者の知人にも確認したが、やはり今でもごく一般的に行われている事のようだ。ボクシング協会主催のある興業でもファイトマネーはチケット払いだというし、四回戦ならばごく一般的な事なのではないか(当然立場の弱いボクサー程「チケット払い」になりがちだろう)。

また、ファイトマネーの安さが話題に上る事も少なくない。あまりに安いファイトマネーに憤り、ジムと激しく対立してタイトルを返上、引退したある日本チャンピオンの話も複数の関係者から聞いた。ごく最近世界タイトルを数度防衛したチャンピオンは、世界タイトル獲得以前の極貧ぶりがメディアの話題に上った。そのボクサーは、世界タイトル獲得以前も長らく国内トップレベルを維持した人気ボクサーである。

このような事例を踏まえても、プロモーターやマネージャーは本来担わされている筈の役割を果たしていると言えるのだろうか。ジムという一個の組織の中で、プロモーターとマネージャー、対立する両者の利益が上手く均衡して、尚かつジムの運営も上手く行くと考えるのは、楽観的過ぎるのではないか。

先程紹介した法務委員会会議録に、あるボクサーのファイトマネーに対する搾取の例として次のような報告がある。 
 

 

“テレビ局の人に「こんどのファイトマネーは二百二十万円だよ」と、それとなく聞かされていたんですが、クラブオーナーには百万円と言われた。それでも、まあ仕方ないと思っていたんですが、そこからまた三三%をひかれたんですよ」。実際に手にしたのはわずか六十七万円だった。若かったときだけに二十年以上たった現在でも、苦い思い出として残っている” 

 

これは日本ボクシング界の盛時の話で、恐らく50年程前の事になると思う。だから10回戦試合のファイトマネーとしては現在の水準と比較しても高い。しかし問題は金額ではなく搾取についてであり、それに対応する施策についてである。50年前と比べて日本の制度はどれだけ改善されたのだろうか。マネージャーは本当にボクサーの利益を守ってくれているのだろうか。実はこれに反する例はこれまで書いた例以外にも挙げられるが、それについては移籍の自由について論ずる際に紹介したい。

一つの組織はその組織の利益という「共通の利益」を求めるものだろう。ボクシングジムの中には、ジム会長の妻や親族がマネージャーなどの役職を務めている例が昔からあるようだ。またそうでない場合も、こういった役職に就くのは会長の友人・知人やジムの関係者、或いは元関係者などが殆どだろう。中には、一つの会社組織として運営しているジムもある。

日本のジム制度においてもプロモーターとマネージャーは形式的には分離しているが、事実上未分離だと言えるのではないか。

 

アメリカの一般的なパブリックジムは単なる練習場でしか無い。そこにはプロアマ問わずボクサー、練習生、トレーナーやマネージャー、時にはプロモーターも出入りする。ボクサーの権限を一手に握る日本のボクシングジムとは異なり、ジムオーナーは単に練習場を間借りさせて使用料を取る存在に過ぎない。冒頭に「アメリカではボクサーのプロモーターとマネージャーを兼業する事が禁じられている」と書いた。それは2000年に“モハメド・アリボクシング改革法(Muhammad Ali Boxing Reform Act)”が制定(つまりこの取り決めには法的拘束力が発生する)されて後の事である。この法律では、「プロモーターがボクサーのマネージメント」を、「マネージャーがボクサーのプロモート」を、それぞれ「直接的・間接的」に行う事が明確に禁じられている。JBCルールでも同一人物が二種類のライセンスを持つ事が原則上で禁じられているが、ジム制度の現状においてそれは「形式上の分離ではあっても事実上の未分離である」と言って良いのではないか、とは既に述べた事だ。日本とアメリカ、双方のルールを並べてみると、アメリカボクシング界の明確な目的意識が見て取れるようだ。

 

予定より長くなったので今回は書かないが、次回はボクシングジムへの同情的な視点を以てこの制度を見てみたいと思っている。そして、次々回か、或いは更にその次位にボクサーに許された「自由」である、移籍問題について取り上げる予定だ(少し間が開くと思う)。

また、今回取り上げた国会法務委員会での安藤巌氏の発言については、「衆議院会議録情報 第096回国会 法務委員会 第6号」とウェブ検索を掛けて頂いたら該当のページが見付かると思う。今回紹介した内容以外にも、この会議録にはボクシングに関する様々な話題が上っている。それからJBCルールについても紹介したが、これについてもウェブ上で公開されている第三者による記載を信用し、参考にさせて頂いた。そして最後に紹介した「モハメド・アリボクシング改革法」についてだが、これは少々見付けにくいので、本稿最下部にURLを直接貼付させて頂く。

以上、宜敷お願いします。

http://www.govtrack.us/congress/bills/106/hr1832/text