サブタレニアン・ホームシック・アラサー/S氏と/中
「うつの症状が辛いときには死にたいと思う事もあります」
カウンセリングの話から次第にSさんの罹患しているうつの話になる。
「ただ・・・逆に、うつの症状が軽くなると、それはそれで、なんというか、それはそれで悲しみを感じるというか・・・」
「悲しみ?」
「人生に深みがなくなったような、そんな気がしてくるのかな」
「でも、それってうつが一種の中毒症状になっていませんか?」
「・・・というよりも、うつというのもしばらく付き合っていると、パーソナリティの一部になってくるのかもしれません」
「パーソナリティーか・・・」
「あまり喜ばしい資質ではないですけどね。でも、仕方がないのかもしれない」
「でも、一応はよくなってきてるのだからいいんでしょうか?」
「うん。そうだと思う。とりあえず仕事も休んで半年にもなるし、だんだんとよくなってきています。そろそろ仕事にも戻れると思います。食欲や性欲も高まってきた気がするんです。このリビドーを生きる気力と言うか、生への欲求にシフトさせていきたいと思うんですが」
「それはいいかもしれませんね」
「でも、なかなか、うまくいきません。ついでに、今通ってる近所の女医がとても美人なんですよ」
一瞬タレントのジョイを思い浮かべた。次に僕の頭の中で「女医」がリピートし、女医でいっぱいになる。女医女医女医・・・
ああ、そういえばなんだっけ女医みたいな飲み物・・・
「女医ですか」
「ええ、どうにかならないかなと考えてるんです。メールも最近交換したし」
「でも、近所の病院って、変えたんですか?」
確か東京から千葉の方まで通っているはずだった。
「ああ、そうです。でも、結構もう長いですよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
Sさんが女性や性の話をするのは珍しかった。これも元気になってきたという証拠なのかもしれないし、そういったことも個人の自由だから僕としては一向に構わない。
だが、この日のSさんはどこか道化めいているというか、話の虚実がつかめない事が多かった。
だが、この日のSさんはどこか道化めいているというか、話の虚実がつかめない事が多かった。
ブログやTwitterやEn-Sophに転載された日記の記述と違う部分が散見した。
しかし、それも酒の席での一種の冗談なのかもしれない。
あまり気に留めておかないようにした。
むしろ、もっと気になる事があるのだ。
女医みたいな名前の飲み物・・・
「あの、そういえば、女医で思い出したんですけど、そんな名前の飲み物ありませんでしたっけ?」
「え??」
「こう・・・ヨーグルト的な」
「ヨーグルト的な??」
なんだっけ?? そうこうしているうちに僕とSさんは一軒目の店で会計を済まし、 Swingという近所にあるジャズバーへと足を運ぶ。
我々は一応、ジャズファンなのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「みんなしね」
Swing へ向かう途中だった。
Sさんは突然つぶやいた。
「え?」
「みんな死ね!氏ね氏ね氏ね!!」
Sさんは天空に向かってシャウトする。
ガニ股になり両手の一差し指を突き上げ、再びシャウト。
「みんな死ねばいいのに!!エヴァ!!」
「みんな死ねばいいのに!!エヴァ!!」
一体、なんのことなのか。
エヴァ? エヴァンゲリオン?
「綾波レイ is ネ申!!」「!☆☆徹底的感謝☆☆!」
どうやら、だいぶ、酔ったらしい。
「いや…この場合テッテ的というのが正しい文法だ・・・」
「あ、つげ義春」思わず反応してしまった。ねじ式の台詞。
Sさんは天空を指し示した人差し指をゆっくり私に向けてから言う。
「ネ申!!」
正解!ってことか?
そうなのか?
そうなのか?
ただの酩酊ではないようだった。
大量に飲んだわけでもなかった。
Sさんは普段、酒癖が悪い人でもない。むしろ、非常に紳士的で理性的な人である。
もし「あなたの友人を【古代】【中世】【近代】にフォルダ分けしましょう」という謎すぎるミッションがあったとしよう。ちょっとヒッピーな友人を【古代】にフォルダ分けしたり、ちょっとゴスロリな女の子をなんとなく【中世】にするだろう。そしてSさんは速攻【近代】だ。
理性的、人間的、合理主義的、科学的、そして資本主義的であり、批評的と言ってさえよい。
そんな生真面目と言っていいくらいのSさんが、今、ここで、妙にハジけてる。
夜空に向かって、ヲタ芸の如く大股広げて両手の人指し指を突き出し、バーサク状態でアレコレなにかをシャウトしつづけている。 そして、それを傍観する自分。なにかが、変だ。もしかすると、Sさんはこれから異次元にでも突入するのかもしれない。
Sさんの周囲にも異次元な空気が充満してきた・・・ように見える。
僕には霊的な感覚が一切ないからわからない。ただ、そんな感じがする。
しかし、Sさんはどこか楽しそうだった。これである程度、日頃の鬱憤が発散できるのであれば、それはそれでいいではないか。しばらく、そのままにしておこう。
ビートルズも歌っている。
Let It Be。
困ったときにはマリアさま来て言うよ、レティビー。
異次元の人になりつつあるSさんに便乗し、僕もこのまま異次元へと突入できないだろうか。
ふと、そんな事を考えはじめた。
異次元。「あちらの世界」だ。
異次元。「あちらの世界」だ。
「あちらの世界」について、僕には幼い頃から、ある仮説がある。
人知の及ばない「あちらの世界」からは「こちらの世界」に監視役を派遣していて、そいつらが「こちらの世界」の人間の「あちらメーター」をチェックしているのだ。「あちらメーター」の数値はオデコや頭上にあたりにでも表示されるのだろう。もちろん監視役にしか読み取れない。
これが充分貯まると「あちらの世界」側に承認され、少しだけ「あちらの世界」の様子を見せてくれるのだ。例えば、幽霊を見せてくれるようになったりUFOに乗せたりしてくれるのだ。
アメリカのテレビ番組などでUFOに乗せられたらしい人が完全にイっちゃった目をして「アタシUFOにさらわれたのよ!ホントよ!」とか豪語している姿をみるとこいつ大丈夫か?といぶかしむと同時に、きっと彼らも「あちらメーター」を貯めて「あちらの世界」に認められた人々なんじゃないかと思わざる得ない。
水木しげるやスヴェーデンボリのレベルになるとVIPクラスであり、「こちらの世界」の要人として「あちらの世界」側と外交をしている人なのだろう。おばけの運動会の開会式で水木しげる先生は「こちらの世界」代表として挨拶なんかするのだろうな、きっと。想像するだけで、ホロリとくるものがある。
僕はさすがにそのレベルを望まない。
でも、せめて一度でもいいから、こんな事があってもいいんじゃないかと夢想するのだった・・・
・・・とある夏の夕方。目的もなく人気のない道を歩いていると、エイリアンが現れる。
彼らは僕をUFOに案内してくれる。エイリアンは故郷に見せるホーム・ムーヴィーを作りに地球にやってきたらしい。帰る前に、ちょっとくらい地球人と話してみたくなった。もちろん、そんな僕との邂逅もしっかり彼らは撮影している。エイリアンは僕とのインタヴューを終えると、お礼にタイムスリップやワープとかを駆使して、この地球と宇宙の美しさとその奇跡と神秘をビッグバンにまで遡って見せてくれるのだ。Radioheadの「サブタレニアン・ホームシック・エイリアン」の歌詞みたいに・・・
・・・そんなわけで僕は人一倍「あちらの世界」への憧憬を内に秘めているのだが、しかしながらSさんの暴走を真似ることもできない。
だいたい、Sさんの暴走が「あちらメーター」を貯める術であるのかどうか定かではない。
ていうか、そもそも「あちらメーター」ってなんだ?? 自分もおかしくなってきたのかもしれない。
それでいて、とうとう酔いも覚めきて、僕は僕で、名門女子校に通うお嬢様並みに素面なのだ。
「オイ!」
ふりむくと、警官がいた。ひとり、自転車に乗っている。
ふりむくと、警官がいた。ひとり、自転車に乗っている。
年齢も同じくらい。アラサーポリス。アラポリだ。
「お、お前たち、な、なにしてんだ」
警官は背も高く、警官特有の体躯の丈夫さも持ち合わせながら、それでいて、どこか迫力がない男だった。何か警官モドキとでもいったような佇まいをしているのだった。なぜ、こいつは警察官になってしまったのだろう。もっと他の道があったのではないだろうか。一目見てそう思わせる、そんな男だった。背後から呼びかけられたときは突然で驚いたが、実際話してみると声も小さい。よくよく顔を凝視すると、その顔がこわばっているのだった。
「お、お前たち、な、なにしてんだ」
警官は背も高く、警官特有の体躯の丈夫さも持ち合わせながら、それでいて、どこか迫力がない男だった。何か警官モドキとでもいったような佇まいをしているのだった。なぜ、こいつは警察官になってしまったのだろう。もっと他の道があったのではないだろうか。一目見てそう思わせる、そんな男だった。背後から呼びかけられたときは突然で驚いたが、実際話してみると声も小さい。よくよく顔を凝視すると、その顔がこわばっているのだった。
「あ。おい、あ、あいつどうしたんだ」
「え?」聞こえないのだ。
「あ、あいつ、お前の知り合いか!??」
「ええ、そうです」
「あ、何してんだ、あいつは!??」
「あ、何してんだ、あいつは!??」
「酔っ払っているみたいです」異次元の人になりつつあるんです。
「あいつ!ヤバスギないか? 」
「え?」
「お前らクスリか?!」
「いや、違うんです。彼は酔っぱらっているだけなんです」異次元の人になりつつあるんです。
「お前ら、な、何時だと思ってんだ!近所迷惑だろ!」
時刻は23時を過ぎていた。ここは住宅街でもないし、目立った繁華街でもない。だが、帰宅途中の会社員たちなどがチラホラ通り過ぎ、幾度か不審の目を向けられていた。もしかしたら通報があって、この警官はここに来たのかもしれない。
Sさんの繰り出す「SHINEEEEEEE!!」「URUSEEEEEE!!」 という言葉も、僕が「あちらの世界」を云々している間に、徐々に「ぐがぐがが!!」とか「ぷぴぴぴぴ!」とか「UKYOOKYOO!!!!」などなどの言語の意味をなさない狂乱の騒音に変化していった。
「おい!お前!静かにしろ!」
警官は警告を与えつつも、恐る恐るSさんに近づいていった。
そして、その時、どう言葉で形容すればいいのかわからないのだが、何かが起きた。
Sさんの、目が赤く光った。
小さな爆発。
時空が歪む。
ぐぎゅ
ぐぐぐぐぐ
ぐみゅる
すぽんっっ
次の瞬間、Sさんの頭上に、いかにも「あちらの世界」然としたブラックホール的なものが口を開けた。
次の瞬間、Sさんの頭上に、いかにも「あちらの世界」然としたブラックホール的なものが口を開けた。
「あっ!あ、あ、あれは異次元ホールだ!」腰を抜かして、その場に倒れた警官が叫ぶ。
ええっ。こいつ、何者??
「し、し、知らないのか??」
「いや・・・なんですかその異次元ホールって??」
「いや・・・なんですかその異次元ホールって??」
「情弱乙!! あ、あ、あれに入れば、あちら側に行けるんだぜ!!」
警官はしばらく笑い転げていたが、体勢と呼吸を整えると、その「異次元ホール」なる穴へ飛び込んでいった。
穴は警官を吸い込んだ。
ぱく ぱく もぐ もぐ くちゃ くちゃ
異次元ホールは音を立てながら警官を咀嚼するように、そいつを吸収した。
ごくん
完全に異次元ホールが警官を飲み込んだ。
穴の中から残骸や骨が吐き出されるんじゃないかと怖かったが、特に何もない。
しかし、次には、雄叫びをあげた表情のまま、目を光らせているSさんも、徐々にゆっくりと、その体勢のまま異次元ホールに吸い込まれようとしていた。
もしこのままSさんが異次元ホールに吸い込まれたら、どうなるのだろうか。警官は確か「あちら」に行けると言っていた。そうすると「こちら」へ帰ってこれるのだろうか。帰ってこれなかったらどうする。しかし、それももしかしたらSさんの望むところなのかもしれない・・・その時、背後から素っ頓狂な声がした。
「プスー」
吸い込まれて吸収されたはずの警官がいた。警官は何か言っているようだった。
「プスープスープスー」
抑揚のない声で「プスー」と言っている。
「プスープスープスー」
ああ、あの警官はプスー星人になってしまったようだ。
語りかけても、プスープスーの一点張りで反応がない。目の色もない。
警官はそのまま「プスープスー」を繰り返しながら、自転車も置いてどこかへ行ってしまった。
あのまま、あの男はプスー星人になってしまったのだろうか。
よくわからないが、「あちらの世界」への移行が失敗するとプスー星人などなどになってしまうようだ。Sさんが吸い込まれたらどうなるのだろう。いや、そもそもあれはフェイクの異次元ホールで、実はプスープスーホールなるものかもしれないぞ。もし警官同様プスー星人になったらどうするよ。Sさんの奥さんに申し訳が立たないではないか、などなどと戦慄と妙な保護責任を感じながら、とにもかくにもこれは阻止する必要があると決断し僕はSさんに向かって突進する。
みぞおちにひざ蹴りをいれ、顔面パンチ。
Sさんはふっ飛ぶ。「ごつん!」とつよく頭を打つ。
同時に異次元ホールは、あっけなく消える。音も立てずに、何事もなかったように。
Sさんが目を覚ます。
「あれ、ここは?」
「Swingに行く途中です。起き上がれますか?」
「一体、何が」
「酔って、倒れて・・・」異次元の人になろうとしていたんです。胸の内でつぶやく。
「ああ・・・あれ、頭がイタい」
上半身を上げようと努力してもなかなかうまくいかないようだ。
背中も打ったのかもしれない。
「きっと、頭をぶつけたんです」
「あ!」
「どうしました?」
「思い出した」
「はい?」
「女医みたいな名前のヨーグルト的な飲み物」
「ああ」
「ジョアじゃないですか?」
「ああ、そうだ」
ジョアだジョア。
「あ!」
「次はどうしたんですか?」
まだ身体が動かなくて、倒れたままのSさんが目を見開いて言う。
「星がきれい」
夜空を見上げてみる。
それは、とても美しい星空だった。
・・・そして、僕はUFOに乗ってエイリアンとジョアを飲みながら、この美しい星空を自由自在に飛び回る自分の姿を思い浮かべてみた・・・
(続く)