1980年代、モハメド・アリが去った後のボクシング界にはシュガー・レイ・レナードが居た。彼は史上初めて五階級で世界タイトルを獲得したアメリカの名ボクサーで、スターとして必要なものの殆ど全てを兼ね備えていたと言って良いだろう。そのレナードの引退後、ボクシング専門誌の企画で当時現役チャンピオンだった辰吉𠀋一郎、そしてボクシングマニアで俳優の香川照之の三人による対談が実現している。その席で香川がレナードに、「若いボクサー達に何か伝えたい事はありますか?」という質問をした。レナードの答えは、「ビジネスマインドを持って欲しい」というものだったと記憶している。
シュガー・レイ・レナードはヘビー級以外の階級でも大金が稼げる事を証明したボクサーであり、彼はリングの内でも外でも非常に狡猾な男だった。狡猾というと悪い印象を与えるかもしれないが、彼はリングの外も闘いである事を知っていた真のプロフェッショナルだったのだと思う。レナードは都合三度の引退をした。ボクサーの引退の理由は様々あり、その選手寿命は一般に短い。引退理由には、頂点に辿り着くまでの困難、打撃による目や脳へのダメージ(レナードの最初の引退も網膜剥離による)、その他の怪我、体力の衰え、低額のファイトマネー、私生活のトラブルなど複数あり、それらが複雑に絡み合う。「ビジネスマインドを持て」という言葉は、何もファイトマネーだけを問題にして語られたものではないだろう。レナードの願いは、引退後の長い人生も含めて、ボクシングキャリアによる不利益を被らない為の最善の道を選んで欲しいというものだと思う。アメリカをはじめ、海外では多くの元世界チャンピオン達の不遇が伝えられる。栄光と富を手に入れた元チャンピオン達が引退して貧しい暮らしを強いられたり、犯罪に手を染めたり、パンチドランカーになっていたりする。これらは日本の現状とはやや異なる部分があるのかもしれない。日本では元世界チャンピオン達の不遇はあまり伝わってこない。しかし、世界チャンピオンという枠を取り去れば、そこそこに名の知れた元ボクサー達の心暗くなるような話しを聞く事は少なくない。日本ボクシング界もレナードの提言には注目するべきで、それは『自らの利益を最大化するべき』という意味に捉えられるだろう。
ボクサーは如何にして自らの利益を最大化すべきか。この連載で問題にしたい点の一つにプロボクサーの“自由”の問題がある。日本ボクシング界で『自らの利益を最大化するべき』と考えた時に、果たしてそうするに必要な“自由”が担保されているのかという点だ。日本ボクシング界においては、ボクサーはジム選びに失敗すれば自らのボクシング人生を棒に振りかねない。それはジムが所属選手を丸抱えして全権を握る日本のボクシングジムの問題点である。ここで言う「ボクシングジム」とは、日本プロボクシング協会(以後、単に「協会」と記す)加盟のジムを指す。ボクサーはジムのマネージャーと契約を結び、ジムのトレーナーの指導を受け、プロモーターである各々のボクシングジム会長(多くがジム会長とプロモーターを兼ねる)の興業に出場する事となる。このような制度を一般的に「ジム制度」、或いは「クラブ制度」と呼ぶ。ジム内で全ての職域が賄われるジム制度に対し、アメリカなどのボクシング先進国で用いられる「マネージャー制度」においては、プロモーターとマネージャーは完全に隔てられている。
この連載では、日本における現行の「ジム制度」の問題を中心にして議論を進めたい(上述の“自由”の問題もジム制度の問題点と大きく関わる)。
最後に書き手である自身について書かせて頂くと、僕自身はつまらない一介のプロボクサーに過ぎなかった。今回日本ボクシング界におけるジム制度を問題にするが、自分がジム制度によって何らかの不利益を被ったという事は一度もない。ただ、ボクシング関係の友人・知人の話しや、一部メディア報道を聞くに付けて、やはりジム制度には多くの問題があると考え、これを議論の俎上に乗せたいと思った。現在のところ、連載における構成などはあまり考えておらず(本当は一回限りでこの話題は終わらせようと思っていた)、思い付くままに書いていきたいと思っている。また、この連載にどの程度の労力を払えるかと言えば、例えば出来るだけ資料を集めて、誰か関係者にインタビューをして、という程の事は出来ない。未熟な書き手による、中途半端な書き物になるかもしれないが、最善は尽くしたい。そして週一の更新を目指したいが、自信はないです(苦笑。
以上、宜敷お願いします。