実家にはまだ帰らない/S氏と/上
その夢は、あの、聴き覚えのあるシンセサイザーの音で幕を開けた。
アリーナ級のポップ・メタルをBGMに、僕は空を飛んでいた。
僕は鳥だった。
羽の生えた身体は鳥なのだが、顔は人間の僕のまま。しかも目と耳がやたらと大きくなっている。
グロテスク。顔を直視できないのに、そんなことがわかる。
視覚も聴力もその器官の異常な形状と比例して、異常な発達をしているらしい。
高性能レンズと化した眼球はめまいがするほど遠くまで見渡せるかと思えば、ある対象に焦点を当てて、ごく至近距離までズームできる。ヴァン・ヘイレンの「Jump」は絶妙な調整の施されたサウンドシステムのように脳内に鳴り響いていた。
舞い踊るように上空で旋回を繰り返す。飛行する快感はほとんど性的興奮に近く、危うく射精しそうだった。
スカイツリー、東京タワー、お台場フジテレビ、レインボーブリッジ。つまり東京湾上空らしい。
ギターソロ。次第に風が強くなる。雨が降ってくる。雷が落ちる。
そんな話をしながら、待ち合わせ場所の喫煙所から近くの安居酒屋へと向かう。
ギターソロ。次第に風が強くなる。雨が降ってくる。雷が落ちる。
しかし、僕はどこかを目指しているらしく、あえてそのスカイパニック映画的な嵐へと突っ込んでいった。雷雨と強風に圧され、目の前も見えない。もうダメかと思った瞬間、やがてシンセサイザーの音に導かれながら太陽の光が嵐を吹き飛ばした。僕はなんとか体勢を整えた。
嵐が過ぎ去り、暗雲が晴れると、目の前には東京ディズニーランドがまるで幸せの終着点のように輝いている・・・いや、違う。これは・・・これは巨大なドヤ顔だ。
ミッキーマウスやミニーマウスが僕に向かって手を振っている。なぜかミッキーはサングラスをしてタバコを吸っている。休憩中なのかな。ミッキーもタバコを吸うんだ。へー。でも、ミッキーが喫煙しちゃいけないことはないものな。よく考えれば、僕はミッキーのことを一切知らないのだ。それにミッキーは世界的な大スターだ。セレブの王様みたいなものではないか。ミッキー以下の世界のセレブたちが多くの薬物に手を出してつかまっているくらいなら、ミッキーの喫煙くらいかわいいものじゃないか。
それからドナルドにデイジーにグーフィーやプルート。くまのプーさん、チップとデール。シンデレラ城にはシンデレラ、白雪姫、アリエルなどの美女軍団。なぜだかマイケル・ジャクソンまでいる。「キャプテンEO」の頃のマイケルだ。 じゃあと思って探すと、やっぱりサングラスをかけたF・コッポラとジョージ・ルーカスもいて、僕に向かって手を振っているのだ。ふたりはどうやらケータリングの食事をとっているらしい。撮影中はああいう感じなのだろうか。
ヴァン・ヘイレンのメンバーがシンデレラ城の前で「Jump」を演奏している。
デヴィッド・リー・ロスが僕に向けて右手で親指を立てウィンクをする。
東京ディズニーランドを通り過ぎ、そこが千葉県浦安市だと気がついて、僕はようやく理解する。
そうだ。僕は、実家のあるチバケンナラシノシアキツを目指しているのだ。
ここから、この速度で進めば10分足らずで実家には辿り着くだろう。
そう考えているうちに、船橋ららぽーとを通過し、実家までもう少し。
幕張新都心、幕張メッセ、マリンスタジアムが遠くに見えてきた。
クリーンで、安全で、どこかプラスチックな郊外の住宅地。
実家が見えてくる。
目が覚める。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
実家前夜、同じくEn-Sophに文章や翻訳を投稿しているSさんに会うことになった。
5月の連休でSさんは私に先駆けて実家に帰っていた。僕と同じくSさんもゴールデンウィークは関係ない。彼は今、休職中なのだ。そのあたりのことは彼がEn-Sophにエントリーしている日記に詳しい。
目が覚める。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
実家前夜、同じくEn-Sophに文章や翻訳を投稿しているSさんに会うことになった。
5月の連休でSさんは私に先駆けて実家に帰っていた。僕と同じくSさんもゴールデンウィークは関係ない。彼は今、休職中なのだ。そのあたりのことは彼がEn-Sophにエントリーしている日記に詳しい。
Sさんの実家は、現在僕の住んでいる町の隣にある。
時々彼が帰郷すると、一緒に酒を飲み交わす。
Sさんの実家の方には飲み屋が少ないので、いつも彼の方からこちらの駅までやってくる。
ちなみに、彼もアラサーである。
「すっかり春ですね」
「そういえば私の友人に春の陽気にやられた人がいました。Nさんという人です。中村さんは会ったことがなかったかな」Sさんは言う。
「読書会に来てたこととかってありますか?」
Sさんは新宿文藝シンジケートという読書会を主催していて僕も一応そのメンバーだ。En-Soph同様、多種多様な人が集まって一冊の本を批評し感想を話し合う場所。僕も何度か参加している。
「何度か来ていますね。歌舞伎町の飲み屋で打ち上げする時にもけっこう来るし」
「会ったことないですね」
「会ったことないですね」
「その人は、神感謝パワーが昇天しなんちゃらかんちゃらで実家に帰らねばとかブログに書いていました」
「なんだかかわいそうな人ですね」
「ごくごくふつうの人なんですけれどね。まともな人ほど精神を病んでしまうようです」
「世も末ですな」
ハハハハハ
「ごくごくふつうの人なんですけれどね。まともな人ほど精神を病んでしまうようです」
「世も末ですな」
ハハハハハ
そんな話をしながら、待ち合わせ場所の喫煙所から近くの安居酒屋へと向かう。
まだ時間が早いからか、いつも利用している立ち飲み屋は空いている。
ビールを二つ。焼き鳥の盛り合わせなどを頼む。
「アラサー入門、読んでます」
乾杯をすると、早速Sさんは言う。
「面白いですか?」
「面白いと思いますよ」
「面白いですか?」
「面白いと思いますよ」
本当だろうか。しかし、あまり深読みをしても仕方がない事であるし、Sさんはそのへんの評価は容赦しないところがある人なのできっと本当だろう。
あるいは今はお世辞でも、酔いがまわればだんだんと本心も出るに違いない。
心の準備をしておこう。
「ありがとうございます。でも、こんなんでいいのかなとかも思ってます」
「いいんじゃないですか。今はスマホとかiPhoneでのブラウジングが増えてるから、あまり抽象度や批評性の高い内容の文章ばかりだと読者は限定されてくるし・・・・・・つまり、私もそうですし、誰もがそうなんですけど、中村さんは中村さんなりにEn-Sophという言語空間の中での多様性のひとつになっているから、それはそういうことでいいんじゃないですかね」
「まぁ、僕も内心そう思っているんですけどね。それに専門的な知識があるわけではないから、あまり背伸びをしても僕の場合だと火傷するだけだろうし・・・」
「次はどうするとか決めてるんですか?」
「次はどうするとか決めてるんですか?」
「多少決めているんですけれど、迷っていて・・・なにかいいアイデアありませんか?」
「うーん・・・決めているっていうのはどういう?」
「風俗に行ってみるとか、精神科に行ってみるとか。そういうのを考えますね。どっちも未経験なんです。せっかくだからこの機会に行ってみて、ネタにしてみるっていうのは面白いかなと考えたりします」
「風俗に行ってみるとか、精神科に行ってみるとか。そういうのを考えますね。どっちも未経験なんです。せっかくだからこの機会に行ってみて、ネタにしてみるっていうのは面白いかなと考えたりします」
「はぁ。カウンセリングとか行ったことないんですか?」
「ないです。だから憧れがあるんです」
「そんな憧れ持たない方がいいですよ。薬漬けになると大変だし、お金もかかるし」
「ウディ・アレンの映画とかでよくあるじゃないですか。ミア・ファローとかがソファーに寝転がって、カウンセラーと話しているっていうシーンが」
「ああ、ありますね。ニューヨーカーというか、ヤッピーの世界観ですよね」
「そういう現代人ぽい状況に都会的な雰囲気を感じてるんだと思います。ウディ・アレンの映画の登場人物たちは人と約束を決める時なんかでも “火曜日はカウンセラーと会うからダメだわ” とか言っているのがどこかカッコよく見えるんです」
「まぁ、それはフィクションだからですよ。それにウディ・アレン映画にあるそういうベタな道具立てもNYに住むハイソサエティを喜劇というか悲喜劇的に風刺して描こうとしているだけだし。っていうか、その憧れがすでに現代病的ですよ」
「仰る通りだと思います」
「それに中村さんはどちらかというと反精神医学なところがあるじゃないですか」
「そうですね。あらゆる事が 【心の問題】化される最近の風潮も危険だと思ってます。でも、そういうことはひとまず置いておいて、ソファーに寝転がってカウンセリングを受けてる。そんな状況に憧れるんです。だけど、このへんの埼玉県の精神科医に通うのはいやなんです。医者の部屋のインテリアはイームズやイサム・ノグチで、窓の外は秋のNYであってほしい。そして、僕も医者もル・コルヴィジェに座ってるんです」
「それはただNYに行きたいというか、ウディ・アレン映画に入りたいだけに聞こえるなぁ」
「でも、そういう妙な憧れってあるんです」
「よくわからないなぁ」
「あと 例えば、勝間和代にハマるキャリア志望のOLが、実は影では香山リカを読んで癒しを求めてるみたいな、そういうベタに現代日本的な病み方をしている人とかにも憧れる」
「そんな典型的な人いませんよ」
「同時代を強烈に生きているように見えて少し羨望を感じるのかもしれない。あと現代人の病クラスタに属しているという感じもするし・・・」
「そういう風に思うのも中村さんに余裕があるから、健康だから何だと思いますよ。私はもう普通に生きるだけが精一杯過ぎて、考えるだけでそういう状況は無理って感じですけれども」
「僕もそういう立場になってしまったら絶対に嫌ではあるんですけどね。そもそもそういうベタさはベタ過ぎてもう日常になってない、逆に非日常になっているから魅力的なのかもしれない」
「それはさっきのウディ・アレンの登場人物に憧れるのとすこし似てるように思いますね・・・すみません、ところで、このつくね串の盛り合わせ頼んでいいですか?」
「そうしましょう。あとこの焼きそばか、この、焼きそばナポリタンを頼みませんか」
「いいですね。でもどちらにしよう」
我々は悩んだ末、非日常性を重視し、焼きそばナポリタンにしてみた。
(続く)