絵文字、使ってもいいのかな? テレビ
や 音楽
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子供のころ、テレビが好きだった。うんと小さなころはアニメ、小学生になったら下品なお笑い番組がお気に入りで、親がいやな顔をしていた。でも親と一緒に大河ドラマだって見ていた。それなりに面白いと思った。
私がテレビを見なくなったのはいつ頃だろう。もう学生生活も終わりという冬、横浜の下宿の部屋にこもっていたことがあった。期末試験も終わって学生としての本分は果たしてしまい、社会人としての本分はまだなくて、何の気兼ねもなかった。本能的にやりたいことしかやりたくなくて、本能的に読みたい本だけ図書館で借りてきて、ずっとそれを読んでいた。夜中あいだ本を読んで、明けがた新聞が配達されるとそれを読んで、そして眠った。お腹がすくと、すいたときに食べた。
部屋には小さな白黒テレビがあって、手の習慣で、一度だけそれをつけた。画面に現れたのはニュース番組だった。音声はアナウンサーの顔が映し出された画面に合っているとは思えず、続いて映し出された映像は自分とはまったく関係なく、読みかけのラテンアメリカの小説のほうがよほど現実味があるように思えた。
たぶん、そのころからだと思う。テレビを見なくなったのは。
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外国語の勉強をしていると、その言語でテレビを見るように勧められる。母国語の放送だって見ないのに、どうして外国語のテレビなんて見るだろう。私は何語でもテレビは見ない。テレビ番組は有害だとか、そんなことを言うつもりは毛頭ない。ただ単に、好きじゃないし、必要でもないのだ。なんだかんだでテレビ見ない暦は四半世紀になるだろうか。
それでも音楽は聴いていた。父がクラシック音楽が好きで、子供のころはバイオリンを習っていた。大人になっても性懲りなくレッスンを取り続け、アマチュアオーケストラで演奏していた。自分が音楽を好きでないらしいと気がついたのは、この2~3年のことだ。
それで、音楽も聴かなくなってしまった。
でも音楽のことを考えるのは好きだ。クラシック音楽のことを考える。ヨーロッパ、産業革命以前、パリ、ロンドン、ローマみたいな大きな街でも、人々の日常はすごく静かだったんじゃないだろうか。騒音が人々をウキウキさせるのはお祭りとか、市場で物を売り買いしているとか、すごく盛大な結婚式とか、そういう時だけだったんじゃないだろうか。
そういう人たちの、音に対する感性はどんなだったのだろう。そういう人たちがたとえば、モーツァルトの音楽を聴いたら?いつも粗食をしている人が、いきなりご馳走を食べるようなもんじゃないだろうか。何も理解できないか、あるいは音の滋養が身体に行き渡るにまかせるか。
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私が予期しない状況で音楽を聴いて、とてつもない嫌悪感や、情緒が混乱するほどの衝撃を受けるのは、ふだん何も聴いていないからなのだろうか。





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