幼少より絵画に親しみ、芸術系の高等学校卒業生のはしくれとして、いちおう山にはスケッチブックや鉛筆、絵の具なども持ってきていた。沢を隔てた山頂が見渡せ、下界(都会)ではめずらしい高山植物も豊富な環境だったので、休憩時間には切り株、地ベタにすわり写生なぞしていた。


…んですけどね、何だか虚しくなってきたのです。それは一時的ではあるが山中で生活しているのに、日常の中で感じ取るさまざまなことを表現の中に何一つ反映させていないということ、通りすがりの登山客にも見えるようなものしか自分は描いていない、と感じてしまったからだと思う。勿論、個々の モチーフを徹底的に観察し、概観から細部に至るまでを描き出し、そうすることで物のもつ世界観やそれと自己との関係を浮かび上がらせるのは、一つの絵画の方法であることは多少心得ているつもりだった。ただ私にとってはその「方法」では実感が湧かないらしい。実感が湧かないと理解もできないようだ。じゃあデ フォルメすればいいかというとそういうことでもない。その時、その場所に存在していた自分と、スケッチ作業が、何か根本的にかみ合わないといった感じだっ た。水の音や土の感触、風の匂い、刻一刻と変化する光と色、山の一見した美しさと生活している現実とのギャップなど…それらが絶え間なく五感に与えるものに比べれば、私の手元にあった平面画像はあまりにもボンヨウでつまらなかったし、それをどうにかしてつまるものにしようという気も起こらなかった。

8月の後半に入って客入りも落ち着いたころ、ふと思い立って辺りにあるのものを拾って紙にはりつけた。忽ち面白くなって、木の皮や葉っぱや枝などの自然植物、焼却行きの石油缶からひろってくるゴミなどを混ぜて貼るようになった。これは一言で言えばコラージュだが、その時の私にはこの方法は何かしっくりくる ものがあった。「いま、ここ」にいることが、知る限りの方法でフィジカルに表せるという感触だった。作業がおもしろく、暇があればいつでもやっていた。 時々仕事もそっちのけで没頭し、小屋の皆には迷惑をかけた。「もっと学べることがあるんじゃないだろうか」そう思いはじめた。

自分の中の変化についてもうひとつ言うとすれば、視覚に対する認識の変化だ。下界では一定量にコントロールできる光も山(天上界とはさすがに言わない)では野生のままだ。晴れの日は明るいが、雨の日は暗い。雨上がりの晴れた夕方は周りのものが変なピンク、夜はアルコールランプと懐中電灯の灯りだけ。そんな環境ですごしていると、「色」とは認識という、ある意味では思い込みであることがよく感じられる。視覚的にどんなに美しい物でも、悪天の中は彩度が落ちるし、 真っ暗ならば何も見えない。私には、変化する一瞬一瞬がもたらす感覚がその都度リアルだったし、それをすんなり受け入れることができたのは、自然に囲ま れ、多少原始的な生活を送ったことのおかげだったと思っている。


ある日テント場に学生とおぼしき男女の団体が宿泊した。都内にある美大予備校生で、登山は同校のイベントだという。「へーよくこんなところまで登ってくるね。(自分は棚上げ)でもそうか、美大目指すのか…」

(つづく)