2011年12月4日

風呂に入り、体に軟膏を塗り、湯たんぽを三つ作った。二つは妻が使う。わたしは残り一つの小さいものを使うが、夜中暑くなって布団から蹴り出してしまうこともままある。湯たんぽに使ったお湯の残りで、妻の同僚の韓国土産の菊茶を飲む。彼の国では、菊の花を煎じて飲む習慣があるらしく、面白いものだと思いながら、レッド・ガーランドの抑制的かつ端正なピアノの演奏に耳を澄ましていたら、まあ生きていても悪くないね、という気分になるもので、まったくお茶と音楽というのは偉大なものだと改めて思った次第。

しかし師走に入り、一段と冷え込んだり、暖かくなったりと、まったく気忙しいものである。とはいえわたしは自宅療養の身であるから、世間の動静にはとんと疎くなり、まあ、それでも世界は、地球は相変わらず回っているし、クラークの『幼年期の終わり』のように人類を超えた知的生命体が地球に飛来したという話も聞かないし、愛と憎しみとその中間くらいのあいまいな感情で先進国では労働者は生活に疲れており、アフリカではどんどん産まれる赤子が片っ端から死んでいっているのだなあ、と思う。何も変わらないと思うのは、家にこもっているわたしの心だけで、いわゆる客観時間があらゆる物事を少しずつ、しかし確実に変えていっているということはわたしも実は知っているが、今ひとつ実感に乏しいのはやはり毎日、幼児のように寝て暮らしているからだと思わざるを得ないきょうこの頃である。

2011年12月9日
先日、近所の梅ヶ丘図書館で借りた荒川洋治『日記をつける』(岩波現代文庫)が素晴らしすぎて、陶然としながら朝から読みふけってしまった。二度寝してから、起床し、二時過ぎに外出。

梅ヶ丘駅前の東秀が気に入ったので、もやし味噌ラーメンと餃子を腹に収めて、図書館へ。東秀からは歩いて5分くらいだろう。距離は無いのだが、途中に横断歩道や交差点の信号機が邪魔すれば、もう少しかかるかもしれない。

図書館の一階の書庫で十進分類の915.5の棚を見る。ああ、あるある荒川洋治だ。この人の詩は確かむかし教科書にも載っていたはずなのに、あの頃はちっとも胸に響かなかったな、と思う。荒川洋治の詩集を、書架の前で立ち読みする。驚かされた、うむ、そして現代詩は行き詰まったのかな、とも思いつつ、驚きを隠せない。ああこういう清く深く力強い、心底の骨と粘りのある文章に出会って、ああ、これはあたらしいぞ、あたらしいぞ荒川は、とわたしは思った。今まで幾度となく目にしてきた名前なのに、今まで、どうして、わたしは…。


2011年12月15日
実家の母が外食しようというので、朝早くから付き合って、航空自衛隊入間基地近くの公園やジョンソンタウン(入間基地は米軍がジョンソン基地という名前で使っていた。40年くらい前にわが国に返還されたが、当時の米軍人・軍属が住んでいた通称「米軍ハウス」が今も残っており、リノベーションされて商店や住宅として今も使われている。そのハウスが残っている地域がジョンソンタウンと呼ばれている)を散歩し、狭山市内の割烹料理屋(昭和2年創業)で昼食をとった。その後も、煙草を買いに出掛けたりして、ずいぶんと歩き回ったので、さすがにくたびれた。


2011年12月16日
父から「鬱になるというのはまったく不思議なことではない。それこそが人間たる証だ」という力強い励ましを貰った。母からは、実は父の母(先日94歳になった)が若い頃、うつ病で入院していたという打ち明け話を聞いて驚いたり、なかなか良い一時帰省になったと思う。父も母も心配してはくれているが、どうもわたしよりもわたしのことを分かってくれている節があって、それは親なのだから、当たり前かもしれないが、しかしそれはやはり有難いことだなあという感慨を胸に、世田谷の自宅へと戻った。

夕食を作る元気はなかったので、梅丘駅前の東秀で、もやし味噌ラーメンと餃子を食べて、帰ってTBSラジオを、年末商戦でぐったりしている妻と一緒に聴いた。近田春夫がとつぜんガンとの闘病生活から話を始めたのが驚いたが、どんな人も病に冒されることがあるのだなあ、とこれまたしみじみと興味深く聴きながら、風呂に入ったり、妻のマッサージをした。


2011年12月22日
人生は闘争である、という支配的なテーゼに顔を背けて生きて四半世紀が過ぎようとしている。人生から降りたくなることは、今までにも幾度もあった。けれども、自殺未遂を繰り返すこともなかったし、わたしのそれは臆病な厭世観とでも言うべきものであり、そのことについては十二分に承知している。

というような調子から、すでに察していらっしゃる方もおられるかと思うが、実家にかえっていた先週の反動なのか、今週はとても具合が悪い。寝たり起きたりの繰り返しで一日があっという間に過ぎ去っていく感じである。結局、具合が悪いときは、それを受け入れて、きちんとぐったりすること以外にやり過ごす方法は無いのである。が、にしても、しかし、とついつい言いたくなる。

傍から見れば、ただぐにゃぐにゃしている怠け者なのだが、本人としては意識があることそのものが疎ましい、というか何も感じたくない感じで、それも手伝って寝てばかりいるのかもしれない。

昨晩、妻に「うつをあまり甘くみないほうがいいよ」と指摘された。妻もだいぶ前ではあるが既往歴があるので、精神に不調がある辛さもおおよそ分かるのだろうか。いずれにせよ、妻には整体と漢方を薦められている。医療費が嵩むばかりで実に悔しい限りだが、両方とも試す価値はあるだろう。この点は、今週末の定期通院時に主治医に相談しようと考えている。

しかし寝たり起きたりを繰り返すばかりというのは実に憂鬱な作業である。もちろん寝ている時は良いのだが、目が覚めたときのなんとも言えない虚しさは他に例えようがない。しかし、まあ焦ったところでこの超低空飛行から離脱できるとは思えないので、粛々と寝たり起きたりを繰り返している次第。こう書いてくると我ながら哀れな気持ちになってくるが、そして同時にアホらしい気持ちにもなるのだが、どうしようもない時はどうしようもないのである。自分が病んでいることを受け入れるには、なかなかずいぶん手間暇がかかるものらしいことを、師走も末になって、わたしは知ったのである。


2011年12月23日
苦手なことと言えば不特定多数の人に気をつかうのが苦手ですね。あと集団行動。人と協調して何かを為すってことに関心がもてない。まあそれでも、合唱団を作ってみたり、同人誌を作ってみたりいろいろしてきましたけどね。で、いま続いているのは読書会です。月一度、新宿にある貸し会議室で本を読んだ感想を述べあったり、議論するんです。これは無性に楽しいですね。だから、具体的な利害関係がない集団で、それぞれが好き勝手にやっているというのは好きみたいですね。そうでないのは苦手。いやまあかりにも会社員として7年間やってきた訳ですから、嫌いとは言えないんですよ。嫌いも何も働かなければいけない状況では働きますからね。ただ、得意ではないです。苦手ですね。

あとはお世辞とか、相手への思いやり、気遣いというのが苦手ですね。そういう関係性に巻き込まれることが嫌なんですよ。お互い様じゃん、とか言いたくない訳ですよ。恩を着せあうとか、最悪の文化だと思いますね。まあ、義理ってのもなるべく回避したいですが、結婚してしまうと、親戚づきあいとか、やはり最低限の義理が必要でね。それは仕方がないと思っていますけど。

あと、嫌いなことは他人に期待することですね。理由は、ほとんど裏切られるからですね。期待なんてのはしちゃいけないんですよ。期待した挙句、空振りみたいなことはあって当然でね。もちろん自分が傷つきたくないっていうのもあるんですが、要は疲れるのが嫌なんですよ。精神的な束縛や圧迫感は、出来うる限り、排除していきたいといつも考えています。だから、こういうところが、社会と相容れないんですね。もうだいたい仕組みは分かってるんです。バカじゃないですから。でも、その場に入ると、ああもう完全に日本的な秩序ですね、同調圧力、最悪ですね。だから、わたしはこの国に生まれて、感謝もしていますけど、憎しみも凄く強いです。結局、それは自分が日本人であることに執着していることに繋がります。愛憎半ばするという風にしか、大抵のこととは向き合えないですね。だから、生きることに疲れてしまうんだと思います。

結局ね、社会がわたしに常に何かを求めてくるという考え方から抜け出さなければいけないと思うんですね。つまり社会の意味は自分の中で組み換えていくしかない訳です。社会の側がわたしに求めることは生産と消費ですからね。これは生きている以上、変わらない原理ですよね。でもわたしはプライドがある訳ですよ。なぜかは知らないけど、そういった社会に与したくない訳です。表だって何かを破壊したいとかそういうことではないですよ、もっと精神的なものです。実に面倒くさいですね。

うん、ただ社会との交わりを断って生きるほど財産ありませんから、最低限は働かないとな、とは思っています。


2011年12月27日
なんだか最近、自分が人間をやめてきているように思う。

健康な成人は夜の零時に寝たら、遅くとも翌朝八時には起きるだろう。わたしの場合は、翌日の昼の3時まで寝る。ビル・ネルソンもネルソン・マンデラもびっくりするであろう。一日15時間睡眠は、あまりにも過激過ぎて、乳幼児らにも青い顔をされ、その上、後ろ指をさされそうだ。バブーバブーねちゅぎでちゅー。

たくさん寝ていると物凄い夢をたくさん見る。映画なんか観るより、こっちのほうが当たりが多くて効率が良いと感じている時点で、どうかしているのだが、そう感じてしまう以上仕方がない。最近は自分がヒーローになっている夢であるとか、猛烈なエクスタシーを感じている夢など、とても素晴らしいので、これをそのまま、都内の映画館に配給できたらちょっとは儲かるんじゃないかと夢想している。

健康な皆さんは真似しないように。まあ、真似できないと思いますが。えっへん。えっへんじゃありませんね。


2011年12月28日
今日も午後3時まで寝ていた。おわり。

まあ、要約すると一行で終わるんですよね。人生も同じ。

生まれて、老いて、病んで、たいてい苦しんでいたが、某年某月某日死去。

早く人生終わらないかなと思うけど、自殺できないし、する気持ちにもなれない。だとしたら、今後どうやって生きていったらいいのか。本当に苦しいです。涙が出てきます。

生きてれば、楽しいことや嬉しいことがあるのも知ってます。でも、もうそういうのいいんです。要らないんです。何も感じたくないんですよ。消滅したい、今すぐこの場から。

そうもいかないの、分かってます。早く死にたいって自殺する人は黙って死んでいくんです。わたしがわざわざそういうことを書き付けるのは、それを誰かに知らせたい訳ですよ。こんなにも苦しんでいるんだと、生きることに。なんという浅はかな自己顕示欲でしょう。ヘドが出ます。

希望も絶望もない新年がやって来ます、もうすぐ。新年って、便宜的なものだし、ちっともめでたい感じがしないですね。今年はたくさんの人が死んだから、鎮魂の為に、テレビを観ないお正月を過ごしたらいかがですか、皆さん。どうせこの狂った国はやはり正月はやたら賑やかな特番を流すクズテレビ局でいっぱいなんです。テレビを消しなさい。

ああ、鬱々とした気分が泉のように。汲めども尽きぬ泉のように。溢れて。ビヤ樽のように膨れたわたしの上を這い回っていきます。

皆様におかれましては、ご清祥のこととお慶び申しあげます。

ああ、ああ、ああ。


2011年12月29日
朝起きたら、次は午後10時だった。

そういう感じでひたすら寝てました。

夜中、妻が寒いよーと言いながら布団の中に入ってくる。目が覚めるも、面倒くさいので、また寝る。本当にほとんど寝ていました。20時間くらい寝てたのかな。

さすがの廃人もちょっと心配になってきました♪


2011年12月31日
実家に帰り父に言われたことば。

「作家になれ!ただし、村上春樹も朝の4時に起きて、1日5時間か6時間は執筆する。そのほかは好きなことをしている!まだ誰も書いていないテーマで、誰も書いていない小説を書きなさい!」

うーむ。