2007年の7月下旬から11月初頭まで、途中下山した4日間をのぞいて山で過ごした。
仕事内容は客食、掃除、小屋受付など。気温は真夏の日中でも20℃台、夜は氷点下になることもあり、8月にも関わらず霜焼けになった。10月に入ると沢から引っ張ってくるホースの水が凍結しはじめる。雪も降って時たま積もった。電力供給は自家発電のみ。お湯は火で沸かすしかなく、風呂は週に1度。それでも3日位放っておくと頭が痒くなってくるので、「水のいらないシャンプー」を頭皮にもみこみ冷水をぶっかけてごまかした。電気をつける(発電する)のは朝夕の食事の時間帯だけだが客の入らない日はまったくつけない。大体そんな日は台風などの悪天候で誰も登山なんかしないような日なので、失業したスタッフは暗闇の屋内に引きこもる。以上が端折りに端折った小屋生活の概観である。


まだ東京にいたときの話を続けると、とにかく四六時中どうすればいいか考えていた。ただ真剣に自分の行く末を考えていたのでは最早無くなっており、「考える」エネルギーだけが脳のなかで自ら稼動、空焚きしていた。その影響は日常の些細なことまでに及んでおり、例えばコーヒーを飲むか茶にするか、コーヒーにしたとしてカフェオレなのかカプチーノなのか、SサイズなのかMサイズなのか、一々検討して「これ」と思われる選択肢以外の全てが不適切であることを確認しなければ気がすまないようになっていた。もちろん留学に関しても、それ以外の選択肢を検討してみた。どれも違う気がした。というより本当は始めから違うと分かっていながらどこかでは諦める口実がほしいので、スクールetcに問い合わせてみたりするのだが、結局は自分を偽れなかった。だから結果的にはわざわざ「違う」ということを確認・破棄していたなどという、ナントも回りくどいことをしていたのだ。自分の望みの大きさに反比例してそれを実現する社会的な能力や勇気、判断力が衰えていたので、欲は相対的に肥大化した。労働したわけでもないのに疲れているため目の焦点が常に合っておらず、歩くときもフラフラしていた。服装もどうでもよくなり、ショッピングも興味0、人付き合いもわずらわしくなった。ただ自分がこうなってしまったのが家族や他人、または社会からの圧力によるものでなく、自分が自分を何の利も無いのにただ単に追い詰めているという「バカバカしい」事態であるという自覚が、ますます落ち込ませ、自尊心を低下させていた。

以上のような状態だったので、山に入ってから始めの一週間くらいはボンヤリしていた。仕事も覚えることが多いのだがよく間違えて注意されてはションボリしていた。でも起床朝5時、就寝午後9時の勤務生活に変わり、太陽の光が全ての色を変える環境に身を置いていたら、頭の中をぐるぐる回っていたどうしょもない由無し事を、少しずつ、いつの間にか考えないようになっていた。

(つづきます)