2011年10月15日

6時半起床。わたしと妻の結婚式なので、結婚式をした。神前式は明治時代に生まれたもので歴史が浅いが、神主の祝詞奏上もこれは仏教の影響を受けて生まれたもので、やっぱり発声の仕方も僧侶に似てるな~などと思いつつ、三三九度+ショウとヒチリキのアンサンブルにてしばしトランシーな良い具合になった。披露宴は極めてシステマティックに無事進行したが、魂は虚ろだった。現在の結婚式はあまりにも形骸化し過ぎており、産業化の度合いが甚だしい…などと陳腐に憤る気力も無かったが、このような仕組みで満面の笑みを浮かべられているご老体や朋友も散見されたので、結局やって良かったという結論に至り、まあしかしくたびれた、休職している身には。


2011年10月18日

結婚式の疲れがでたようで、ぐったりして一日中寝て過ごす。


2011年10月25日

最近、どんな暮らしをしているかというと…

朝、7~8時くらいに起き、朝食を済ませ、妻を送り出す
10時くらいまで、本を休み休み読んだり、CDで音楽を聴いたりするが、たいていどこかで疲れてしまい、ベッドでぼんやりする
11時~12時の間に昼食を作って食べる
13時~17時、後睡
17時ころ、起きる。洗濯物を取り込んだり、買い物に出かける
18時~19時、夕飯を作って食べる
20時、妻帰宅
21時、入浴
23時、妻のマッサージをする(背中や脚)
24時、就寝

ほとんどこんな具合で、日によって若干の違いはありますが、だいたい一日10時間以上、夢の世界におります。病気療養の名にふさわしいライフスタイルかと思われますが、しかしこれは廃人のようだな、とも思わずにはいられないこともあります。

まあ、仕方ない。引き続きこういう生活をしばらく送ることになりそうです。妻よ、申し訳ない。


2011年11月1日

月がかわったが、相変わらず、ほとんど毎日寝て過ごしている。休職しているふるい友人がいるので、散歩をしているかどうかメールで訊いてみようと思うが、面倒で寝てしまう。旺盛だった食欲も、少しずつ無くなってきた。これだけ寝ていれば無理もないだろう。

きょうは昼過ぎにがんばって近所のコンビニまで行ってみたが、それだけで疲れる有り様。本はほとんど読めないが、読みさしになっていた『バスカヴィルの犬』(新潮文庫)を少し読んだ。面白いけれども、やはり読むと疲れてしまうので、読むのをやめると寝てしまう。いくら休職中とはいえ、生活のリズムを作らねばならないと痛感する。朝ごはんを済ましたら、散歩に出て、梅丘図書館まで行って、帰ってきて、昼ごはんを食べて、昼寝をするとか。なんだかもうやたら自堕落になっているのが、というかただの寝太郎なのだが、これがもうなんだか良く分からなくなってきている。放置しておくと、完全な引きこもりになり、肉体も衰弱してしまうだろう。危機感を持たねばと思うのだが、一方でなにもかもどうでもいいという自棄的な気分があり、やはりこれはあまりまともではなく、どちらかというと常軌を逸した、病的な状態なのだろう、と診断書をもらって休職していながら言うのもおかしなものではあるが、改めてそう思うのだった。


2011年11月19日

昨日は雨の中、電車を乗り継いで、船橋の病院へ行ってきた。電車の中では竹田青嗣『現代思想の冒険』(ちくま学芸文庫)を読む。本当にひどい雨で、おまけに追加で一ヶ月の休職が決まり、疲労感から、実家に帰る予定をキャンセルした。東船橋の駅前のサンクス店頭にある喫煙コーナーから母に電話。あなたにはふてぶてしさが足りない、あとはすべて小説のタネにできるくらいと思って生きなさいと言われた。母はまことに偉大だと改めて思った。

家に帰って雨に濡れた服を脱ぎ、布団に入って寝る。知らぬ間に、出掛けていた妻も帰ってきておりふたりで寝ていた。目が覚めると20時を回っていた。昨日作った味噌汁の残りとビスケット、豆乳で晩ごはんとする。食後にはきちんと薬を飲み、風呂に入って寝た。


2011年11月21日

一日中、寝たり起きたりを繰り返してたくさん夢を見た。まるで夢の中で生きているような一日だった。むしろあちらの世界で暮らしたいのだが…食費も家賃もかからないし、などと馬鹿げたことを思う。

寒いのは、良くないなあ、と思いつつ寝たりばかりしていると、本当に世捨て人のような気持ちになってくるからふしぎだ。しかし妻が仕事から帰ってくると、ああ、わたしは世捨て人な訳ではない、ただの長期休職者だと現実に戻る感じがする。


2011年11月22日

昨晩は寝る前に、海老坂武『サルトル』(岩波新書)を読んでいた。かなり読み進めたのだが、結局途中から切り替えた竹田青嗣『ニーチェ入門』(ちくま新書)を読み終えることになった。だいたい夜寝る前は調子が良いので、本を読むことができ、集中して読めると本当に楽しいのだが、日中はそうはいかないことが多い。

10月の最初の頃は、テレビもラジオも苦痛だったが、最近はふつうにCDを聴いたり、静かなラジオ番組を聴くことならできるようになった。テレビ番組についても、毎週日曜日のN響アワーと、そのあとのETV特集は面白ければたいてい観ている。こう考えるとだいぶ回復してきた訳だが、生来の体質が再来したのか、とにかく家の外に出るのが億劫で、これは良くないと思いつつも、やはり寒いしなあ、などと思っていると、あっという間に夕方になってしまうのである。

最近は妻と口論することが多くなった。まあ、仕方がないとは思う。一見、何も問題がなさそうな夫が日がなごろごろしており、仕事から疲れて帰ってきても、ごくたまに夕飯の準備があるだけで、ほとんど何もしない。こんな状態がいつまで続くのか。考えるだけでうんざりしてしまうだろう。わたしももし妻の立場だったら、次第に我慢ができなくなり、夫を罵ったりすることも、ままあるだろう、と思うのだが、自分の身かわいさゆえか、やはり、妻にいろいろと言われると腹が立つ訳で、腹が立つだけ、まあ元気な訳だが、しかしこのいかんともしがたい状況はいかにして改善されうるのかということを考えざるを得ない。いまのところ、すべてを過ぎ行く時間に任せている、というのが実情である。

夢はたくさん見ても、決してそっくり覚えている訳ではない。断片的に覚えていることが多い。それを一々書き連ねるのも馬鹿馬鹿しいと思って書かないが、鳥羽の造船所に乱歩が勤めていたとき、ほとんど引きこもりになり、押し入れの中にずっと入っていたというエピソードを思い出したりする。また、押し入れの中で寝ているといえば、ドラえもんがそうだが、ドラえもんは架空の人物だった。いや、わたしは押し入れの中で夢を見ている訳ではないのだが。きちんと寝室のベッドで寝ているのだが。気ままに思いついたことを書いていたら、こんな具合になってしまった。そういえば細野晴臣御大がレコード大賞を受賞したが、今更過ぎると思う。まあ、どうでもいいことばかりだ、この世は、と思いつつ、あの世とこの世の間にいるような気分のわたしはやはりこの世の方に帰らねばと思う。とても面倒くさいのだが、自殺する勇気もないし仕方ないだろう。


2011年11月25日

昨晩は昼寝をしていなかったので、8時くらいに眠くなってしまって、途中、妻のせいで目を覚ましながらも、夜中の3時までぶっ続けで寝た。3時くらいに一度目覚めたが、さらに10時まで寝て、先ほど起きたところである。

最近は気分もさほど悪くないのだが、何かをしようという意欲はほぼ無く、しかも朝夕と言わずに冷え込むので、そうすると布団に潜っているのがいちばん快適だという結論に至り、布団の中で過ごす時間が長い。といっても、本を読んだり、何かをしながら布団に入っているというよりは、ぼんやりしているか、うつらうつらしているか、寝ているか、いやしかしさすがにそろそろ布団から出ねばまずいと焦燥感に駆られているかのいずれかといったところで、一般の社会生活を送っている方々からすればなんともだらしなく思えるであろう。ただまあ、これが休養ということであって、これを医師からするように命じられている以上、ダラダラするのみである。

最近は散歩もするのだが、目的もなくただ歩き回るというのはわたしは大変苦手で、ブックオフに寄ってみたり、コンビニに寄って何かお菓子を買ったりしないと、外には出られない。それでも虚しくなって、すぐに帰ってきてしまったりする訳で、やはりあまりまともと言えないのかな、などと考えたりもするのだが、とにかく願うことは、春夏秋冬で、得意な時期は秋だけなので、早く時間が経って、来年の秋にならないかなというようなことで、まったく現実味がない。いやはや困ったものである。しかし、もう今年は、十二分に休めということらしいので、変わらず休養をしばらく続けたい。