2011年10月2日

先日、わたしは自宅で酩酊して、「わたしは仏陀よりキリストより偉い」と口走った挙句、トイレの便器で嘔吐。妻によれば「ぼくが神なんだ。この世界はぼくのもののはずなんだよ。なのに何もかもうまく行かないんだ」とも言っていたらしく、さすがに寛容な妻も閉口したという。もちろん酔いが覚めたあとは妻に謝った。

昨日、精神科に行ったところ、主治医に開口一番「調子悪そうですね~」と言われ、会社に行けないことなど話をしたところ、薬の種類が変わり、経過観察しながら、休職も検討しましょうという話になった。一安心というか不安が増したというか複雑な心境だが、何もかもしたくないし、あまり死にたくはないのだが、とにかく寝ているのが唯一の楽しみで、我ながら頭がだいぶおかしくなってしまっていることは分かっているので、三年前、主治医に言われたことを思い出した。

「最終的には薬は止められると思います。ただ長い闘いになりますよ」。

全くその通りだ。人生の酷薄さを噛みしめざるを得ないが、やがてやや朗らかに暮らせる日も来るであろうと自らに言い聞かせて、前へ前へと進まざるを得ないのだ。ああ、なんと憐れで安っぽいヒロイズム無しに、わたしは生きられないのだろう。本当に憂鬱になる(鬱状態とは別な意味で)。もはや笑うしかない。

2011年10月3日

どうしようもない鬱の海の中、と書ける時点でこれは大したことないな、と本業(?)の鬱の人なら分かると思うのだが、やはり、もちろん、というべきか抑鬱が強いときには、本を開いても、その文字を追うのに苦労するし、面白いとその行為に過度に集中してしまうので、また疲れてしまい、いったい何をやっているんだろうと思わざるを得ないことも、ままある。という訳で、読書はなんとかできるが、外に出るのが億劫で、誰か人に会うのもひどく気が重く、仕事で疲れているにもかかわらず、基本的には親切にしてくれる妻にも時折強い疎ましさを感じ、しかしまあ、この懐かしい感じは3年くらい前にあったんですよ、と言ったら、主治医は笑いながら、さえきさんそれは我慢してはいけませんよ、と声だけはとても真剣だったので、すこし襟を正す気分になったのが1日のことである。


うーん、どうもいかんですなあ。しかし異常におでんが食べたくて仕方がないので、近所のファミリーマートで買ってこようかと思うのだが、しかし妻に悪いなあ、と思う。まだ仕事中と思われる妻におでんを食べていいかどうか、電話で確認するのもどうかと思うが、電話してみようか。

電話してみむとてすなり!

「好きにすれば~」

だと。

じゃあ、気分転換におでんでも買ってくるかな。夕方から夜にかけて調子が良くなるというのも、これ、典型的な鬱の症状らしいのですけど、なんか最初の頃はあまりにも教科書通りに具合が悪くなるので、そのことじたいがとてもおかしかったのですが、たぶんおかしいのはわたしの頭なのだ。


2011年10月8日

病名 うつ状態
上記にて当院通院中。平成23年10月8日より約3週間の休息、療養を要する

という文面の診断書をもらった。
つまり、休職。

あとは会社とのあれこれですな。


2011年10月9日

9時起床。夜中何度か目が覚めたので、しっかり眠れた感じはない。結婚式の司会者の方との最終打ち合わせの為、ぼんやりしながら妻に手を引かれ、新宿駅西口地下のドトールへ。妻と司会者の方のスムースな会話を頷きながら聞く。時折、相づちなど。相手の話に長い間集中するのが難しく、たびたび放心する。

妻がフレンチを食べたいというので、新宿三丁目のクレッソニエールに行ってみるが、日曜日の昼時ということもあってか、順番待ちの長い列ができているが、順番待ちも苦でないようで、皆、人生に対する希望に溢れた面持ちで雑談を楽しんでいる。クレッソニエール近くのみずほ銀行で50万下ろし、妻に48万渡す。わたしの結婚式の負担分はあと13万円である。すでに100万近く妻の手に金を渡した。結婚式というのはこの不景気、経済の成長も停滞している中で、バカみたいな買い物である。たった一日の為に240万円ほど支払うのだ。実にばかばかしい。これからは好きに本も買えなくなるだろう。おまけに休職して、復職したところでろくな仕事は待っていまい。頭の具合が悪くて使えない人間を会社という営利組織はどうするか。精神的なプレッシャーをかけて、自主退職に追い込むのである。これが一番使えない人材の処理方法である。使えなければ、捨てる。まるでゴミのように。この精神的バトルともさしあたりうまく折り合いをつけなければならない。仮にわたしが敗北し、会社を辞めても、また次の闘いが待っている訳だ。実にうんざりする。これが人生なのだ。世間の人々は皆良く生きているものだと感心せざるを得ない。これを読んでいるあなたにもわたしは心から敬服の意を表する―たとえあなたが引きこもりだろうと、ろくでなしだろうと。

クレッソニエールは諦めて、小田急線で下北沢まで行き、下北沢駅から歩いて、池ノ上駅前にあるボンジョリーナで旨いイタリアンのランチを食べる。確かに旨いが、いつもの血がたぎって狂おしく魂を貫かれるような愉悦がないので、やはり頭の具合がおかしいのだと思い、黙って食事に専念した。

帰宅して三時間半ほど昼寝。出歩いたせいで気分が悪くなったようで、ぼんやりとする。N響アワーはラフマニノフの三番という、この季節には超ベタともいえる出し物だが、アンスネスとN響のアンサンブルが即妙なので、心を打たれて最後まで観てしまう。そしてそのあとは、ひどくくたびれてドイル『恐怖の谷』(新潮文庫)を読んでいるうちに寝てしまった。妹夫妻が1000億円の邸宅を購入する夢を見た。


2011年10月11日

 丸の内線の走行音はわたしの気をひどく苛立たせた。鉄と鉄の軋み擦れる耳障りな音が、まるでわたしをひどく押し潰そうとしている感じがして、わたしは目を閉じ、耳を手で塞いだが、あの軋み擦れる音は幾度となくわたしの内を激しくめぐって、命の絆を踏み切ろうとする。ビニールでポンポン―高校野球のチアガールが持って振り回すあれだ-を作るために引き裂くような具合でわたしが割かれていくので、それが恐ろしくて仕方がないが、しかしそれが一番正しい罰のような気もして、耳を押さえていると、赤坂見附と駅名を知らせる車掌の声がする。
 それが車掌の声だったのか実ははっきりと分からないのだが、車掌の声だったような気がする。車掌の声はそのうち、わたしの心を死滅させる呪いのように、悪魔の形相で、軋み擦れる走行音と、何かを企んでいるのがわたしには分かるのだ。それはきっと恐ろしい悪事に違いないが、思えば生まれてこの方、わたしの身に起きたことに悪事以外のことがあっただろうか。
 悪事が何かということにある程度検討がつく以上、わたしは善良なことについても何かしら知っているはずなのだが、それが何なのか分からないことに不思議もないというのは妙なことである。

 男が薄闇の中、妙な目付きをしてにやにやと笑っている。あれは常日頃、悪事をはたらいている人生の裏街道をいく男である。彼はわたしを、その目やに一杯に汚れた眼でしつこく嘲るのだ。あまりにもしつこいので、わたしは彼が今すぐ息を引き取るように呪いをかけようとしたが、慣例に従って、すぐにその呪いがわたしにも返ってくることが分かったので、呪いをかけるのを止めて、横になりたかったが、ここは丸の内線の中であって、自宅のベッドではない。だから、ここで横になる訳にはいかないのだ。だらしない酔いどれと、わたしは明らかに違う人種なのだから、と思い自分をなんとか鼓舞しようとすると、しびれるような明るさの中に新宿駅のプラットフォームが列車に刻々と迫るのが見えた。


2011年10月13日

9時起床。朝食をとる。10時妻が外出。40分ほど散歩。帰ってきて、シャワーを浴びてパンを食べると、頭がしびれてくるような感じで寝てしまう。14時床屋。顔剃りもしてもらう。15時半頃に家に帰ってきて、また寝てしまう。起きると18時を回っている。19時過ぎに妻帰宅して、残り物で夕飯。あすの準備などする。妻の洗濯物干しを手伝う。田中康夫『ファディッシュ考現学』(新潮文庫)を少し読んで寝る。