仲里依紗は天才だ。

 ルックスが微妙な自称美人に「仲里依紗に似ているよね〜」と意地悪を言う人は少なくないが、仲里依紗(以下、仲さん)に似ている一般人がブサイクなだけで、仲さん本人は絶対に美人である。反論は一切、認めない。

仲さんのルックスはさておき、仲さんのどこが天才なのかというと、やっぱり女優としての才能だろう。

 特に映画においてそれは最大限に発揮される。仲さん自身が「演技に目覚めた」と語っている『純喫茶磯辺』を見て欲しい。確かに17歳の時に公開されたアニメ版『時をかける少女』での声優仕事であっても「役になりきる」という才能の片鱗を見せつけてはくれたが、それはあくまでもキャラクター化された女子高生でしかなかった。この実写映画、10代最後の歳に上映された本作では、リアルな10代の女の子をみごとに表現した。父親(宮迫博之)と女子高生(仲里依紗)のふたりきりでの団地生活。突然に遺産相続でまとまった金が入った建設業の父は、働くのを辞める。家でだらだら寝ていた父は思いつきで喫茶店の経営を始めて、バイトで雇ったビッチなお姉さん(麻生久美子)にスケベ心丸出しの父親、ふたりに翻弄される仲さん、いろいろ事件が起こり出す……。仲さんの演技の醍醐味が一番にあらわれるシーンがある。不倫気味の麻生久美子と仲さんが父親の行きつけの居酒屋で対峙する。いいかげんなことばかり言う麻生に仲さんが切れるのだ。一瞬の気まずい間をとってから「ふざけんじゃねーよ」と怒鳴り椅子を蹴る。その時の仲さんの様子。演技しているというより、仲さん自身と物語の登場人物が一体化していた。だから、仲さんの演じる女子高生がどこまでも本物で、映画を見ている人は仲さんが怒っているその現場に居合わせているかのような錯覚をしてしまう。
 仲さんはインタビューで答えている。

「お芝居でどうやって泣くの?」ってよく友達とかに聞かれるんですよ。「誰か大切な人が死んだときを想像するの?」とか。でも、そんなんじゃ泣けないし、今回の『時かけ』だったら、私があかりになって(なりきって)、あかりがそういう気持ちになっていないと泣けないんですよ。もしちゃんと役になっているのに泣けないとしたら、そのシーンは泣かなくてもいいんじゃないか? って思っちゃう。
(『時をかける少女』仲里依紗 オフィシャル・コンセプト・フォトブック/ソニー・マガジンズ)

 仲さんは演技で泣くんじゃない。役になりきって、役と一体化して、本物の涙が出てくるのだ。
 役と役者がシンクロしてしまい、その境目がなくなってしまう仲さんの演技。今のところ、彼女の真骨頂が2010年に公開された実写版『時をかける少女』である。

 撮影時、年齢的には高校生を超えていた仲さんではあるが、この映画ではそういう大人になりかけの仲さんの魅力を最大限に引き出すための工夫がされている。大学受験が終わって卒業式間近の高校三年生、という少女と大人の境界線上を設定することで、制服が似合わなくなりつつある女の子の妙な色気と、でも少しの子供っぽさが同居する「芳山あかり」を仲さんは演じきる。

 原田知世が主人公「芳山和子」を演じ、大林宣彦がメガホンを取った伝説の『時をかける 少女』が角川映画として上映されたのが1983年。2010年の仲さん主演の本作では、「芳山和子」の娘、「芳山あかり」が主人公となる。「和子」は薬学部の研究者となっていて、「あかり」は母親の開発した薬を飲んで(!)母の初恋相手に会うためタイプリープするのだが、「あかり」がヌけているので時代を間違ってしまう。そこでSFオタクの男子大学生と出会って……、というお話。SFとして見たなら破綻だらけの物語なんだろうけど、この映画がスゴイのは19歳の女の子をここまで魅力的に撮ることができるのか、と感動してしまうほどに仲さんプロモーションムービーとして完成されているからだ。スクリーンのなかの仲さんが自然すぎるので、映画を見ているだけで仲さんとデートしているような気分になってしまう。要するに、この映画で仲里依紗に恋をしたアラサー男が、彼女を崇拝するようになる宗教の発生現場がここにあるのです。実写版『時をかける少女』を見ろ! 彼女が天才だと分かるから! 以上!