[承前]

わたしは2008年の夏ころからうつの為、精神科に通っている。言うまでも無くウェブ上において、精神的に問題を抱えている人々がいろいろなことを書き散らしているが、わたしにとっては、うつであっても日々日記(のようなもの)を書くことが、命綱になった。そのようなあり方でしか、わたしはわたし自身をドライブすることができないのだということに改めて気づかされた。さいわい、休職して8ヶ月が経ち、うつの症状はかなり和らいで、多少己の人生に対する意欲もでてきた。これを機に、自らのうつがどんな具合だったのか、できる限りふりかえってみたい。このことによって、うつが悪くなったらすっぱり更新を止めるつもりだが、一人でも多くの方にうつがどんな具合の病気なのかを知ってもらいたいので、しばらくうつ日記のエントリとそれ以外のエッセイ、翻訳のエントリが交互にポストされることになる。どうぞよろしく。


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2011年8月31日

きょうは朝からおそろしく気分が優れず、会社を休んだ。渋谷まで行ったが、どうしてもダメだった。仕方がないので、会社に電話をして、休むことを伝えた。一日休むだけで、あすから白い目で見られるだろう。幾人かの上司などはすでに今月の残業が100時間を超えていて、わたしはせいぜいその半分だ。わたしはなぜ、こんなくだらないことで苦悩しなければならないのか。ただでさえ、過労とストレスがあるのに、その上、休みをとるだけで、ここまで心理的な圧力を受けるようでは、冗談ではない。とてもではないが、やっていられない。

あすはなんとか出勤したい。仕事を休むには主治医に土曜日相談してからだし、さらにその上で会社の産業医の診断を受けねばならないだろう。わたしはまだそこまで行っていないと見なされるような気がする。うんざりする。

職場にいると同僚皆から嘲笑われているような妄想があり、それがわたしの気分をひどく悪くし、それがあくまでもわたしの脳内でおきている出来事に過ぎず、実際の現実とたぶんずれがあることは分かっているのだが、その妄想はかなり強いもので、わたしは詐病なのか仮面うつなのか、一体何がなんだか分からなくなっているので、これはまあ混乱しているということなのだろう。病識が比較的はっきりしているのが、救いなのかなんなのか、また良く分からないのだが、これ以上書いてもきりがないので止めておく。


2011年9月1日

先ほど導入剤を飲んだので、よく眠れると思う。

とりあえず、あすは、全力で会社に行こう。いや、ふつうに行けばいいんだ。力んじゃダメなんだよなあ。と分かっちゃいるのですが、なかなか難しい。

あさっては精神科。話すべきことがたくさんあるので、楽しみ。天気は大荒れか、台風一過で暑そう。

おやすみなさい。


2011年9月3日

土曜日の朝の目覚めは、特別なものだ。たとえそれが、良い目覚めだろうと、悪い目覚めだろうと。というわけで、目覚ましを気にせず寝ていたら精神科に遅れてしまった。11時~11時半の約束なのに、起きたら10時半だった。

水一滴口にせず、足早に明大前駅に向かいながら、病院に電話して、遅れることを伝えると、午後に診察を回してもらえた。会社もこういう風に行けばいいのだが、フレックスの職場などは逆に仕事に終わりがないのだろうな、という気がする。まったくゴミみたいな世の中(というか自分の職場)にヘドが出る、同級生ならぬ同僚や先輩ならぬ上司などを殺したいというロック狂いの中学二年のようなメンタル・モードをなんとかしたい、と主治医に話すと、抗鬱剤の量が増え、プラス頓服でマイナートランキライザーが処方された。待合室で行き交う、目の焦点が合っておらず、明らかに薬理的に感情がコントロールされている、生気に乏しい顔を見ていると、できれば精神科のロビーで余生を送りたいと思う。そのくらいには弱っているが、病院のベッドではなく自宅のベッドで夜は休みたいと思うあたりは、まだなんとか正気を保っているという気がしないでもない。こういった形容は実際のわたしに会った人は恐らく感じないと思うが、それはわたしが社会的なコードとフィルターを、かなり性能は低いが、インストールして起動しているからである。


2011年9月4日

日曜日の朝は、たとえそれが、良い天気だろうと、悪い天気だろうと目を覚ましたくないものだ。ずっと夢うつつの世界を漂っていたい。というわけで、目覚ましをかけずに寝ていたら、寝たり起きたりを繰り返すこと繰り返すこと6回。結局目が覚めたら時計の針は10時を回っていた。妻の姿はすでに無い。

午前中はベーコンと卵を使ってスパゲティを多めに作り、それをブランチとする。読書をする気がまったく起こらなかったので、仕方なく久しぶりにPCを起動し、町山智浩のポッドキャストを聴く。なんとなく気分が落ち着く。わたしが以前、葛西に住んでおり、豊洲の職場に通って鬱に苦しんでいた頃、よく毎晩、寝床にiPodを持ち込んで町山さんの饒舌で、しかしどこか冷めた具合の映画トークに耳をすませたものである。町山さんの語りにはなぜかわたしの心の具合を落ち着ける作用があるのだ。実に不思議である。


2011年9月12日

先週は、起床と同時にマイナートランキライザーを飲んで、納豆と生卵で朝ごはんを食べてから、出勤。
始業前にレッドブルをキメるという完全ドーピングな具合でなんとか乗りきった。

今週もなんとかうまく乗りきりたい。


2011年9月21日

先ほど、風呂を上がって、全身に薬を塗ってから、寝巻きに着替え、すっかり雨の上がったアパートメントの前庭で、ひとりタバコを吸っていた。ふとしゃがむと、道の斜め向こうに白い毛を持つ猫がこちらを見ていた。

猫はしばらくこちらをじっと見ていたので、わたしも面白く思い見返していると、ある時、突然視線を逸らして、向こうのほうへ歩いていってしまった。こちらとしては特に悪意を持って見ていた訳じゃないんだがなあ、とすこし残念に感じたが、猫からすれば、ただ本能がままに反応しているに過ぎないのだろう。しかし、本能というのもどのようにプリセットされたプログラムなのだろう。まことにこの世は謎に満ちている。けれども、その謎のひとつずつにこだわっていると、否、こだわっているふりをするだけで、世渡りが難しくなるし、愚直さが常に仇となって、本を読むことくらいしか楽しみがなくなるのである。

猫がわたしの前を去ってから、車が数台、すこし早いスピードで走り去り、歩行者が三人ほどあったが、彼らもすぐに姿を消してしまった。いまにも消え入るように小さな水溜まりでわたしはタバコの火を消して、立ち上がった。

立って俯きながら、自分が傲慢かつおおよそのことがらについて励まないことを棚に上げて、いまの自分をすこしましにできればと考え、ふらふらとあたりを歩いてみる。そこでまた、ふと顔を上げてみる。すると、出口なしの細く長く険しい交通道路が、こちらを嘲笑いながらあすへと延びているのだ。

わたしはうんざりして、猫の名前を呼んだ。けれどもかれはどこかやや遠くのほうへ行ってしまったようで返事が無かった。

わたしは二本目のタバコに火を点けて、この夜がいつまでもいつまでも続くように祈った。

2011年9月25日

静かな夜だ。まるで世界がゆっくりと闇に沈みこんでいくようだ。わたしはこの闇に包まれて死のうと思ったが、未だに果たせないでいる、と傍らの男は目を細めながら煙草を吸った。ごく短い間を置いて、闇の中にゆっくりと赤い光が点いて、消えた。

この世に生きることに何の意味も無いということはごく最初からはっきりしていただろう、かといってニヒリズムでは自分を前に蹴倒すことすらできないのだ、笑えるなら笑ってほしい、このようなことについて、わたしは四半世紀以上、子供の時分からずっと考えていたんだ、悩み苦しむことでしかわたしは己を前に進めることはできなかった。いや、正直に言おう、それが前なのか後ろなのかさえ見当がつかなかったのだ。

傍らの男はそう言うと闇の中で、慣れた手つきで、新しい煙草をまた一本素早く箱から抜き取って、何か呟こうとしたが、すぐにそれを止め、まるで自らの棺を見送るような、遠い目をした。沈める夜の中で。