那覇空港のLCCターミナルは非常に簡素な造りをしており、出国ゲートを抜けてからは特にお粗末なものだった。とはいえ、ようやくプロローグが終わり、本格的に旅が始まると思うと喜びと共にどこからか緊張感が湧き出してくる。
福岡から沖縄まで搭乗した国内線も久しぶりだったが、国際線に至っては14年前にベルリンからの帰国便以来のことになる。
僕は、再び乗り遅れるといったことはなく、21:45那覇空港発ピーチエア989便に乗り込んだ。出発時間は実際には少し遅れたかもしれないが、ともあれ僕と飛行機は無事に離陸した。
正直に言って、すでに約5ヶ月が経過してしまったこの時のことはあまり覚えていない。
深夜便のLCCで食事は出ないが、小さな透明カップ入りの水だけは出ただろうか。しかし強く記憶に残っていることもある。
パスポートナンバーのことだ。
久々の国際便なので入国カードを書くのも久し振りのことだった。名前や国籍などを記入すると、続いてパスポートナンバーを記入する項目があり、そのためパスポートはどこに入れたかとショルダーバッグを漁っていると、ふと「TE1510067」という英数列が思い浮かんだ。
どうやらパスポートナンバーらしいが、新しいパスポートなど確認したのは写真くらいのもので覚えている筈はない。するとこの番号は、以前のパスポートのナンバー? 14年間も確認していないものを覚えている?そんな訳はないだろうと疑いつつも、やはりはっきりと迷いなく浮かんでくる数字に確信に近いものを感じた。
もう一つ、この時のことで覚えていることと言えば入国の不安だった。以前のバンコク滞在は観光ビザで出入国を繰り返すものだったし、それに今回は片道チケットでの入国だ。いや、前回ももしかしたら片道での入国だったかも知れないが、19~17年前と今では状況が違う。
Googleで検索を掛けてみると、いくつかのブログ記事には、ここ数年で入国(含む再入国)が難しくなったという話が出てくる。詳細は不明なのでどういう状況だったかはわからない。おそらく、在住型旅行者や、タイを中心にして東南アジアをぐるぐると周る旅行を短期間で繰り返している旅行者、或いは何かをやらかしてしまった旅行者なのだろう。
昔の僕もかつてバンコクに住む在住型旅行者だったし、今回もタイとその周辺を旅行しようと考えているのは間違いない。とはいえパスポートは新しくなったし、ブラックリストに載っているなんてこともない筈だ。入国出来ないなんてことはない筈。そうは思いつつも、そこはかとない不安を感じた。
眠ることはできず、4、5時間ほどで飛行機はバンコク隣県にあるスワンナプーム国際空港に付いた。
この空港は2006年9月の開港だから、はじめて降り立つ空港となる。入国窓口で順番が来ると、審査官氏に笑顔を作って爽やかに「サワディーカップ」と挨拶をした。勿論印象を良くする為だが、彼の表情筋はピクリとも反応しない。
それも当然か。
彼はおそらく、1日に何百人もの旅行者を相手にするのだ。パスポートと入国カードを提出すると「滞在期間は?」とお決まりの質問。「多分2、3週間くらい」と答えると、「帰りのチケットは?」と聞いてくる。
彼はおそらく、1日に何百人もの旅行者を相手にするのだ。パスポートと入国カードを提出すると「滞在期間は?」とお決まりの質問。「多分2、3週間くらい」と答えると、「帰りのチケットは?」と聞いてくる。
「持っていない。タイの後カンボジアとその他どこかに行くと思う。期間は全部で1ヶ月くらいかな」
そう答えると審査官氏は鋭い目付き。
友人からは「チケットがないために入国を断られた時はその場で予約すれば良い」と聞いていたが、手元のiPhoneは海外でネットが使えるような契約をしていない。それに空港内には「KING Power」という空港内の無料wi-fiが飛んでいるが、評判の良くない現国王の人気を反映してか、接続環境は良くなかった。しかし心配は杞憂に終わった。
審査官氏はほとんど躊躇することなくスタンプを押してくれた。
僕は預けていた荷物を受け取り、バッゲージクレーム内にある両替所のATMでお金を引き出した。
僕は預けていた荷物を受け取り、バッゲージクレーム内にある両替所のATMでお金を引き出した。
ちなみに、この時の僕は三枚のカードを持っている。一枚は以前から持っていたOMCのクレジットカードだが、出発直前になってこれが磁気不良で現金が引き出せないことが分かった。すぐにカード会社に電話をして手配をしたが、出発までに新しいカードが届くのかは微妙なところだった(結局は出発の朝に郵便局で受け取ることができたのだが)。
その為に、無職の僕が手っ取り早く作れたカードの一枚がNEOマネーカードというクレジット機能を持つプリペイド式のカードと、もう一つが審査の簡単なマルイのカードだ。NEOマネーカードには10万円を突っ込み、この10万円の減り様で、現地の物価や旅の期間を決めようと考えていた。この空港の両替所にあるATMで使ったのもやはりNEOマネーカードだ。
友人は空港内の別の両替所が両替率が良いと教えてくれていたのだが、この時間では恐らく空いてないだろうし、この時間から探すのも面倒だ。 バッゲージクレームを抜けると大量の出迎えの群れに出くわした。深夜便に関わらずこれがすごい。
現地のタイ人たちが掲げる紙やボードには、ホテル名と共にアルファベットや漢字表記の名前らしきものが記されている。僕もagodaという宿の予約アプリでとった安ホテルで無料の送迎を頼んでおいたのだが、自分の名前もホテル名も見当たらない。
とりあえず群れの端から端まで歩いてみるが、やはりそれらしきものはない。今来た通路を戻りながら再度確認していると、人混みの奥の手すりにホテル名が記された沢山の紙が貼り付けられている一角があった。
そこにも予約したホテルの名前は無かったが、手すりの奥にはこれらを管理しているらしきふくよかなおばちゃんの姿があった。彼女にホテル名を告げて知ってるか聞くと「20分待て」という。待っていると、その後10分くらいで現れた別のおばちゃんが「付いて来い」という。おばちゃんに付いて空港を出ると、空港内道路には送迎用のものらしき車両が多く止まっていた。
そこにも予約したホテルの名前は無かったが、手すりの奥にはこれらを管理しているらしきふくよかなおばちゃんの姿があった。彼女にホテル名を告げて知ってるか聞くと「20分待て」という。待っていると、その後10分くらいで現れた別のおばちゃんが「付いて来い」という。おばちゃんに付いて空港を出ると、空港内道路には送迎用のものらしき車両が多く止まっていた。
奥の方に停まっている古びたライトバンのところまで連れてきてライトバンの窓を叩くと、おばちゃんはすぐに消えていった。すかさず車から降りてきた運転手が挨拶をしてくる。しかしどうもホテルマンには見えない。
「僕の名前分かる?」
運転手に聞いてみると、分からないと答える。そしてライトバンに入ったホテル名を指差して、大丈夫だよ、とでも言うように微笑んだ。確かに、予約した「グレイトレジデンンススワンナプーム」の名前が小さく入っていることには間違いない。とはいえかなり古い車だし、どうも信用出来ない気がした。
この時、僕の頭には14年ほど前のポーランドの首都ワルシャワでの記憶が甦った。
ワルシャワの中央駅に着いたものの、宿も決めておらずガイドブックもなく、しかも14年前のことで、手元にはスマホの類もないという状況でのことだ。駅の観光案内所で直接ホテルを予約出来るようだったが、貧乏旅行者には高級と思えるホテルばかりだった。何処か安宿はないものか、とりあえず何処かで聞いて歩こうかと思っていたその時、50代くらいの男性が僕を呼び止めた。は旅行者だと確かめると「うちでレンタルルームをやってるんだ。泊まらないか?」と聞いてくる。
確か友人がプラハ旅行をした際だったと思うが、レンタルルームの話を聞いたことはあった。しかし日本人にとって、当時はまだ現在のようには民泊は一般的ではない。
警戒心はしたものの、「とりあえず付いてってみるか」と話に乗っかることにした。ヤバイと思ったら逃げれば良い。そう思って僕は彼と一緒に、歩いて十分程度の彼の持つアパートまで歩いた。
ーーこれは逃げた方が良いかも。
そう思ったのは、10m程先のアパートを指差したあとに、アパートに入っていく若いマッチョな男二人組に男性が鋭い視線を送っていたことだ。
そしてマッチョ二人組もチラチラとこちらを見ている。
そう思ったのは、10m程先のアパートを指差したあとに、アパートに入っていく若いマッチョな男二人組に男性が鋭い視線を送っていたことだ。
そしてマッチョ二人組もチラチラとこちらを見ている。
ーーやばい、アイコクタクトとってる! コイツら絶対グルだ! 僕はきっと身ぐるみ剥がれて放り出されるに違いない。
そう思いはするものの確信には至らない。
そして結局はーーよっしゃ一つ武勇伝でも作ってやるか!ーーなどと考えて乗り込んだのだ(詳細は省く)が、結局は快適な部屋(声を掛けてきた男性の母親が住むアパートの一部屋を借りたのだ)で一晩を過ごして美味しいスープも頂いた。
それを思い出し、まあ今度も大丈夫だろうとタカをくくった。
ここは(よく知っている筈の)タイだし。
ここは(よく知っている筈の)タイだし。
オンボロの送迎車に乗り込むと、送迎車は空港から出て真夜中の高速道路を走る。10から20分程走っただろうか、送迎車は高速を降りて市道を走る。いくら真夜中とはいえ、あまりにも灯りがない。辺りには(例え昼間だったとしても)営業してるとは思えない古びた店舗、あるいは廃屋や草の伸びた空き地などが広がっている。
ーーこんなところにホテルが?
再び不安が募る。僕は手を握りしめたり開いたりしながらウォーミングアップをする。心臓の鼓動も早まっていたに違いない。
僕はこの時、メキシコでよく聞いたタクシー強盗の話を思い出している。
ある旅行者が (僕も宿泊していた)宿を出る際にタクシーを利用したが身ぐるみを剥がれてすぐに帰ってきたという話や、時折殺人なども起こるといった話が思い出された。
そういえば、旅で仲良くなった友人がまだ真っ暗な早朝の帰国の際、タクシー強盗が不安だというので付いて行ったことがあった。
ある旅行者が (僕も宿泊していた)宿を出る際にタクシーを利用したが身ぐるみを剥がれてすぐに帰ってきたという話や、時折殺人なども起こるといった話が思い出された。
そういえば、旅で仲良くなった友人がまだ真っ暗な早朝の帰国の際、タクシー強盗が不安だというので付いて行ったことがあった。
結局はその時も何もなかったのだが、やはり灯りの全くない道に入っていく際に、最初のうちは二人で「やばいかも」などと笑って言っていたが、僕らは次第に無口になっていった。この時も僕は緊張しながらグーパーグーパーしていた。
送迎車は暗い道から折れて高い塀に囲まれた薄暗い建物の中に入って行く。
……どうやらホテルのようだった。
このホテル、「グレイトレジデンンススワンナプーム」は僕にとって初のagodaでの予約と支払いが成功したホテルとなる。チェックインを問題なく済ませ(念の為に昨夜宿泊出来なかった分を払い戻し出来るか確認したがやはり無理だった)、ベルボーイが部屋まで案内してくれた。
僕の文章力では詳細を伝えることができない(というかどういう構造だったかはっきりと覚えていない)が、それぞれの部屋と小さな踊り場へと繋がる階段が規則正しく伸びており、構造上各部屋とそこを結ぶ階段は全く見分けがつかない。
ベルボーイに「まるで迷路だね」というと、ベルボーイは「僕らもたまに分からなくなる」と笑っていた。ホテル内は古く、清掃が行き届いているとは思えないが、部屋はむしろ貧乏旅行者の僕には悪くはない。
むしろ期待以上だ。
むしろ期待以上だ。
ベランダに出ると、駐車場に面したプールが見えた。
泳ぎたいと思ったが、時間はすでに夜中の二時を過ぎている。僕はすぐにシャワーを浴びて寝ることにした。
19年前のそれ程変わらない時期にバンコクを訪れた際は、まだ肌寒い日本から年中蒸し暑いタイの熱気に驚いたものだが、今回は沖縄を経由したためにそれ程の違和感はなかった。
チェックアウトも早くなかったので、ゆっくり出来ると思い、iPhonenのアラームも遅めに設定した。
僕は無事にバンコクに辿り着いた、とその安堵感と共に眠りに落ちた。
チェックアウトも早くなかったので、ゆっくり出来ると思い、iPhonenのアラームも遅めに設定した。
僕は無事にバンコクに辿り着いた、とその安堵感と共に眠りに落ちた。
(つづく)