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 本編に入っていきなりで不躾だが、まず旅の反省からはじめたい。

 一つは、次回は必ず改善しようと思っている荷物の問題だ。もっと荷物を減らすべきだった。
 上の写真は友人に頼まれて帰りの那覇空港で撮った今回の荷物だ。 このバックパックは小さく見えるが、ベルトで調節できるマチ幅がかなりあり、最大で35リットル程度入る。

 旅は身軽であればあるほど良い。そうは思いつつも久しぶりの旅で心配だったのだろう。結局バックパックのマチ幅は最大限に解放され、荷物は膨れ上がった。
 こうして旅の荷物について考える度に思い出すある旅人がいる。20年ほど前にメキシコシティーの日本人宿で管理人をさせて貰っていた当時、40代後半くらいのある旅人と仲良くなった。彼はキューバへの経由地としてメキシコシティーを訪れていたのだが、併せて2週間程の旅に、痩せたデイパック(おそらく最大で20リットルも入らないだろう)一つで旅をしていた。

 そのことについて訊ねると、「現地で調達出来るものはなるべく持ってこないようにしてるね。Tシャツなんかはこっちで買って捨てれば良いし」と爽やかに答えた。名前も忘れてしまったが、彼の旅のスタイルは今も強く印象に残っている。
 念の為に書いておくと、彼はいつも身綺麗にしている紳士だった。

 僕はそれ以来、彼のように旅をしたいと思うようになったが、残念ながら今回も彼のようにはいかなかった。

 その理由としては、まず軽量のダウンジャケットとジーパンがいつもバックパックの中にあったことが挙げられるだろう。冬の日本から常夏の東南アジアに旅立つわけだから、最低限の防寒着を着て行く必要があったので、これは仕方ない。

 しかし、現地用に持って行った5、6枚のTシャツは、スポーツや作業の際に使う機能性Tシャツにすれば良かった。そうすれば、水切れがよいので乾くのも早いし、洗濯も楽なはずだ。2、3枚も持っていけば十分だったのではないか。

 タオルは吸水性の高い水泳用のタオル一枚とハンドタオル一枚を持って行った。安宿でもバスタオルを貸し出してくれるところが少なくなかったので水泳用一枚で事足りたが、まあこれはそれ程嵩張らないので良しとしよう。

 本は5冊。

 読みかけで持って行った、カンボジアの高僧フーオッ・タット著、今川幸雄編著『アンコール遺跡とカンボジアの歴史』(めこん社)、やはりクメール遺跡の盗掘もののルポルタージュで三留理男の光文社新書『悲しきアンコールワット』、続いての3冊は小説で、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(光文社古典新訳文庫)、東野圭吾『容疑者Xの献身』(文春文庫)、村田沙耶香『コンビニ人間』(文春文庫)だ。

 『容疑者Xの献身』を旅の終わりが近いバンコクへの列車内で読み終え、その後読み出した『コンビニ人間』は帰りの沖縄で(地域猫を膝の上に乗せて)読了した。
 これはちょうど良かったと言って良いだろう。 

アンコール遺跡とカンボジアの歴史悲しきアンコール・ワット (集英社新書) 

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)容疑者Xの献身 (文春文庫)コンビニ人間 (文春文庫)

 時間があれば書き物をしようと思ってiPadとスタンド、キーボードを持って行ったのだが、これはiPadでなくともiPhoneとスタンド、キーボードだけでも良かっただろう。

 次に、シャンプーとコンディショナー。シャンプーとコンディショナーはドラッグストアで一番小さなものを購入していったのだが、宿泊した安宿の多くで宿泊者用のボディーシャンプーとシャンプーの用意があったこともあり、2ヶ月の旅を終えて余ってしまうことになった。
 だいたいシャンプーやコンディショナーなど毎日する必要はないのだし、いくら長期旅行とは言っても、試供品のように小袋に分けられたやつを5、6組も持っていけば十分だっただろう。必要になれば現地での調達が可能だ。

 Tシャツなどの衣類、シャンプー、それからデバイス。
 次回旅に出る際は、少なくとも、3分の2位まで荷物を減らしたい。

 二つ目の反省点としては、行く場所も期間も未定の自由旅行だったこともあり、下調べが足りなかったことが挙げられるだろう。そのせいで行くのを諦めた場所もあるし、無駄に体力を使ってしまったこともある。

 とはいえ、帰りの手段を決めずに出た先で早々にヒッチハイクに成功したり、バスターミナルで目的地までの直行便がなくともローカルバスと連携出来る路線を案内してくれたりと、地元の人に助けられることも少なくなかったので、多くは良い思い出となった。
 何か不安に思うことや困ったことがある度に「もう少し調べておけば良かった」とは思うのだが、そこから生まれた副産物のような旅の思い出にはとりわけ印象的なものが多い。

 それを考えると、やはり次もよく調べもせずに半ば行き当たりばったり旅に出るに違いない。

 最後の反省として、今思い出しても悔しいほどなのが、那覇発バンコク行きの飛行機に乗り遅れてしまったことだ。激安のLCCとはいえ、随分と落胆したものだった。
 理由は幾つかある。
  一つは、読みかけの本(前述の『アンコール遺跡とカンボジアの歴史』)を読了したついでにインスタに感想文を書き、それをアップしていたこと。
 そしてもう一つは、那覇空港のLCCターミナルの場所だ。

 那覇空港のLCCターミナルは、国内、国際線ターミナルから離れた場所にある(現在は国内線と国際線のターミナルの間にLCCのターミナルが設けられている)。これも調べていなかった僕が悪いといえばそうなのだが、目的地までの安価なチケットが順に紹介されるskyticketのアプリで購入した際には、その注意を目にした覚えがない。

 僕は那覇の宿を出て、モノレールで空港機に行き、職員に聞いて国際線ターミナルに行き、そして国際線ターミナルにLCCの受付タカウンターが無いことを知った。それから慌てて空港のシャトルバス乗り場に行き、シャトルバスで一旦空港を出てから別建て(つまり空港外になる)のLCCターミナルに行ったがすでに飛行機は出発寸前でカウンターはしまっていた(僕の後にもアフリカ系アメリカ人らしき男性がやってきた)。

 払い戻しもない安価なチケットで我ながら嘆いても嘆ききれないという程だったが、ターミナルにいた航空会社の女性に教えて貰い、skyticketのアプリでチケットを購入するよりも、ピーチエアのウェブサイトで直接購入した方が安いということを教わり、その場で次の日のチケットを購入し、つい1、2時間程前にチェックアウトしてきたばかりの宿にすごすごと戻ることになった。
 乗り遅れたの日の朝昼は那覇のメインストリートである国際通りとそこから枝状に伸びる商店街を訪ね、旅の熱が盛り上がってきていただけに、この乗り遅れ事件には大いに落胆したものだった。


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※(この色とりどりのアロハシャツやムームーをみて、僕は14年ほど前に訪れたシチリア島を思い出した)

 とはいえ、この乗り遅れも良かったと思える部分が少なくない。

 まず、1日余裕ができたことで首里城にも足を伸ばすことができた。首里城の如何にも中国や東南アジアの影響を受けた建物や、かつての琉球王国が貿易国であったということが書かれた首里城内の展示物にあった説明書きには、「国境」という日本人に馴染みの薄いものについて大いに好奇心をくすぐられた。

 それは事前に世界の歴史教科書シリーズの『タイの歴史』(中央大学政策文化総合研究所)や、柿崎一郎の『物語タイの歴史』(中公新書)を読んでナショナルヒストリーを描くということに潜む創作性について興味を唆られていた僕の、感情的、感覚的な部分よりも、知的な部分に対する好奇心だった。
 沖縄でのちょっとした異文化体験は、旅のスタートに相応しいものだった。

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 また、映画のセレクションが特徴的な桜坂劇場という映画館と、前日に見つけていた地域猫が集まる希望が丘公園をゆっくりと訪れることができたし、美味しい沖縄そばとボリュームたっぷりのハンバーガーを食べ、さらに波の上ビーチも尋ねることができた。

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 僕は1月31日に福岡を離れ、2月1日の飛行機に乗り遅れ、そして2月2日の夜の飛行機でタイの首都バンコクに近いスワンナプーム空港に飛び立った。大阪のひとみの家を訪ねてから半年以上が過ぎていた。

 福岡に帰ってから間もなく仕事を始めたし、数年続いている実家のゴタゴタに目処が立ってから、と考えているといつの間にか時間が経っていた。

 そんな状態の中、年末にふと「今行かなければ」という思いが再び強くなった。僕は仕事を辞め、旅の準備をはじめた。

 その頃、ひとみから連絡が入り、シェムリアップで旧知の間柄であるティナから僕がいつ来るのかと何度も連絡があったと聞かされた。
 また、期間工時代にできた旅好きの友人に、様々なオススメの場所、楽園や秘境の話を聞かされていた。
  いつの間にか、「行かなければ」という使命感に似た思いは、心からの「行きたい」という希望に変わっていた。
 2月はタイで一番良い時期だという印象があった。朝方は涼しいし、ちょうど乾季に入るので雨に降られる心配もない。
 しかしこうして改めて考えてみると、バンコクに住み始めて半年以上経って初めて「幸せだ」と感じたのが2月だったことを思い出した。

 ボクサー時代、朝のロードワークに出かける際、良い風に吹かれて湧いて出るように感じた幸福感。三連敗で始まったタイでのキャリアで、はじめて勝ったのがその2月の試合で、僕はその試合も含めて4連勝して日本に帰国したのだった。

 2月を選んだのは、結局そういう事だったのかもしれない。

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タイーーバンコク編につづきます。