ダナンのゲストハウス

 僕は今、ベトナムのダナンという街にあるグリーンバルコニーという宿の軒先に設けられたテラスでこのまえがきを書いている。

  今回の旅はワーホリ先のドイツから帰国して14年振りの海外旅行で、東南アジアついては17年振りになるだろうか。思い出の地であるタイの首都バンコクとカンボジアのシェムリアップを再訪したいとはずっと思っていたのだが、直接の切っ掛けになったのは、昨年ひとみという女性の家を訪ねたことだった。ひとみとは、はじめてのシェムリアップ訪問で、同地にあるタソムゲストハウスで知り合った。

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  彼女はバイクタクシーの運転手だったナカチというカンボジア人男性と結婚し、その後三人の子供を設け、現在は大阪で彼女の父親も含めて六人で暮らしている。

  僕が滞在している聞いて、やはりシェムリアップのバイクタクシー運転手で、日本人女性と結婚して滋賀に移り住んだサンも遊びに来てくれたし、さらにメッセンジャーアプリを通じて、現在関東に住んでいる在日カンボジア人の元運転手仲間や、当時のままシェムリアップに住んでいるティナとも話をすることが出来た。

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(右からナカチ、サン、僕)
 
  ビールを飲み、皆と話し、ひとみが撮りためた大量の写真を収めたアルバムを見ていると、記憶の底に沈んでいた思い出が次々と浮かび上がってくるように感じた。

  そこで、ひとみにどうしても地名が思い出せなかったある場所について聞いてみた。

  そこは小高い山の上の遺跡で、湧き水が川や滝を作っており、滝の落ちる辺りはプール状の水溜まりになっており、現地の子供達はパンツ一丁になって楽しそうに遊んでいる。それを見ていると僕は居ても立っても居られなくなり、彼らと同じようにパンツ一丁になって水に入り、滝を滑り、水遊びをして遊んだのだった。

  その後記憶は曖昧になってしまい、シェムリアップでのことだったようには思うのだが、 長いことどうしても確信が持てず、やがて「もしかしたらタイや(やはり以前住んだ事のある)メキシコの何処かだったかもしれない」とまで思うようになった。

  しかし、その話をすると、ひとみはすぐに「クバルスピアン」という地名を挙げた。
  それは確かに聞き覚えのある名前だった。検索をして出てきた画像も、僕の記憶とかなり近い。僕は、殆ど確信に近い感覚を覚えた。 


  唐突だが、僕はラスベガス、メキシコシティー、バンコク、そしてベルリンで活動したプロボクサーだった。

  ごくごく平凡な負けの多いプロボクサーだったのだが、人にそのことを話すと一々驚かれたり、興味をもたれたりする。それは嬉しいことに違いないのだが、僕が言ったこと(勿論事実だけを話すのだ)が、何かそれが実際よりもとても大きな話として伝わっているような気がして、いつの頃からか恥ずかしいと思うようになった。

  やがて、自分の経験を人に話す必要に迫られた時など、どうも自分でも信じられないというか、夢でも見ていたんじゃないかという思うようになった。

  もしかしたら僕は、自分を騙すことに長けた天性の嘘吐きなんじゃないか?と。

  こう感じるようになったのは、かつての自分と現在の自分の間にある大きくて深い谷間のせいなのだろう。あれから十数年後の僕は、あの時感じていた痛みも苦しみも、悲しみも喜びも、リアルには感じられないでいる。今では瑣末なストレスや何の意味もないゴタゴタにとらわれ、本当に下らない人生を過ごしていると思える瞬間も少なくない。

  ひとみの家を訪ねてから、かつての僕の記憶は強く実感を伴うものになり、すぐに「今行かなければならない」と思うようになった。今行かなければ、いつ行けるか分からない、この実感が再び遠ざかる前に行かなければ、と。
 

  夢ではない筈だ、と。

  嘘ではない筈だ、と。
 

  この旅の目的は、そういうことだったのだと思う。 
  そこでこの「旅に思うーー東南アジア旅行記」には、各地で得た様々な思いをここに残したい。 


  旅の話に戻ると、僕は既にバンコクとシェムリアップを抜け、その後プノンペンを経てベトナムに入国し、ホーチミン、ダナンと来て、これからホイアンとフエを訪ね、ラオスにも入国するつもりでいる。
シェムリアップ以降は全て初めての土地であり、プノンペン以降は全て予定外の訪問地で、多くは地名すら知らなかった場所だ。


  ガイドブックの一つも持たずの旅で、情報収集の多くをインターネット検索に頼った 。しかし、Google検索をして辿り着いた旅行記、ブログなどの少なくないものが、くだらないネタや感想、雑記に終始していて、欲しい情報が全く手に入らなかったということが少なからずあった。
  後の旅人のために、付録として旅の情報を別枠にまとめ、このブログに残しておきたい。
 
  とはいえ僕も全ての記録を保存しているわけではないし、かかった費用その他の面で抜け落ちている面も少なくないと思うが、それでも少しでも参考になれば、と願っている。

 
  順番としては、付録=記録を残すにあたり、まず本編を書きながら情報を整理し、その上で本編を書きながら思い出した事を加え、記憶違いを修正していくことになると思う。

  付録の完成は、このエッセイを書き終えるのと同時期になるだろう。

  帰国後すぐに書き始め(※このまえがきのアップロード時ですでに1ヶ月半が経ってしまいました)、なるべく早く書き終わりたいと思うものの、以前にやはりすぐに書き終わるだろうとたかを括っていた『無職を利用してボランティアに行ってきた』は、結局、半年くらい掛かってしまったこともあり、こればかりはなんとも言えない。
  拙文拙論にはご容赦頂ければと思う。


 2019 /2 /22ベトナム、ダナンにて。