【承前】:結界の内側にて---ふたたび流れ/だす時間の中から(前編)から続く

消えた静寂/増えた音/人員増加

Nov. 07. 2018  "工事現場 / Road works"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "工事現場 / Road works"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018 "工事現場 / Road works"  Futaba, Fukushima

■ 前回の入域からもっとも変化を感じたのは、「音の質」と、「人の数」だった。祖父母の墓周辺をふくめた『帰還困難区域』は、事故からおよそ七年近くのあいだ、試験的な除染や収束作業のために必要な工事以外、基本的には手付かずのまま放置されてきた。(市街地ではない、大半の山林はいまでも同じだ)

■ なので、墓参の最中、まちのなかで人の姿を見かけることなど、殆どなかった。静寂があたりを支配していて、吹き抜ける風が気まぐれに鳴らすさまざまな環境音や、ときおり原発の方へむかう工事車両のエンジン音は、ひどく耳についた。

■ 2018年11月の双葉町内には、多くの作業員がいた。物資運搬のトラックも、比較にならない数が走っていた。町は、〈外〉がそうであるのと同じように、さまざまな音が飛び交う場所になっていた。

■ 以前の町は、津波被災地を横目にただ朽ちてゆくだけだった町の異様は、多くの写真家や映像作家を"ヤル気に"させた。チェルノブイリでのプリピャチがそうであったように、かれ彼女たちは町を、各々〈作品〉に仕立てて帰り、大都市で発表を行った。〈作品〉には、素晴らしいものも、いまいちなものもあったが、計画』は(少なくとも町の特定の地域にかんしては)それらの一部を急速に過去のものとするだろう。

■ つくりなおされた町にも、再びかれ彼女たちはやってくるんだろうか?

Nov. 07. 2018  "作業員 / Decontamination worker's"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "作業員 / Decontamination worker's"  Futaba, Fukushima

Nov. 07. 2018  "除染作業員 /Nuclear Decontamination worker's"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺) Nov. 07. 2018 "除染作業員 /Nuclear Decontamination worker's" Futaba, Fukushima

Nov. 07. 2018  "作業員 / Decontamination worker's"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "警備員 /  Security guard"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "作業員 / Decontamination worker's"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)Nov. 07. 2018  "作業員 / Decontamination worker's"  Futaba, Fukushima

Nov. 07. 2018 "Supermarket (Kameda-ya)" Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018 "Supermarket (Kameda-ya)" Futaba, Fukushima


廃棄物/袋/中間貯蔵

Nov. 07. 2018  "除染廃棄物 / Nuclear waste""  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)

Nov. 07. 2018  "除染廃棄物 / Nuclear waste""  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "除染廃棄物 / Nuclear waste""  Futaba, Fukushima

■ 震災が起きてから、あの黒い袋は、意味が変わってしまった。なかに満杯で詰められているものは製品の用途としてを想定されているし、本来、べつに不自然なものではないのだけれど、でも、あの春以降、誰もが顔をしかめて、あの黒い袋が積まれた山をみる。思い出したくもないことを思い出させる象徴として、目を背ける。

■ 黒い袋をまとめ、中身を「減らして=減容」から30年にわたって「仮置き」する中間貯蔵施設の建設も、『計画』の実施が決まって以降は急ピッチで進んでいるという。越智医師の〈レポート〉でも、用地売買をめぐる住民間の対立や苦悩が語られている。

■ しかし、そもそも、それが〈仮〉であるのだと、「本当に」信じているひとは一体どれだけいるのだろうか?すくなくとも、わたしはまったく信じていない。

■ 30年後には搬出する、という建前を崩してしまうと、いま軌道に乗り出したことがすべてめちゃくちゃになってしまうのだから、自治体や役人や政治家が「仮です」と繰り返すしかないことはわかる。「あとのことなんか、おれは知らん」と思っていても、口に出すことなどしない。「信じてませんよね?」と聞いても、絶対に、うん、とは言わない。空手形の空手形ぶりがあまりにも見え透いているからなのか、もうそれを指摘する声も、さほど聞こえてこない。

■ 先送り、先送り、すべては先送り。ただ、まあ、そもそも原子力発電というシステム自体が(主に使い終えた核燃料の始末にかんして)先送りを前提に見切り発車したものなのだから、いまの混乱は、それにふさわしい、必然の有様なのかもしれない。

Nov. 07. 2018  "除染廃棄物 / Nuclear waste""  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "除染廃棄物 / Nuclear waste""  Futaba, Fukushima


車両/廃棄物/運搬

Nov. 07. 2018  "廃棄物輸送  / Nuclear transport"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "廃棄物輸送  / Nuclear transport"  Futaba, Fukushima

■ 『計画』が動き出し、中間貯蔵施設と仮置場の建設が進んだことで、帰還困難区域内を往来する車両---主に工事業者と廃棄物運搬車両---の数も飛躍的に増えているという印象を受けた。以前の入域では、まだ一般車両の通行が禁じられていたこともあって、六号線を通って大熊から双葉町内へ行く途中にすれちがう車両もごく限られていたが、いまや一時的に渋滞をおこすほどの数が、かつての『ゾーン』を走りぬけている

■ 昼日中、環境省のフラッグをつけた『除去土壌等運搬車』が次々に走り去るのを目にしていると、一つの目的にむかってプロジェクトが動き始め、加速しているということ自体の勢い、慣性的な力への抗えなさ、みたいなものを強く感じさせられる。あれほど静かだった道路なのに、いまや線量を気にするふうでもない、物憂い疲れ顔をしたドライバーたちの車が、日常のこととして汚染された土地を行き交っているのだ。

Nov. 07. 2018  "廃棄物輸送  / Nuclear transport"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺) Nov. 07. 2018  "廃棄物輸送  / Nuclear transport"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018 "廃棄物輸送 / Nuclear transport" Futaba, Fukushima

Nov. 07. 2018  "順路、標識 / traffic sign "  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)Nov. 07. 2018  "順路、標識 / traffic sign "  Futaba, Fukushima

Nov. 07. 2018  "ゲート、渋滞 / Traffic jam"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "ゲート、渋滞 / Traffic jam"  Futaba, Fukushima


開かないゲート/見張り/隠さないこと

Nov. 07. 2018  "通行止め、帰還困難区域 /  "difficult-to-return zone (Road blocked)"  Okuma, Fukushima(撮影:東間嶺) Nov. 07. 2018  "通行止め、帰還困難区域 /  "difficult-to-return zone (Road blocked)"  Tomioka, Fukushima(撮影:東間嶺) Nov. 07. 2018 "通行止め、帰還困難区域 / "difficult-to-return zone (Road blocked)" Tomioka, Fukushima

Nov. 07. 2018  "警備員 /  Security guard"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "警備員 /  Security guard"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "警備員 /  Security guard"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018 "警備員 / Security guard" Futaba, Fukushima

■ 日中ずっと人が立ち入るようになったとはいえ、帰還困難区域の要所にはいまもゲートが設けられ、〈検問〉が行われている。『原子力災害現地対策本部』の文字が入ったゼッケンベストを着る警備員がせわしく動いて交通誘導を行い、通行許可証を確認している。ぽつりぽつりと周辺に立てられた【この先 帰還困難区域につき通行止め】の看板は風雨によって色あせ、傷み、封鎖された町と共にあった年月を感じさせる。

■ 柵は柵だし、警備員は警備員、封鎖は封鎖なのだけれど、実質的に人が入らない状態を保ち、誰かがそれを見張っている場合と、単に名簿や申請を確認し、入退域の管理をしているにすぎなくなった場合とでは、その行為が醸す雰囲気はずいぶん異なってくるんじゃないだろうか。立入禁止区域から要立ち入り許可区域へ。防護服からゼッケンベストへ。封鎖された場所の危険性が減退し、人の出入りが活発化すると共に、〈結界〉の不穏さや禍々しさはじょじょに消え去っていく。その変化は、今後、立ち入りの自由化を許可される場所が増えてくれば、さらに、少しずつ進んでいくのだろう。

■ 防犯や不用意に汚染を拡大させないようにする対策は必要としても、立ち入りの緩和自体は、基本的にいいことだとわたしは思う。いまも被曝に対して警戒心の強い人々にとっては狂気の沙汰かもしれないが、長期居住ならともかく、高くても時間あたり数μ程度の空間線量であれば、数時間の立ち入りで生じるリスクは無視できる範囲だ。

■ たとえ行政の狙いが邪なもの---オリンピックを控えるなかでの、事故の幕引きを急ぎたいがために行う演出---だったとしても、どんなかたちであれ外の目が入ることは関心の持続につながるだろうし、前述した廃棄物がらみの不正や隠蔽への抑制にもなる。一律に覆い隠されるよりはるかにまし、だ。

Nov. 07. 2018  "通行止め、帰還困難区域 /  "difficult-to-return zone (Road blocked)"  Okuma, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018 "通行止め、帰還困難区域 /  "difficult-to-return zone (Road blocked)" Futaba, Fukushima


母/故郷/戻らないこと

Nov. 07. 2018  "母 / my mother"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "母 / my mother"  Futaba, Fukushima

■ 墓の掃除を終え、生家と周辺の様子を確認してまわっているとき、母は、もう見飽きた、うんざりさせられる苦行だといった様子で故郷の荒廃を眺めていた。はじめて立ち入りをしたときのショックはすでに薄れていて、日ごろ抱いている国や東電への憤りをさらに強めているようだった。急速に進捗をみせはじめた復旧工事にも、その目的に同意できないことから、苛立っているようだった

「オリンピックだからって外観だけとりつくろっても、意味なんてない。誰も戻らない」

■ 『計画』が予定通りにすすめば、再来年の春には開通した常磐線が再整備後の双葉駅に停まり、周辺の避難指示が解除される。許可申請なしの立ち入りが可能になり、22年の春には(予定された地域への)帰還開始が目指される。だが、避難した母や伯母の友人、親戚たちから、帰る、という話を聞いたことはいままで一度もない。

■ 避難が長引き、自治体として空中分解寸前の町側からすれば、巨額の補助金が出るこの選択以外、自治体再建への現実的な案は無いのだろうが、実際のところ、新たな産業もないまま、新しく建てられるという住宅団地や、あるいは再建した「我が家」へ、どれだけの住民が帰るだろうか?わたしには、いまのままでは、ぴかぴかのゴーストタウンができるイメージしかわかないのだけれども。

Nov. 07. 2018  "新山北広町 / "Shinzan KitaHiro-machi"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "新山北広町 / "Shinzan KitaHiro-machi" Futaba, Fukushima

Nov. 07. 2018  "新山北広町 / "Shinzan KitaHiro-machi"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "新山北広町 / "Shinzan KitaHiro-machi" Futaba, Fukushima

Nov. 07. 2018  "新山北広町 / "Shinzan KitaHiro-machi"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "新山北広町 / "Shinzan KitaHiro-machi" Futaba, Fukushima


ドローン/〈疑似遠足〉

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Nov. 07. 2018  "ドローン / Drone"  Futaba, Fukushima

■ 墓参と現状確認を終え、退域するまぎわ、唐突に、金属的でひどく耳障りな機械音が上空から聞こえてきた。見上げると、かなりの高度からドローンが空撮を行なっている。よく映像などで目にするような、ゆっくりとあたりを旋回する状態ではなく、スピードを出して、町を横切るように飛んでいる。音に気付いてから、十数秒で、それは視界から消えていった。これまでにも何度か、廃棄物の仮置き場などを低空から微速撮影した映像を観たことはあったのだけど、実際に飛行している姿をみるのは、はじめてだった。飛び去るドローンにむかって、望遠でもないレンズであわててシャッターを切るわたしを、若い作業員が不思議そうな顔で眺めていた。

■ 帰京したあと、〈遠足〉と称して、双葉町から避難している家庭の、まだ立ち入りができない年齢の小学生たちにドローン空撮による町の中継を見せるというイベントの報道(原発避難の小学生、立ち入り禁止の故郷へ「疑似遠足」(2018/11/26 朝日新聞))を目にした。もしかして、あれはテスト飛行だったのだろうか。

■ 『計画』によって交通アクセスが整備され、立ち入りの自由化が進めば、ああした企画も過去のものになっていくんだろうか?(多分、いくだろう)。そのときには、〈遠足〉に参加していた小学生も、立ち入れる年齢になる。あの子たちは実際の町をみて、いったいなにを思うんだろうか?


またの日はいつか

Nov. 07. 2018  "順路、標識 / traffic sign "  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018 "順路、標識 / traffic sign"  Futaba, Fukushima

■  4度目の墓参から帰京して一ヶ月半ほど経ち、まもなく2018年も終わる。はじめて立ち入りをした4年前の暮れには、舩橋淳が監督したフタバから遠く離れて 第二部』の公開がされていて、わたしもレビュー書いた。以下はその一部だ。


◆ 船橋監督は、現在も撮影を継続しているのだという。今後も、双葉町民に寄り添いたいという。三作目をいつ、どのような形で〔完成〕にする/できるのかなんてまったく予測もつかないことだが、確実なのは、ここから先の年月に被災者へ接する映像は、結果として、天変地異を切っ掛けにした未曾有の原子力災害を日本社会が、というかわたしたちが、いかに消化(忘却)するのか、その過程を映し出すものになる、ということだ。


◆ 切羽詰まった電力会社と地元の悲鳴によって各地の発電所が再稼働され、震災からの〔復興〕を高らかに宣言するのだという東京での五輪が近づく時間の中、双葉群内全体では、(おそらくは見直された線量基準で)再編された避難区域に戻る住民、戻らない住民の意思が次第次第と明確になるだろう。収束作業の段階が変わり、中間貯蔵施設が稼働し始めると、「最終処分場も双葉郡に」という声が急激に大きくなるだろう。再び召喚された〔金目〕の話が、さらに再び人々を引き裂くだろう。

◆ 連続し、迫られる決断の一つ一つに〔正義〕が存在するのか、しないのか?するべきなのか?問うこと、あるいは問いを放棄するという選択の如何によって、わたしたち個々の倫理が露わになるのだ。



■ 2014年の段階では、4年程度のうちにここまで〈計画〉が進行するとは予想していなかったが、世相や行政の動き自体は思ったとおりに推移している。国や県の意図は明確で、オリンピックの前年、常磐線と共に新しく整備される双葉ICから海の方向へ、『復興シンボル軸』と名付けた道路を整備し、開催の年に完成する『復興祈念公園』と『アーカイブ拠点施設』につながるそこを、被災者から選ばれた聖火ランナーが走って「一丁上がり」というわけだ(日程以外、実際に行われるリレーの詳細はまだ発表されていないし、実際どうなるのかは分からないが、いかにもありそうな話じゃないだろうか)。 

■ オリンピックとアンダーコントロール。【状況は、統御されています】。『Discover Tomorrow 未来(あした)をつかもう』。虚勢と大見得。失笑もののスローガン。体裁の取り繕いに全力をあげる行政の姿勢は、少なくない数の元住民たち---母や伯母たちもそうだ---から顰蹙や反感を買っている。「避難者を消し去ろうとしている」という反原発派の言いざまは極端すぎるけれど、「一丁上がり」にされることへの嫌悪感は誰しもがもっている。震災のとき役場へ勤めていて、現町長とも旧知の親戚でさえ、「うわべだけだ」として、諸手を挙げて賛成することはない。

■ 国や県の事業によって町を再建するからといって、「一丁上がり」ですまされること、忘却されることを受け入れているわけではない。こうなってしまった以上、もう、最後まで原発を抱きしめていくしかないのは理解しているが、〈当然〉のように押し付けられるあれこれに対して、憤っていないわけではない。

■ 次に親族で立ち入りをするのがいつになるのか、まだ、はっきりとは決まってはいない。とりあえず、として来年に常磐線の開通が予定通り行われたら、個人的に在来線で東京から双葉まで北上して、あたりを歩いてみたいとは思っている。除染と再整備によってまちがいなく進んでいるだろう町の皮相な変化を確認するために。オリンピックごときで「一丁上がり」になるはずもない未曾有の出来事の経緯を追うために。

■ わたしはそれを、喜び、あるいは怒りとして報告/告発するのではなく、嘆き、嘆息し、目を背けて記憶から閉め出すのでもなく、静かに、ただただ執拗に見つめ続ける行為、の語りとして行いたいと思う。

■ それが、行政の人間でも避難させられた住民でもない、けれどもあの場所に浅くはない縁のある、そしてなにかしら表現をしている美術家であるわたしの、「できること」だと思っている。


Nov. 07. 2018  "新山北広町 / "Shinzan KitaHiro-machi"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "新山北広町 / "Shinzan KitaHiro-machi"  Futaba, Fukushima


(了)