声高な自己主張をせず、流行に目配せするわけでもないが、記憶のなかで長く輝きを放つ作品というのは確かに存在する。そのような作品に出会うと、寡黙さの背後にある輝きの秘密を探りたくなる。作品に潜在する、いまだ顕在していない造形の可能性を、過去から未来に到るまで汲み尽くしたくなる。
発表の機会を逃したくない。できるならば作品の展開を一連の系のなかで捉え、どんな些細な変化も余さず観測しておきたい。たとえそれが、作品間の連なりに亀裂をもたらす異質なものであったとしても。
画家・小崎哲太郎の作品が大きく変わった。11月、江古田駅周辺に点在する複数のアートスペースによる合同企画「江古田ユニバース2018」で彼の出品作を見たのだが、会場のひとつ「ホワイエ」に展示された2点の小品は、いずれも大胆な針路変更を告げるものであった(冒頭画像fig.1および下fig.2を参照)。
(fig.2)《犬之性》42×29.7cm
実験、冒険、進化、飛躍。新しい試みというものは、しばしばこうした形容を冠せられ、何か好ましい徴候として歓迎される。だが今回のケースはどうか。少なくとも私は、そのようなありきたりな評価への着地を躊躇してしまった。変化は必ずしも好転を保証しない。そして今回の新作はあまりにも先行きが読めない。ただ、保証を手放し暗黒の未来に赴く限りにおいて作品は真の変容を遂げるのだとすれば、予測可能な期待像から大きく踏み出した今回の新作について書き残しておくことは、なにかしら意味を持つことのように思われる。未来の可能性を汲み尽くしたいという批評の欲望もまた、ふりだしからはじめることになるだろう。
もともと表立った活動の少ない画家である。以前の作品を知りたいという人は、過去に(何故か)参加した「現役美大生の現代美術-Produced by X氏」展(2010年)の参考画像を見てほしい。これまでは、中間色を基調とする非人称的な風景画や茫漠とした地平にたたずむ人物像などを手掛けてきた(人物がコックピットのメカニカルな環境と組み合わされることもあった)。画家としての力量は、限られた色数でつくりだす繊細な色調や絶妙にコントロールされた筆致に確実にあらわれていた。
ちなみに当サイトEn-Sophのロゴとビジュアル・イメージを担当しているのも小崎である。淡く柔らかいブルーの背景色のおかげで、En-Sophの灰汁の強い異種混淆ぶりがさりげなく中和されていると個人的には思う。個性が炸裂するテキストの数々は、皆等しくこの夢想的なブルーを視野に置かれて読まれてきた。白日夢のなかで集合/離散を繰り返す言葉の群れ。
やや脱線したので本筋へ。具体的に新作の内容を見ていきたい。
2点とも画面は縦長。波、あるいは山のように隆起する形態があり、その内部に窓を思わせる幾何学的な色面が嵌め込まれている。色面の嵌め込みによって、画面内の構造は建築的な堅固さを獲得している。奇抜な画面構成もさながら、赤、黄、白、オレンジという原色をメインとした色遣いが目を引く。これは、中間色を基調とする以前の色彩語彙にはほとんど見られなかったものだ。そして、マグマのように沸々と湧き立つ筆触。液状化の予感をはらむ地(グラウンド)。油絵具がほとんど即物的といってよいあらわれ方でその本性を開示しはじめている。
だがそれらにもまして異彩を放つのは、背景に打たれた漢文だ。2点の小品は、一種の詩画軸として捉えるべきなのだろうか?
じつは、異変の兆しは昨年の「江古田ユニバース2017」の出品作からすでにあらわれていた(参考画像)。この前後から小崎は中国の山水画に関心を持ち、画集で見たり油絵で模写したりといったことを繰り返してきたそうだ。描かれた形態を風景の表象とみなすならば、漢文と組み合わされた画面は確かに油絵による山水画といった趣きがある。
漢文の典拠については解説を要する。《東原云》(fig.1)で引用されているのは、清時代の考証学者・戴震(たいしん)(1724-1777)の主著『孟子字義疏證』からの一節である。
「東原云聖人治天下体民之情遂民之欲而王道備」(意訳)「君主のつとめは、天下の情のすべてを実現させ、その欲を遂げさせようとするものである」
戴震は、朱子学を大成した儒学者・朱熹(1130-1200)が重視した理性至上主義を批判し、中国近代哲学の先鋒を切り開いた人物である。いわく、「後儒は理を以って人を殺す」。生存欲を根源とする人間の欲望・欲求を「理」のもとに抑圧する朱子学を告発し、欲望肯定の学説を政治的問題意識に結びつけようとしたのだった。ただし、戴震は単純な欲望肯定論者ではない。村瀬裕也の指摘によると、戴震が厳しく非難したのは「民衆の要求を離れたところに「天理」「公義」などの臆見的理念を立て、そこに唯一の政治目的を設定し、民衆に対しては厳しい禁欲を伴うそれへの自己犠牲的服従を強い、その苦痛を平然と忍べるような政治」であった(村瀬裕也『戴震の哲学 唯物論と道徳的価値』、321頁)。朱子学の唱える「天理」は、君主の欲望の失錯態である「私」=エゴイズムの粉飾化された表現となるときにこそ、戴震の批判の対象となるのだ。
このような思想的背景を踏まえるならば、戴震の文が朱子学に対する複雑な構えから成り立っていることが理解できるだろう。小崎は儒学の多面性に表現の可能性を感じ取り、「民主化の先取りと同時に民主化した社会への批評」を『孟子字義疏證』の一節に見いだしたようである。短い一節のなかに循環する批評意識を直観した意義は、おそらく大きい。
他方、《犬之性》(fig.2)の一節は孟子(前372-前289)と告子(生没年不詳)の対話篇からの引用だ。
「犬之性猶牛之性牛之性猶人之性與」(意訳)「犬の性は牛の性と同じであり、牛の性は人間の性と同じであろうか」
これは、人間の性善説を主張する孟子が告子に突きつけた反問である。孟子の言葉はいわば反語であり、人間と動物の「性」(生得的本性)を同一視する告子に対する批評が込められている。ただし、あくまで画面内に引用された言葉は対話のなかの一部分であるため、ここでは人と動物を原初的な平等性のもとにおく視座が前景化されているように見える。
画家本人によると、狭い人間関係のなかに閉じた戴震の言葉に対し、動物や自然といった人間以外の存在物に開かれた言葉を対置することでバランスを取りたかったのだという。君主/民衆の上下関係を批判的に捉えなおす《東原云》の文と、人と動物の性を高低なき領野において併存させる《犬之性》。2点の小品は対比的にして相補的な関係にあるのだ。ある側面では通底した哲学観を持ちつつ、それぞれ別の様態――コスモスとカオス――を志向していると言い換えてもよい。孟子から朱熹、戴震へとアクロバティックに接続される中国思想の流れは、これらの作品において相互批評性を授けられ、思想の均衡を保ちながら弁証法的に展開されているのである。
では、2点の小品は山水画と中国思想の現代的翻案に終始しているのかと言うと、そうではない。先人の思想を拝借した現代社会批評をコンセプトにしているとも考えにくい(むしろ安易なイデオロギー化は画家の直観によって慎重に避けられているように思える)。絵画の本分は特定の思想を造形にのせて流布することではなく、造形を通じた前言語的な思考を提示することにある。その意味で、新作において要となっているのは画中における文字の扱いだろう。
明朝体フォントをテンプレートとして成型された文字群は、よく見ると筆触や絵具のダマを生々しく残し、かすかに揺動している。それらは「書く」と「描く」のあわいに出現し、意味内容を伝えるばかりが文字のポテンシャルではない、と言わんばかりに、字形そのものが持つ凶暴な美しさを浮き彫りにする。
文字の魔力。中島敦のよく知られた小説に『文字禍』(1942年)という短編がある。文字の霊の研究に没頭したナブ・アヘ・エリバ博士が書物を凝視しているうちに、次のような奇妙な事態を体験する。
「一つの文字を長く見詰めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、どうしても解からなくなって来る。」
いわゆるゲシュタルト崩壊である。小崎の作品における文字群もまた、ナブ・アヘ・エリバ博士が体験したゲシュタルト崩壊の危険を背後に忍ばせてはいるが、意味と形象の完全分離にまでは到らない。文字は、地の色と鮮やかな対比を成しながら、ソリッドにエッジを際立たせ、内なる光を放つ。意味の漏出をせき止める結晶作用がここに認められる。
当の戴震や孟子も想像だにしなかっただろう、漢字のとめ、はね、はらいの一画が刃物にも似た鋭利さをもつことを。明朝体の狂気を、表意をしのぐ字形のわななきを。犬、牛、人が性を挟んで隣り合うことの無根拠性を。文字に別様の生を授けるのは、観念の世界を垂直/水平の両軸に行き来する造形への意志だ。
これらの新作が一過性の変調に過ぎないのか、今後の布石になるのかはまだわからない。だからこそ、対象との適切な距離を見極めながら、長い時間をかけて作品を観測し、作品の生を繋いでいきたいとあらためて思う。
脳の言語野をひらき、既知のフレームを打ち破るような、そんな作品をこそ待つ。
脳の言語野をひらき、既知のフレームを打ち破るような、そんな作品をこそ待つ。
[参考文献]
村瀬裕也『戴震の哲学 唯物論と道徳的価値』日中出版、1984年