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Nov. 07. 2018  "解体作業 / Demolition work"  Futaba, Fukushima

屋の解体現場は、SNSに上げないでください…その写真を他の人が見ることで『裏切った』などと言われることもあるんです。

首からぶらさげたEOSを中途半端な位置にかまえたまま、iPhoneの画面にうつし出されている〈レポート〉の文言を、わたしは、横目で、読みなおしている。眼前には、解体されつつある家屋と小型のクレーン車、それと、まるで〈外〉みたいにふつうの、つまり〈防護服〉ではない作業着を身につけた男たちが、外壁をはがしたり、脚立にのぼったり、足場を組んだりしている。カメラを構えなおし、ファインダーをのぞきこんで、何度かシャッターボタンを押す。さささっと。すばやーく。気付かれないように。ほとんど盗撮する勢いのあれで。ピピッ。カシャッ。前きたときみたいに静かな状況だったなら、誰もがふりむくくらい鋭く周囲に響いた電子音と機械音は、いまはもう、別の、さまざまに騒がしい音にまぎれてしまって、わたしの耳にしか届かない。液晶画面を確認すると、やっぱりというか案の定というか、映っているものは、パッとしない。構図の検討が足りず、ピンの位置も微妙。わたしは、一人で勝手に、アセっている。〈レポート〉の「お願い」を気にして、うしろめたくなっている。べつに違法でも、反倫理的なことをしているわけでもないというのに。ただ単に写真を撮っているだけだというのに。

「すいませんね!お騒がせね、してましてね!車ね、邪魔じゃないですかね?だったらすぐどけますんでね、言ってくださいね」

もう一度だけ、と思ってボディに手をかけた瞬間、現場監督らしき中年男性が唐突にこちらをむいて、大声を出した。息をのんで、わたしは動きをとめる。「はぁ、まぁ」もごもごと口ごもって、視線をそらす。監督としては、単にクレーンの起動音にかき消されまいとしてとった行動、ということにすぎないのだろうけれども、そのタイミングは、ほとんど「撮るな」という牽制のようにしてわたしに届いた。ゆっくりと、わたしは、EOSから手を離した。

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Nov. 07. 2018  "作業員 / Decontamination worker's"  Futaba, Fukushima


再びの入域

Nov. 07. 2018  "通行許可証 / gate pass"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "通行許可証 / gate pass"  Futaba, Fukushima

■ 11月の7日と8日。一泊二日で父や母、伯母夫婦と約一年半ぶりに福島県双葉町へ一時立ち入りし、祖父母の墓参りをした。福島第一原発の事故によって高濃度の放射性物質がふりそそぎ、居住が禁じられたその町は母と伯母が生まれた場所であり、事故当時も多くの親戚や彼女たちの友人が暮らしていた。

■ このシリーズで『結界の内側にて』というレポートを書いた2014年の立ち入りをきっかけに、以後2015年11月、2017年5月と、ほぼ年度に一回は墓参をしてきて、今回はつごう4度目になる。そのたびごとにFBへ簡単な印象を記してきたが、町の状態に大きな変化が無かったため、それ以上のものを書こうとは思わなかった。町の方針---非現実的な帰還の希望だけは示されていたものの、汚染度が高く、人が戻れないままの町は静かに朽ちてゆき、核の廃墟化が進んでいた。

■ しかし、11月に訪れた町は、そんな隔離と沈黙の状態から大きく変化していた。昨年、事故によって無人になった町の今後について、数年後の国際的イベントをにらんで下された重大な政治的決断の影響を、あちこちで目にした。町は、決定的な一歩を踏み出していた。その是非が充分に検討されないまま、再び、つくり直されようとしていた。

■ わたしの中には、それが仕方のない、より少なく悪いことだと思う気持ちと、結局は徒労に終わる、悲惨な偽装工作だと思う気持ちが同時に心情としてある。その二者は互いに溶け合うこと無く、不出来なマーブリングの表面みたいな混じり合いをみせているのだけど、いまはあえて、それを混ぜきって、整理することはしていない。たしか内田樹だったと思うが、「良いとか悪いとか決めつけず、すわり悪いままにして、それについて延々と考え続け、悶々とすべきことが世界にはある」みたいなことをブログで書いていて、なにか妙に納得したことがあるのだけど、気持ちとしては、そうしたものに近い。

■ そんなわけで、このエントリは、現時点でのわたしの、そのようなモヤモヤして混ざりきらない心情を写真と共に記しておく忘備録として書かれる。


家屋の解体現場は、SNSに上げないでください」

Nov. 07. 2018  "解体作業 / Demolition work"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "解体作業 / Demolition work"  Futaba, Fukushima


車が中間貯蔵施設建設予定区域内を通る際、Hさんに注意されたのは、
「家屋の解体現場は、SNSに上げないでください」。
ということでした。
 「田んぼと家の一部を見ただけで、見る人が見れば『ああ、××さんは土地を売ったんだな』ということが分かります。その写真を他の人が見ることで『裏切った』などと言われることもあるんです。…工事現場に以前は『環境省』と書かれた看板もあったのですが、今はほとんど立っていないのも、『この土地が国に買い取られた』ということをなるべく分からないようにするためです」

引用:【越智小枝 双葉町レポート(1):土地を売れない人々】(IEEI 国際環境経済研究所 福島レポートより)
 

■ 話を冒頭に戻そう。わたしが写真を撮ることをためらう理由になった文言が書かれた〈レポート〉とは、上に引いた越智小枝医師によるIEEIへの寄稿のことで、相馬中央病院に務める氏はわたしたちが墓参りに行く少し前、役場の職員が同行した上で、はじめての立ち入り視察を行っていたようだ。

■ 文中で家屋の解体風景を【SNSに上げないでください】という「お願い警告」が発される場所は、汚染された土砂などを含む県内の放射性廃棄物を30年超にわたって保存する、いわゆる中間貯蔵施設が建設される予定地で、祖父母の墓があるところからはすこし距離がある。だが、たとえ予定地から外れた場所であろうと、汚染された家屋を「壊す/壊さない」、土地を「売る/売らない」の判断はもれなくついてまわり、それは同時に、住民間の「帰る/帰らない」という判断や立場の差に直結する。

■ 加えて、去年の夏、前段でも書いた「重大な政治的決断」によって町は新しい地区に再編され、作り直されることになった。「お願い警告」の意味するところから無縁な場所なんて、あの土地にはないのだ。

■ でも、だからといって、【SNSに上げない】のが正しいとは、わたしは思わない。ただでさえ封鎖され、状況がみえにくい特殊な被災地の実相を、狭義の〈当事者〉が望んだからといってさらに覆い隠すようなことは公共性の点からして疑問だし、過度の萎縮は夏前に報じられた除染廃棄物の不法投棄などの違法行為を見逃したり、隠蔽することにもつながりかねない。もちろん傍若無人は許されないが、外部の目を拒むことで生じる歪みの方が、長期的にみれば影響が大きくなるだろう。

Nov. 07. 2018  "解体作業 / Demolition work"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "解体作業 / Demolition work"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "解体作業 / Demolition work"  Futaba, Fukushima


「双葉町・特定復興再生拠点区域復興再生計画」

Nov. 07. 2018  "工事現場 / Road works"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "工事現場 / Road works"  Futaba, Fukushima

■ では、「重大な政治的決断」とは、いったい、なにか?端的にいえば、それは2017年5月に施行された『改正・福島復興再生特別措置法』のことであり、法律を前提にした計画として町が進めている『双葉町・特定復興再生拠点区域復興再生計画』(以下、『計画』)のことだ。下に、町の復興推進課が示している計画書から画像を引用する。

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引用:双葉町 復興推進課発行 『双葉町・特定復興再生拠点区域復興再生計画の概要

■ 行政とか法律の用語にありがちな、一つの名称に単語を詰め込みすぎて早口言葉のようになっている『計画』の概要をかいつまんでいえば、事故による汚染の影響を理由に人の立ち入りや居住を長期に渡って制限した『帰還困難区域』の一部を、特定の条件をクリアしていることを確認した上で、住民が帰還できる場所に再整備---それも、数年以内という短期間に---するというものだ。双葉町以外でも、隣接する大熊町浪江町が同様の計画を発表している。

■ 祖父母と親戚の墓があり、母や伯母の生家も建つ新山根小屋地区は、双葉駅から線路沿いに南へ少し入ったところに所在している。上図の中では『まちなか再生ゾーン』に位置し、『帰還困難区域』の中ではもっとも線量が低い地域ということもあって、東京でオリンピック・パラリンピックが開催される2020年の春には駅周辺の立ち入り自由化が予定されている。

■ 再整備の条件としてもっとも重要なのは、その一帯が現行の基準で居住を許される年間の積算被曝量20mSvを下回っているかどうかにある。20mSv/yという基準についての見解は専門家/非専門家を問わずさまざまにあるだろうが、そもそもメルトダウンした原子炉から数キロ以内の地点で、十年もしないうちに年の積算が20以下になるところが出てくるなんて、避難範囲を決めた時点では、ほとんど誰も予想しなかったんじゃないだろうか(汚染は均一に広がるのではなく、線量のばらつきが大きかったり、目立って低下が見られる場所もあることは早くから言われていたし、以前の入域レポートでわたしも書いたことだけれど)。

■ ある意味では、この「中途半端さ」が、町の人間に選択と迷いを与えているのだ。事故の影響による汚染は、平時からすればきわめて深刻なものではあるが、致命的ではない。暮らそう、と思えば暮らせるという余地がある方が、悩みや対立は深刻になる。

Nov. 07. 2018  "セキュリティ・ゲート / "Security gate"  Futaba, Fukushima(撮影:東間嶺)
Nov. 07. 2018  "セキュリティ・ゲート / "Security gate"  Futaba, Fukushima