---『回花歌』梗概---舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
(『13---"食事会前夜"』より続く)
14--- "明け方の会話"
店の方から微かに音がしたような気がして、いつも起きるより一時間以上も早く私は目を覚ました。
隣ではまだ母が寝ていたので、私は物音をたてぬよう布団からそっと出て、靴を履き、母屋から店に続く戸を少しだけ開けて店をのぞいてみた。店は暗いまま厨房だけに灯りがつけられていて、そこではライヒが麺打ちの台を背もたれに、馬鈴薯の皮を剥きながら、小さく口笛を吹いていた。
私はそっと店に入り、小声でライヒの名前をよぶと彼は驚いた顔をして、「もう起きたの?」と聞いてきた。私はうなずいて厨房に入り、「明日の用意をしているの?」とライヒに尋ね、台所用品の置いてある棚から包丁を取り出し、ライヒと並んで麺打ちの台に背をもたれ、一緒に馬鈴薯の皮を剥きはじめた。
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皮を剥いた後、芽をえぐり取り、ボウルにはった水にくぐらせて汚れを取ったあと、大きな金色の鍋の中にひとつひとつ入れていった。ふたたびライヒは口笛を吹きはじめたけれど、音程を忘れてしまったのか、すぐに吹くのは止めて、しばらくするとおもむろに話しだした。
「知っているとおもうけれど、僕の実家の村は馬鈴薯がたくさん採れるところで、毎年秋になると採れたての馬鈴薯を皮つきのままで煮て食べるのが楽しみなんだ。この街では牛肉麺や麺片を毎日食べるけれど、僕の村では馬鈴薯や人参を細かく刻んで、葱なんかと一緒に加えて炒めたものを麺の上に乗せて食べる。でも、父さんに聞くと、30年以上も前は本当に食べるものがなくて、いつも空腹で死にそうで、食べ物のことばかり考えていたんだって。その頃は今と違って、土地や動物は国のものだったから、食べ物も自由にはならなかったし、学校にも行けなくて、ごくたまにモスクでアラビア語を教えてもらうだけだったらしいよ。」
ライヒの話を聞きながら、私は過去に自分が経験した空腹のなかで、最も辛かったものを思い出し、「ごはんを食べなきゃ死んじゃうものね」とつぶやくように言った。ライヒも「そうだね」と小声で言い、
「でも父さんは、どういう形で死のうとそれは神の思召しだから受け入れるしかないっていつも言うんだ。空腹で死んだとしても、やはりそういうことなんだろうな」と続けて話した。それからほんの少し間をおいた後、ライヒは「まだ僕たちは若いから死ぬことなんてあまり考えないけどさ」
と努めて明るく言った。
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それに対して私は、若くても死んでしまうことはあるだろうと思ったけれど、それは口にはせず、どうでもいい事を矢継ぎ早に話した。ライヒは黙って私の話を聞きながらも一定のペースで馬鈴薯の皮を剥いていた。私が話し終えても、やはり彼は何も言わず黙々と馬鈴薯の皮を剥き、剥き終わるとボウルの水に馬鈴薯をくぐらせてサッと汚れを取る動作を何度か繰り返した。
そして、馬鈴薯が残り2つになったところで「そうだな」と独り言のようにつぶやき、
「仮にいま僕が死んでも、父さんが言うように神の思召しとしてそれを受け入れるしかないのだから、それは良い悪いの問題ではないんだろうな」と言った。そして「死ぬことは怖いけれど、それ自体に善悪はないんだよ」
と力強く言うと、鍋の中にまたひとつ剥きたての馬鈴薯を入れた。
正直、私にはライヒが何を言いたいのかよくわからなかったし、彼の考えを共有するまでには至らなかったけど、それでも彼が死というものを否定的に捉えていないことは理解できた。「でもさ、今だってお腹いっぱい食べられるわけではないよ」と私が言うと、ライヒは「僕は薬草やキノコを売って、たくさん羊の喉肉が食べたいな」と答えて、私に笑いかけた。
馬鈴薯が鍋いっぱいになったので、ライヒはその日の牛肉麺に使うための葱をきざみはじめた。私は厨房を出て、店のテーブルを布巾で丁寧に拭いたりして掃除をはじめた。突然、母屋の戸が開く音がしたので驚いて見ると、兄が目を半分ふせたまま焦った顔で店の中に入ってきた。そして「眠い眠い」とぶつぶつ文句を言い、そのまま店の外へ出て行った。外からは大きな欠伸をする声と水が勢いよく放射されて、コンクリートに打ちつけられる音が聞こえてきた。きっと兄は、朝の空気を吸いながら立ち小便をしているに違いなかった。
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(15へ続く)
(編/構/校:東間 嶺@Hainu_Vele)