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闘争から逃走へ?「勝利-敗北」という構造へのオルタナティブ

今年4月にアート系タブロイド誌の『Va+』が刊行された。特集のテーマは「勝利と芸術生産」。勝利というある種の絶対性を帯びた価値概念と、価値観の多様性を謳うことの多い芸術のめずらしい取り合わせがまず興味を引く。特集の狙いに迫るため、少し長くなるが巻頭言を引用しよう。


「芸術生産を通して、私たちは「勝利」と、逆説としての「敗北」、そして「勝利-敗北」という構造そのものに対して、どのように向き合うことができるだろうか? 当然そこには、勝つか負けるかという二択ではなく、旧来の闘争や衝突から「逃げる」という選択肢もある。あるいは社会の中で身を翻し、現実に起こる日々の苦難に奔走されることなく、自分たちの生活における「よりよく生きる」ことを、「勝利-敗北」の構造そのものから遊離した姿として定義付けることができるかもしれない。では、その遊離した姿とは、一体何であろうか? ライフハック的な営為を経ることで、果たして「勝利-敗北」の構造から逃れることができるのだろうか? 既存の価値基準に自らを委ねることなく、オルタナティヴを探すことで、勝利の意味を実践として書き換えていく可能性はあるのだろうか?」


勝つか負けるかの二者択一から、「闘争」ならぬ「逃走」の可能性も担保したオルタナティヴな第三の道へ。芸術の役割はさしずめ、「勝利-敗北」の構造から離脱する道筋を指し示すことにある、といったところだろうか。このような刺激的なテーマ設定に対し、『Va+』では19本の論考・エッセイ・誌上作品等がそれぞれのアプローチで応えている。個人的には、ヴァーバル・アート・ユニットのTOLTAの作品《ポジティブな呪いのつみき》を用いて「勝利-敗北」の価値観を組み替えていくワークショップの記録(TOLTA+沼下桂子+原田晋)をいちばん楽しく読んだ。そのほか、剣術や演劇といった意外な分野から提示された問題提起の数々(大槻英世、松井周)も興味深い。全体的に「勝利-敗北」の構造をフレキシブルに捉えたテキストが集まっている印象だ。
だが、幾分かの物足りなさも残った。せっかく「勝利」というテーマを掲げているにも関わらず、あっておかしくないはずのスポーツに関する話題が見当たらないのだ。芸術の側からスポーツを、あるいはスポーツの側から芸術を考えるような視座があれば、特集にもう少し膨らみが生まれたのではないか。


スポーツと芸術の歴史的接点

歴史的に振り返って、スポーツと芸術の取り合わせ自体はさしてめずらしいわけではない。英米圏では1970年代からスポーツ美学の分野が注目されはじめ、1970年代末から80年代にかけてはスポーツは芸術か否かを問う「ワーツ-ベスト論争 も起こった。日本においては1930年代の時点ですでに、中井正一がスポーツの美学的研究を「スポーツの美的要素」等のテキストに著している。


スポーツと芸術の出会いは学問の諸領域だけでなく実践の場にも見出される。たとえばかつてオリンピックには「芸術競技」なる種目が存在した。これはオリンピックの創始者クーベルタン男爵が構想したもので、1912年の第5回ストックホルム大会から1948年の第14回ロンドン大会まで計7回実施された。建築・彫刻・絵画・音楽・文学の5分野があり、会期中に行われた審査で順位を決めて金銀銅のメダルも授与したという。ただし芸術競技の実施にあたっては多くの問題点も浮上したようだ。これについては吉田寛の論文「近代オリンピックにおける芸術競技の考察―芸術とスポーツの共存(不)可能性をめぐって」(『美学』第57巻2号(226号))に詳しい。
まとめると、問題点とは次のようなものだ。アスリートたちは若者がほとんどであるのに対し、芸術競技は回を重ねるごとに参加者が高齢化した。大会後に作品を売却するという行為がアマチュア規定に触れて物議を醸したこともあった。そもそも、事実上「プロフェッショナル」である芸術家がアマチュアの大会であるオリンピックに参加するというのも矛盾をきたしている。そして何よりも、芸術作品を点数化し客観的に判定することの不可能性。
興味深い試みではあったものの、結局のところ芸術競技はスポーツと芸術の本質的な差異を浮かび上がらせて終わったかに思える。

スポーツは鉈の一振りにも似た決定的な結果=勝敗をゲームの終わりにもたらす。他方の芸術作品は、「成功-失敗」をめぐる事後的評価を受けることはあっても、勝敗ほどに明暗のはっきりした判定を下されることは通常まずない。勝者と敗者を必ず生み出すスポーツの熾烈なコントラストに比べれば、オルタナティヴと銘打った「逃走」の道を用意する芸術のグラデュアルな在り様は、甘っちょろく軟弱にうつることもあるかもしれない。ルールに依拠するスポーツとコンテクストに依拠する芸術。人生のうちの限定された時期(選手寿命)の中で身体能力や技術を極めるスポーツと、基本的に「引退」のない芸術。競争相手をもつスポーツと、対戦(バトル)なしに単独でも実践される芸術。両者の相違点はいくらでも挙げられる。

だがそれは、見方を変えればスポーツと芸術は他者性において出会うかもしれないということだ。異なるフィールドで活動を展開する2つのジャンルを突き合わせてみれば、それぞれのジャンルが暗黙のうちに前提としてきた価値体系を相対化し再考するきっかけになるのではないか。その意味でも、『Va+』にスポーツに言及するテキストがあってほしかった。


スポーツの内在的原理と例外的状況---川谷茂樹『スポーツ倫理学講義』

スポーツにおける勝利という価値概念を考えるとき、いつも思い出す一冊の本がある。川谷茂樹による『スポーツ倫理学講義』(ナカニシヤ出版、2005年)だ。
同書の中で、川谷は一貫して以下のような主張を掲げる。スポーツの内在的原理に基づくのであれば、勝利こそが競技者が第一義的に追求すべきリアルな価値である。人格が荒廃しようが卑怯であろうが、スポーツの世界では勝利を手にしたものだけが評価される。


「スポーツとは、現実世界から空間的時間的に区切られ、独自のルールに基づいて行なわれる、ある種非日常的な営みです。だからこそ、日常道徳的には認められない行為が、逆にスポーツの内部では称賛されます」(同書33頁)。


スポーツの内在的目的(エトス)を追求するならば、スポーツの論理と日常倫理は相克せざるをえない。これは、行き過ぎた勝利至上主義が批判される昨今の風潮からすれば誤解を招きかねないような主張である。「敗北にも価値はあるのでは?」「結果より内容が大事なときもある」「スポーツの目的は勝利ではなく健やかな人間性を育むことだ」などと、頼りない反論を思わず加えたくなる。
だが、『スポーツ倫理学講義』を読めばよくわかることなのだが、スポーツ哲学/倫理学の立場から提出される川谷の見解は、ちょっとやそっとの批判では切り崩せないほど強固な論理によって哲学的思考の牙城を築き上げている。感情論だけでは覆せない。勝利への飽くなき挑戦と固執は、スポーツというある種異様な「非日常」の世界に生きる者に課せられたひとつの基本姿勢なのである。
では、このような立場に拠って立つとき、第一義的に追求される「勝利」という価値概念からスポーツを解き放つことはやはり不可能なのだろうか? また、スポーツの原理があまりに純粋に追求されたスポーツ哲学/倫理学の危険な領域に対し、芸術がその価値概念を差し挟む余地は果たして残されているだろうか?

スポーツの目的を徹底して「勝利」に置く『スポーツ倫理学講義』だが、他方で次のような興味深い「例外的状況」についての見解も提示している。


「スポーツをあくまでもスポーツ的に超越することも可能でしょう。スポーツの中心には勝負があります。したがって、一つの超え方は勝負に徹底的にこだわるという仕方、いわば求心的超越、スポーツ「への」超越です。もう一つは、勝負そのものを超えて、勝負の彼岸に到達するという仕方、いわば遠心的超越、スポーツ「からの」超越です。」(同書219頁)



"芸術"と勝敗論の彼岸

つまりはこういうことだ。勝敗の決定を中心に置くスポーツの在り方から超え出る道筋は、どこかにありうる。彼岸などという大仰な言い回しで形容されなくとも、勝敗がもはや問題とならなくなるような境地というのはおそらく存在するのだろう。遠心的にスポーツを超越するというのがどういうことなのか同書では詳しく述べられていないが、その境地においてこそ「勝利-敗北」の構造は解体されるのかもしれないし、もしかしたらスポーツと芸術の接点もそうした局面に見いだされるのかもしれない。卓越した個人技、記録よりも記憶に残る演技がスポーツの枠組みを内側から決壊させる瞬間に対し、私たちはときに「芸術的」という評価でもってかろうじて応えようとする。
あるいはこうとも言える。スポーツは例外的な状況において、「芸術的」という評価を暫定的なものとして呼び寄せるのだ、と。勝敗を至上の価値としていたはずの世界観はそこで一挙に転覆する。ここでの「芸術的」という評価が妥当かどうかはまた別の問題として、私たちはシナリオクラッシャーとしてのアスリート/芸術家が「勝利-敗北」の価値体系を超えた、「現実以上の現実」を見せてくれるのをどこかで期待しているのだ。

勝利を追求するだけでは見えない価値の他方に、勝利を追求しなければ見られない価値が存在する。双方の立場はそう遠くかけ離れたところにあるわけではないのかもしれない。
『Va+』から受けた示唆と『スポーツ倫理学講義』の再読を通じ、スポーツと芸術の関係性をこれからもう少し考えてみたいと思った。



(編/構/校:東間 嶺 @Hainu_Vele)