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 月曜社から『仮説的偶然文学論――〈触れ‐合うこと〉の主題系』が、今月発売された。「哲学の扉」という廉価本新シリーズの最初の一冊で、 2000円+税という、内容からすると極めてお求めやすい価格での提供になった。以下、小見出しふくめた詳細な目次を紹介する。



序 偶然を克服/導入せよ? 偶然にご用心 中河与一の偶然文学論 形と意/形式と内容 航海からスケートへ 蝶番としての「飛躍」  偶然文学の限界を吟味する

(第一部 コンタクト)

第一章 偶然性の時代 文壇のなかの中河与一 ベルクソンと行動主義 「純粋小説論」から「可能性の文学」へ 九鬼周造の偶然論

第二章 中河与一『愛恋無限』と日本的伝統 心中もの二つ 第一の円 二重の勝負 第二の円 予定調和の縁から偶然の縁へ 孤島にこもる 近代的国家から伝統的日本へ 要求されるナショナリズム? 超近代と脱近代のあいだ 他者論としての偶然論の条件へ テマティスムについて

第三章 国木田独歩『鎌倉夫人』と主題〈場所性〉  釣り人の三つの教え 太公望の独歩文学 『鎌倉夫人』の太公望 異文化接触の場所としての鎌倉 リゾート化の歴史 三つの「噂」 都市的情報ネットワーク 文学的な数学者 沈黙する文学者

第四章 国木田独歩『号外』と主題〈外部性〉 〈数学/の限界〉の系譜 号外を常に持ち歩く 〈外部性〉の主題 「挙国一致」と戦争ジャーナリズム 驚異願望 哲学を起動するもの 驚く『三四郎』 『青年』の「遭遇」願望  消尽する〈外部性〉

第五章 国木田独歩『第三者』と主題〈感性〉 驚異願望と好奇心 失敗作としての『第三者』 独歩のカント受容 「リミット」哲学の由来 超越主義とは何か? カントを超越する エマソン化するカント 「冷静」という「冷酷」 「知るといふこと」の先取的性格 知ることの限界/を知ること 独歩の実存主義 「内的人間」の成立? 「内的人間」と偶然文学論の限界

第六章 国木田独歩の諸作と主題〈断片性〉 「悉く断片で満足な代物は一個もない」 断片の集合が起こす断片的出会い 一期一会 「其後自分は此男に遇ないのである」 重合する断片と深読みされる全体=運命 相対化される重合 主題系で読む『武蔵野』 中河与一の『運命論者』評 『愛恋無限』再論 セメントとしてのナショナリズム

(第二部 コンテイジョン)

第七章 中河与一の初期小説と主題〈伝染性〉 偶然のフィルタリング 拭えない懐疑心 解釈可能性を拓く 『清めの布と希望』の「無意識」 無意識の運命論 鋭すぎる〈感性〉の逆説 身体の心理学 シュルレアリスムは唯心論的=内容主義的 精神分析は唯物論的=形式主義的 出口なしの処女作 潔癖症(伝染恐怖)小説の系譜 フィルタリングされた〈伝染性〉

第八章 寺田寅彦の確率論 九鬼周造から寺田寅彦へ ポアンカレ「事実の選択」翻訳 ポアンカレ「偶然」翻訳 万物相関の理 微視化 拡散可能性 偶然と日本語 プロバビリティの発想 反復可能な偶然性 モンタージュの芸術論 モンタージュ的映画論 モンタージュ的連句論

第九章 寺田寅彦の風土論 管理される〈触れ‐合い〉 夢と連句 フロイト受容 潜在意識とモンタージュ 潜在性が与える必然性 社会主義思想批判  転向のプリズム 思想の条件としての日本的風土 和辻哲郎『風土』に先行する 日本人にしか理解できない 新興俳句運動批判 詩形の自然淘汰説 乱用される「潜在」概念 憂国の志士? 開放的なナショナリズムの条件 「黴菌」への危機感 〈伝染性〉から〈混合性〉へ

第一〇章 葉山嘉樹文学の住環境と主題〈混合性〉 葉山嘉樹のシュルレアリスム? 仮(借)宿の文学 葉山文学とバラック 塵芥の土台 連帯の希望としての「笊」 震動の共同 半開の葉山文学 住環境のギャップ 体験学習 縁が縁を繋ぎ止める 寄寓の奇遇 「カクテール」の共同体 大人になれば分かる? 漁民の「哲学」

第一一章 葉山嘉樹の寄生虫 「こんぐら」の世界 半人前の文学 宿主と寄生者のフラクタル的反復 寄生虫イメージから寄生虫妄想へ ワイヤーと尻尾 寄食者として生きる 寄食コンプレックス 「永遠」に生きよ

終章 偶然的他者との幅のある出会い方 フィルタリング再論 恋愛と生殖 空しく過ぎていく〈触れ‐合うこと〉の諸相

あとがき

引用文献番号一覧
引用しなかった参考文献一覧
関連作と重要語の索引

 
 昔からの知り合いはご存知のことだろうと思うが、私はある時期からずっと偶然論の周辺をさまよっていた。ブートルー『自然法則の偶然性について』を訳してみたりロールズ『正義論』の偶然性を分析した評論で『群像』から評価されたり東浩紀『弱いつながり』の書評を書いたり、よくもまあ色々やってきたものだ。

 現時点からいえば、すべてはこの本を書くための準備段階だといっても過言ではない。

 だから、良きにしろ悪しきにしろ、本が完成したことによって、これにて一応の決着がついた感がある。いかに評価されるかは当然私の預かり知れぬところであるが、なんであれもう思い残すことはなにもない。否定されても、これが全力なんだから仕方がない。

 次はもっと別の仕事、具体的には、本丸であるところの有島武郎のミリウ論をまとめていきたいと思っている。

 ひとはいずれ死ぬので、誰にとっても時間は有限だ。ノンシャランに生きている私にとっても例外ではない。後悔のないテクストを書きたいものだと思う。

 買っていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。