荒木優太『貧しい出版者』
荒木優太『貧しい出版者』表紙/写真:東間嶺(以下すべて同じ)

この本
は、著者の初めて上梓した書物の増補改訂版である。改定前の初版は小林多喜二と埴谷雄高という二人の作家を扱った、いわば比較文学研究に資するタグイのものであった。二人は明治に生まれ、昭和の時代に作品をのこした。著者は昭和の終わりごろ生まれ、有島武郎を研究している。

そこだけを切り取って眺めれば、増補改訂のみならず改題までされたこの新しい版も、確かに、文学研究者の書いた一冊の文献のごとくに映るだろう。確かにそれはそうなのだ。じっさい、日本文学史の中にあって二人はきわめて独創的、いや、独創的というよりは特異な存在の二人である(読めばそのことがすぐにわかるように、この本の中にも書いてあり、そういった形で二人は登場している。それは正攻法だ)。

だが、『貧しい出版者』はそこに留まらない。留まらず、その起源を志向し、彼方へ赴く。

このことは本書の性質に由来する。『貧しい出版者』は、じつは荒木の単著デビュー作の単なる増補改訂版ではなかった。それはほとんど全く、別の本に生まれ変わっているのだ。別の本を書いたのではなく、文字通り生まれ変わった、そのことが、読者に驚きをもたらすような仕方でそうなっているのだ。

どういうことか?

序文の冒頭で著者は言う、「人はつながりをもとめる」と。

だが、この問いは問う必要のない問いである。そうあしらわれるだろうか。「そんなこと、考えてみるまでもないことだ。人というのはそういう生き物なのだから。生きていることが、そうさせるのだ。あなた、そうでしょう?」そういった声が聞こえてくる。だが、と著者は言う。「それならばなぜ、そのつながりを絶ちきってしまうような振る舞いを、つながりを求めたとうのその本人がやめぬのか」と。それでも、それなのに、人はつながりを求めるのだ。そうして著者はそこにある様態の問いへとわけ入っていく。「それはどのようなものであるか」。強いのか、弱いのか、きついのか、ゆるいのか、暖かいのか、冷たいのか。大きさは、長さは。一体、この不思議な「つながり」とは何なのだ。

序文「つながり一元論」は今回新たに書き下ろした、と著者は言っている。かつてこの本が増補される前に、それは書かれていなかったのだ、と。たとえそうだったとしても、そこには未だ書かれざるこの序文が非起源としてこだまする。それは具体的な形をとることなく存在し、この本を書かせた。そして本書の第一部がはじまり、小林多喜二と埴谷雄高が登場する。彼らがこの書物の二人の主人公である。実に謎めいた仕方だ。

この、第一部がおおむね荒木のデビュー作『小林多喜二と埴谷雄高』に対応する。読者はこの第一部、気合を入れて、集中して読むべし。具体例をもとにテクストを紐解き、現実世界を参照して、論理的整合性を損なわぬよう注意して注意して、比較研究に細心の心配りがしてある。研究書を読む醍醐味だ。

とはいえ著者は、常に飽きさせぬよう随所に工夫を凝らし、読みやすさにも配慮しているので、尻込みは無用だ。それは二人の作家をめぐる政治と文学の交差した物語であり、二人の死をもって未完に潰えた生の冒険の記憶である。

『貧しい出版者』読書会---『路地と人』にて
2018/1/27日、水道橋の『路地と人』で、『貧しい出版者』刊行記念読書会が行われた。

著者の荒木がこれを自費で出版した時、ひょんなことからわたしはそれを手に入れ、読んだ。そして著者への長い手紙という体裁で、感想めいたものを書いた。著者からは返信をいただいた。わたしは疑問に残ったことを問いただし、著者はそれに応答した。人間嫌いを公言する著者荒木の奇妙に義理堅い立ち居振る舞いを感じた。著者にとってはあるべくしてある、といった感じなのだろう。肩肘の貼ったような、穏やかなような、そんな不思議な応答が少し続き、それはふいに途絶えた。

彼ら二人はどうしてあのようなものを書いて、あんなふうな生き方をしたのか? ということを書いているが、著者はそれをなぜ関係づけるのか、ということを問うものであった。やや遠回りではあった。

が、一足とびに対象の眼の前へたどり着いたところで、つかまえられるのは銅像のように動かぬ本人の似姿だけだ、という思いがあった。

荒木さんは「文学にあらわれるのは人ではない。それはテクストだ」ということを、表現している(荒木さん、というのはわたしの前にいる時の、彼の呼び名だ)。

月日は経過し、著者はこの本を新たにするという。なんと。この本は色々な点で記念すべき本である。


が、まず第一に著者にとってそうなのだ。なぜか? 荒木は以前、自費で出したこの本について、初版本あとがきに、以下のような文言を書いていた。


私のごとくどこの大学にも所属しない、一介の在野研究者の書いたこのような高い専門性と狭い文脈の共有を前提とする文学研究の本は、誰にも読まれることなく捨て置かれることになるだろう。そうか。ならばわたしは、この本を未来の読者に託そうではないか。未来の読書たちよ!いま、読んでくれる人がいないのなら、それはあなたがたが読む、ということに他ならないのだ。


読者の中には、こんな感慨を抱く人もいるだろう。

本を自分で出版するということだけではなくとも、大したことをする人だ。思いついて、それを実行に移すというのは、いろいろ困難がつきまとうもので、誰にでもできることではない。どんな人にでもそれは思い当たるところがあるのではないか。たとえ小さく、取るにたらぬことであっても、思いがけぬことが障害となって眼の前をふさぎ、あわやというところで人はその意思を投げ出す。そうして初心に報いることなく諦めてしまうものだ。そして振り返り、あろうことかそのことの思い出に浸りさえするのだ。

しかしこの著者は思いついて、考えあぐね、金を貯め、決断し、そして実行に移した。


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読書会当日。日経に掲載された書評を紹介する著者、荒木。

なぜこのような日常生活に当たり前と思えるようなことを書くのか。それは他でもないこの著書の登場人物二人が、そういった世界に生きているからである。たとえ激烈な人生のように見えたとしても、そうなのだ。そのこと自体も、この本との大きな関わりがあるのだ。

どういうことか。

上に書いた「私の生きてるうちは、読まれない。だから未来の読者に向けて書くのだ」と著者は言った、とわたしの書いた文言は、希望と絶望の綯い交ぜになった、著者の実存的な問題であるのだろう。胸を打つ切実さが鳴り響いてくる。がしかし、そうはならなかった。読まれることなく捨て置かれる、荒木がそう思った『小林多喜二と埴谷雄高』は増補改訂し、『貧しい出版者』となって、手に取られる。それは綯い交ぜになった希望と絶望の、絶望だけが否定されることを意味する。とするなら読者はその理由を知りたくなるものではないか。その顛末を追いかけたくなるではないか。

この本の第三部「自費出版録」を読むことで、読者はそれを追体験する。その過程が開陳されるからである。どこの大学にも所属しない一介の在野研究者の書いた比較文学の研究書は、どんな風にしてどんなところにどんな形でどこに届いたのか、そのこと自身が当のこの本の中に書き込まれているのだ。それはあるところでは引き続き文学の話でもあるし、それを取り巻く社会のことでもあるし、そうなると必然的に地位や名誉やプライドが房のごとくもたげてきて、つまるところカネの話になる。

小林多喜二と埴谷雄高の二人は、お互いにそれぞれのやり方で生き、創り、そうしてどちらもその死をもって実践は貫徹されずに終わった。著者は今まで書き溜めた二人についての研究を、ほとんどあらたに書き直し、一冊の本とした(第一部)。それに関連する小論もいくつか書いた(第二部)。ではその研究の成果はどのように日の目をみたのか(第三部)。というそういう構成になっているのだ。野心的な章立てである。

初版は第一部で終わるので、ある意味、著者は登場しない。『貧しい出版者』では他ならぬ荒木が、いわばそれを描こうとする第三の人物(研究者)となってこの冒険譚の一翼を担う。どうして大学に所属しない道を選んだか。どうして結局自費で一冊の書物を出版するに至ったか。著者は語りはじめるのだ。


第三部「自費出版録」はこの本を上梓するずっと前の時代をふと回想するところから始まる。それは荒木の大学院生時代だ。

彼はすでに、文学を研究していた。その当時、よく言われた。「好きなことを調べるような研究者としての道を進みたいのなら、お前は教師になるしかない」。しかし、と若き荒木は思案する。この二つは結びつかないのではないか。文学を愛することと、ものを教えることとは。少なくとも、自分の中では、そのようだ。俺は、他人にものを教える仕事が好きではない。だが敵は言う、「わかるよ」。そうして続ける。「でもね、皆そうやってその道を歩んできたのだよ。そうするしかないのだ」。なかなか説得力のある物言いだ。だが……


著者は書く、「俺はそのような「しかない」は認めない」。荒木の決意だ。「認めないし、求めもしない」。それはこの本を書くよりもずっとずっと前に抱いたのであった。お前はそうするがよい。あなたがたは、どうぞそうなさって下さい。それは、自由な選択でしょう。それはあなたたちの問題で、これは俺の問題だ、と。自由な選択が尊重されるべきなのだ。そして、俺はその選択を採らない。

このあと色々な場面で、多くの場合良かれと思って著者は言われる。「こうでなければならない」「ああした方がいい」「そんなことはしない方がいい」……一旦は飲み込んでみる。「そうかな?そうかもしれないな」といったぐあいに。だがふと思いなおす、「そうだろうか」。だけでなく、実際に口にまでする。そして、書くのだ。繰り返すが、荒木が本を書くずっと前のことであった。『貧しい出版者』前夜だ。

男は研究をウェブ上で発表しはじめ、一定の分量に至ったところでそれを本にしよう、と思いたつ。無料で配ることはしなかった。しかし既存のやり方を踏襲した高価な研究書の体裁もとらない。文庫本で、誰にでも少し節約すれば買える値段にした。これはカネの話だろうか。著者はそれを「オルタナティブ」とか「紙と電子のあいだの無限のグラデーション」といった蠱惑的な表現で提案している。「こういうやり方があってもいいんじゃないか」と思ったのだ、と。

どうやらこの男は書物の出版を、既存の価値観に対するささやかな抵抗の手段として用いているようである。それは他でもない小林多喜二のとったやり方だった。そんなことになっているなんて、気がつかなかった、知らず知らずのうちに、確かにそうなっていたのだ、著者はそう言いたげである。

この本を届けよう。だがどうやって。荒木は試行錯誤した。「あの男が生きていたら、どうするだろうか」。その結果は……。

第一部の硬派な研究のあとに読むこの第三部はとくに楽しい。読者に勇気を持たせ、安心を抱かせる。それは、こういうことができるのだ、という勇気であり、こういうことをやったってかまわないのだ、という安心である。前段でわたしは「二人の作家の政治と文学の冒険」と言ったが、この部はいうなれば著者自身の研究者としての冒険である。惜しむらくはこの本を出すに至った顛末が、自費出版が商業出版に、ブログが本に、といった顛末のようなものがもっともっと詳しく描かれていたら、この第三部はさらに興味を引き立てるものになっただろう。

紙の本にこのようなものを載せる、ということが、そうさせたことだろうし、この後も著者荒木のこの方面での活躍は続いていく(動画配信で色んな論文の面白みを紹介するシリーズなど、その好例だ。そのシリーズについて書いた小論――本書には未収録だが――もワクワク感がある)。しかしこのままでも大いにイキイキしている。著者の筆には躍動感が漲る。

一方で、第二部には一部に関連するいくつかの小論が補論といった趣きで収録してあるが、長距離を走った後の息抜きとして読むにはその内容が引き続き専門的すぎるし、埋め草的な感じがしないでもない(しかし文体の躍動感はそのままに、個々の論文はそれぞれにおもしろく、著者の問題意識は一部と通底している)。一部と三部をまずは読み、しばし休憩し、第二部の気になるところをあとからツマミ読みしても良いだろう。

本書末尾を飾る「自費出版本をAmazon で69 冊売ってみた」ではおもに、自費で出版するにはいくらカネがかかり、どんな経路でいくらくらい売れて、著者の手元にはいくらのカネが入ったのか、著者にどんな変化が訪れたか、という記録を追いかける。するとあるものが浮かび上がってくる。「つながり」である。ここで序文「つながり一元論」に、大きな弧を描くような形で循環してかえっていき、再び「つながりとは何か」と問うのだ。その姿は見えたか。このようになる前と、それは変わったか、変わらないか。

『貧しい出版者』は、全体的にこんな感じの本だった。

文体は躍動しているが、知性は捨てない。肉体と頭脳の両方を刺激する。まるで音楽を聴くように、本を開いてテクストを読めばいいのだ、と誘うようである。音楽?その音楽とは例えばtricot であり、例えばmass of the fermenting dregs (今年、復活した!)だ。そこにチャットモンチーを代入したってかまわない。これらのバンドを聴くものは多い。是非ともそれに倣おうではないか。彼女らは聴く者を自らの世界へと投げ込むが、知性を手放さない。技術的水準の高い音楽の知性が根底にははっきり刻印されている。彼女らの生み出す音楽は躍動する。だが、同時に知性的である。例えば本書をそのように読もうではないか。著者が希望を託した未来の読者とは、この書物を手に取った者である。

まだ、著者は考え、書く途上にあるのだ。今もそうなのだ。彼はこれからも書く歓びを謳歌し、その自由を讃える。
当世風の物言いではあるが、あなたの隣にも芸術家や哲学者がいる。荒木はそう言う。

おわり


*【寄稿者】*

三上良太(作曲家)

作曲を川島素晴氏に師事。2002年、internationale Ferienkurse für Neue Musik Darmstadt Stipendienpreis(2002年)。ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著『ミュージック「現代音楽を作った作曲家たち」』(フィルムアート社)にて編集協力及び訳注執筆(2015年)。『アラザル』誌に「《メタスタシス》前夜:クセナキスの習作時代」掲載、ほか。 


(編集/構成/写真:東間 嶺@Hainu_Vele)