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オタイメサのゲートで、米国入国審査を待つ車の列(以下、撮影はすべて筆者)


"はじめに"


米国の自宅からメキシコの職場への「越境」通勤も、2カ月になろうとしている。私はかつてメキシコシティやそれ以外のメキシコの都市に住んだことがあり、メキシコだからといって、特にびっくりするようなことはない。でも毎日国境を越える暮らしは初めてで、人間の都合で荒野に設定された「線」が人間の生活に大きく影響することを実感している。

メキシコへ自家用車で入国する場合、事実上審査はなく、パスポートを見せることもない。でも米国への入国は書類の審査があり、場合によっては車内やトランクの検査があり、相応の時間がかかる。タイミングが悪いと2時間近く待つことになると聞いていたが、実際その通りだった。そしてこれも予想していたけど、長い列を作って入国審査の順番を待つ車のあいだを、たくさんの物売りや物乞いが歩いていた。

2カ月のあいだ、彼らから教えてもらったこともあるように感じている。国境通過時に優先レーンを利用するパスが取れたので、彼らとももう会わなくなるけれど、忘れてしまう前に彼らのことを書いておこうと思った。




"うちの近所の、国境"


日本はすべての国境が海岸線だから、陸の国境のイメージがわかない人も多いかもしれない。米国・メキシコ国境について報道されるのは不法入国者や薬物の密輸団の摘発や、「壁を作る(厳密には作るというより増築だが)」というような話ばかりなので、米国・メキシコ国境は、一般の人がなかなか越えられない壁のようだと感じているかもしれない。


確かに超えるにはそれなりの手続きが必要だけれど、サンディエゴ(米国)・ティフアナ(メキシコ)間の国境は毎日12万台の乗用車、6万3千人の徒歩入国者が通過する。それとは別に、貨物輸送のトラックが6千台通過する。毎月、じゃなくて、毎日、だ。観光や買い物の人もいるけれど、多くは通勤、そして通学だ。アメリカ人もいればメキシコ人もいる。そして、両方の国籍を持つ人もいる。両親がメキシコ人でも、米国内で出生すれば米国籍が取れる。そういう人たちは、特にビザの手続きしなくても、両方の国に住めるし働ける。


サンディエゴ・ティフアナの国境には、2つの入国ゲートがある。車でメキシコ側から米国国境に近づくと、昔の高速道路の料金所のようにたくさんの入国審査ブースが並んでいるが、ティフアナの町の繁華街に近いサンイシドロには24、少し離れたオタイメサには13のブースがあり、朝には米国へ向かう車が、夕方には米国に戻る車が列を作る。どういう理由なのか、待っている車が少なくて5分程度で通過できることもあれば、1時間以上待たされることもある。今までの最長記録は1時間45分だ。国境を越えて帰宅したのは9時半頃で、その日はさすがにくたびれた。


"国境の人たち"


車に乗って入国審査を待つあいだ、たくさんの物売りや物乞いを見ることになる。列になった車は動けないので、逃げようがないのだ。でも止まったままの車のあいだを歩く彼らは、概ね礼儀が正しく、強引なことはしない。

それでも、「貧困」を絵に描いたような彼らの姿を見続けるのは、精神的に消耗する。


物乞いの年寄りや子供にメキシコペソの小銭を渡していたけれど、すぐになくなってしまった。一人や二人じゃなく、そういう人たちが何人もいる。全員に施しをするのは無理だし意味がないのは明白だけれど、それじゃどうすればいいのかと思う。

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サンイシドロのゲートで、みやげ物やおもちゃを売る男

物乞いだけではなく、物を売っている人たちもたくさんいる。売っているのは土産物や食べ物、飲み物、おもちゃなどだ。雑巾を手に、車を掃除しますよ、という人もいる。大道芸というべきなのか、手品師のようにお手玉をして見せる子供や、口に燃料を含んでゴジラのように火を噴く芸をする大人もいる。どういうタイプの燃料を使っているのかわからないが、健康に害があるだろうし、そもそも車の排気ガスで空気が汚れている場所で長時間過ごすのが健康にいい訳がない。

国境の近くの環境は健康に悪いだけじゃなく、危険ですらある。それまで閉まっていた入国審査ブースが開くと、他のブースの列に並んでいた車が殺到することがある。そういう場所を子供や車イスに乗った人がうろうろしているで、危険極まりない。目撃したことはないけれど、対人の事故が起こることもあるだろう。列の割り込みや合流が原因で車同士がぶつかるのも珍しくない。


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オタイメサのゲートで

私は待つのは平気だ。待つのが普通の国に、何年も住んでいた。でも、車のあいだを歩き回る人たちを見ながら何十分も過ごすのは、まるで「踏み絵」みたいだ。

もし仏教の勉強をしていなかったら、それなりにやり過ごせるのかもしれない。でも、車の中で仏教のオーディオブックが慈悲を説くのを聴きながら物乞いたちを眺めていると、目の前の光景にどう対処すればいいのか、わからなくなってしまう。

怖い、ということは決してない。

けれど、周囲の空気が悪いこともあり、車の窓を開ける気にならない。ほかのドライバーたちも同じように感じるのか、窓を閉めたままの車がほとんどだ。閉ざされた車の中から歩き回る人々を眺めるのは、サファリパークで車の中から動物を見るようでもあり、ガラス一枚隔てた向こう側にいる彼らが人間ではないみたいに感じていることすらある。

世の中のいろいろなところで問題になっている「差別」がこういう感覚に根ざしているのは疑う余地がない。だからといってガラスの向こうの彼らと友人同士のようにふるまう偽善も勇気もない。


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オタイメサのゲートで、物売りの販売アイテム



(編/構成/写真補正:東間 嶺 @Hainu_Vele)