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---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

8---"きのこ雲"より続く)

9--- "来客"


朝の開店準備を終えて外に出ると小雨が降っていた。雨の降る日はたいてい客足が良くないが、ラマダンが開始される数週間前は出稼ぎ先から大勢がこの街に戻ってくる。そのため、朝も昼もいつもより客は多いくらいで、結局その日は昼2時半まで食事をとることができなかった。

「昼食は炒飯がいい」と父が母に言った。それを聞いて兄は、冷凍しておいた細切れの羊肉を用意し、中華鍋に油を注いで7個の卵を割りいれ炒り卵を作ると皿に一旦取りだした。そして、空になった中華鍋に再び油を注ぎ、羊肉を解凍しながら炒めて肉の色が変わったところにご飯を投入する。塩を振って少しばかり味を調えたら炒り卵と刻み葱も入れて、中華鍋を何度も返しながら強火で炒める。最後に味の素、塩、胡椒で味を付け、カウンターに並べられた皿に盛りつけた。

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炒飯が完成するとライヒは、牛尾スープを7人分用意した。上から刻み葱と黒胡椒をふりかけている。私と叔母は、父と叔父がすでに着席しているテーブルに炒飯とスープを次々運び、ライヒもレンゲや湯のみを置いてまわった。炒飯を運び終わると叔母は席に着き、私は茎茶を注いでまわった。厨房の片づけを終えて兄と母、ライヒが着席し、最後に私も着席すると、父は神への感謝を述べた。

兄がつくる炒飯は胡椒の香りがとても強く、どういうわけか卵の殻がいつも細かく混ざっている。揶揄するように叔母が「また卵の殻が入っている」と言うと、「美味いだろ」と兄はレンゲいっぱいの炒飯を口の中に放り入れて、大きな音をジャリジャリたてた。叔母は兄を見て一瞬嫌な顔をし、炒飯に混ざっている卵の殻を丁寧に取りのぞきはじめた。叔父は「殻は入っているけど美味いよ」と言い、やはりジャリジャリと音をたてながら食べた。ライヒはその日何度目かの大きなくしゃみをした。母は「きっと風邪をひいたのね」と彼に声をかけ、父は「力をつけるためにたくさん食べなさい」と言った。ライヒは「ありがとうございます」と答え、その言葉尻にまた1つ今度は小さなくしゃみをした。彼が風邪をひいたのは昨夜、大勢の人が店に来たせいで遅くまで眠れなかったからかもしれなかった。

全員が食べ終わるころ、静かに店の戸が開いた。入ってきた2人を見ると、母が驚いた顔で「姉さん、どうしたの」と言いながら席を立った。事前連絡もなく伯母夫婦が突然店に現れたのだ。
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伯母夫婦は街で薬問屋を営んでいた。大きな都市にも店があり、そちらは息子夫婦が経営していた。母と私は暇な時、伯母の店に遊びに行くことがあった。しかし、父と兄はモスクで行われる宗教的な活動時以外は関わりを持たず、ライヒにいたってはそのとき会うのが初めてだった。

母に続いて父や兄、叔父も挨拶をしながら席を立ち、伯父、伯母と握手を交わした。そして、父や母が自分たちの席を譲ろうとしたが伯母夫婦がそれを断ったため、結局私とライヒが席を譲ることになった。私達2人はテーブルの上の皿を急いで下げ、昨夜の客人に出したのと同じ西瓜や向日葵の種を、茎茶と一緒に出した。伯母よりも伯父が私達の店に来るのは大変珍しいことだったから、「きっと大切な話があるに違いない」と思い、これから何が起きるのかを想像して私は胸がワクワクした。

伯父の表情は店に入ってきたときと変わらず、アルカイックスマイルのままだった。彼は私達家族に、ご無沙汰していた無礼について社交辞令的な詫びをすると、この1ヶ月は都市部にある息子夫婦の店を手伝っており、この街には昨日戻ってきたばかりであると言った。そこで一呼吸入れるかのように茎茶を一口すすると、八百屋の店主との会話について話し始めた。

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さっき八百屋へ行ったんですけど、トマトが高かったので「少し負けてよ」って言ったら、店主のフミラフが「来週以降、臨時収入が入るかもしれない、そしたら安くする」って言うんですよ。臨時収入って何かと聞けば、「侵入禁止地帯に新種の薬草が生えていて、それを売って金にする」と。今、その話題で街中持ちきりだって言うんですよ。僕はこの1カ月、街にいなかったでしょ?だから、それはどういうことかって聞いたら、「今週の土曜日に何人かでその薬草を摘みに行くんだ」って彼が教えてくれたんですよ。それで誰が行くのとさらに聞けば、ここのイブライヒくんの名前が出てきたんでね、それは大変だってことでちょっと伺ったんですよ。


ここまで話すと、伯父はアルカイックスマイルのままゲホゲホと咳き込み、茎茶を一気に飲み干した。

父や叔父、兄は緊張した面持ちで黙って聞いていたが、伯父が茎茶を飲みはじめたので、少し緊張が解けたのか、自分たちも種を手にとって食べたり、茶を飲んだりしはじめ、そのうち母は伯母に、「この間、もらったキウイの乾物は美味しかった」と話し、私も「頂いたけれど美味しかった」と言って、叔母もそこに加わった。父と叔父も、出稼ぎ先の上海から明後日この街に戻ってくる叔父の息子のハラブのことを話していて、食事会の日程などについて相談をはじめ、めいめいが伯父の話とはまったく関係の無い話で盛りあがった。ライヒは大きなくしゃみを連発した。

しかし、伯父の大きな咳払いにより、伯父の話が実はまだ終わっていなかったことを全員が察して、一瞬、押し黙り、その話の続きを待った。


さらに聞いたところによれば、モスクが薬草の売買を管理するということでね、おそらくモスクが売買に携わる店を選ぶことになるんだろうと思うんですが、どうですかね、こちらの方からモスク寺に…親戚のよしみじゃあないんですが、薬草を売買する店として、ぜひうちの店を推薦してはくれないですかね。


話しているあいだも、伯父のはりついた笑顔は少しも崩れることはなかった。その笑顔を見ると、私は、心の内を隠すための笑顔もあるのだといつも感心し、自分の身近にいる人たちの笑顔とつい比べてしまうのだった。父や兄、叔父はどちらかというと愛想は無い方だが、心の内を隠すような表情をすることはないし、なによりそれは隠すものが心の内に無いから、そうする必要のないことが明らかだった。

一方、伯父の笑顔は、人間の自然な表情というよりは、なにかの面に近いものであり、一ミリたりとも心の内を明かさない笑顔のように見えた。その笑顔に私はいつも感心させられると同時に、面の下にきっと隠れているだろう、伯父の真実の顔をのぞきたい衝動にかられるのだった。

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(10へ続く)


(編/構/校:東間 嶺@Hainu_Vele)