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毒入りのオレンジは藪の中

 『狂気に生き』(1986/新潮社)は、今や時代劇作家として高名な佐伯泰英が手がけたボクシング・ノンフィクションである。
 つい先日、この本を約20年振りに読了した。約20年前の私は、メキシコで知り合ったあるボクシング関係者からこの本を勧められ、彼のコレクションを一時拝借して読みふけったものだった。久し振りに読みたいと思ったのは、私の興味が、ボクシングそのものよりも、制度や業界の裏側に移っていったという事があるだろう。
 
 この作品は、第一部「パスカル・ペレスへの旅」、第二部「疑惑のタイトルマッチ」の二部構成で書かれており、戦後まだ間もない焼野原の状態であった日本ボクシング界から、メキシコ、アルゼンチン、ベネズエラを経由し、当時週刊文春の記事によって世間を騒がせていたいわゆる『毒入りオレンジ事件』を睥睨する怪作である。

 再読してみて、殆どを忘れていた事、そしてここで提示された問題が現在も未解決である事に気付かされた。
 あらすじを要約すると、大体次のようになるだろうか。

―――
 第一部には、日本が生んだ初のボクシングフライ級世界チャンピオンの白井義男、そして白井義男を倒したアルゼンチンの英雄パスカル・ペレス(彼もまたアルゼンチンが生んだ初の世界チャンピオンだった)について丁寧に取材した成果が描かれており、主に試合の裏側、試合が決まる経緯や契約、事件などが詳細に描かれ、昔日のボクシング界の姿が生き生きと描かれている。
この取材の過程でアドバイスをくれたのが、薬剤師を本業とする老ボクシングトレーナー、西出兵一だ。
 佐伯と西出との縁は、ジュニアフライ級王者だった具志堅用高の七度目となる防衛戦の対戦相手であるリゴベルト・マルカーノ(マルカーノは具志堅が二度目の防衛戦の相手でもある)の取材に端を発している。元々スペインの闘牛を主に扱う写真家であった佐伯は、カメラマンとしてこの試合の取材に参加していたのだが、この試合に帯同した結果ボクシングにのめり込むようになった。そしてそれが本作へと繋がるのだが、第一部も半ばを過ぎた辺りから、西出を軸にして『パスカル・ペレスへの旅』が思わぬ方向へと急展開を見せ始める。
 切っ掛けは、アルゼンチンへの経由地として降り立ったメキシコシティーでの、西出の息子健一の一言だった。
 西出は、週刊文春が報じた毒入りオレンジ事件にX氏として登場する。佐伯は健一に対して西出が日本で大変な状況にある事を告げると、彼は無邪気に「上手くいったのはマルカーノの時ですね」と打ち明けて、さらに別の日に改めて確認すると「だって僕がやったんだもの」と臆面もなく告白する。
 第二部では、この疑惑の真相解明の為に、まず佐伯はアルゼンチンからベネズエラへ飛ぶ。健一の告白を受け、かつて友好をはぐくんだマルカーノに会う為だ。そこで彼は薬物投与があった事を確信したようで、帰国後、精力的に取材を開始する。それは西出のボクシング観や戦争体験を含む長い告白をはじまり、事件発覚後に辞めた元協栄ジムの関係者達や、西出がかつてトレーナーを務めた関光徳(元OBF東洋フェザー級王者。横浜光ボクシングジム初代会長)などの業界関係者にインタビューして裏を取るなど徹底したものだった。
 その結果金平が指揮する「薬物投与はあった」という疑いは益々濃くなっていくものの、「いつ・どこで・誰が」と言った事実関係の詳細は明らかにはならない。ただ、漠然とした疑惑のみが濃厚に残ったまま、金平が週刊文春を名誉棄損で訴えた民事訴訟で、西出の証言を本筋の最後に持ってくるという構成で終わっている。
――

「怪作」と書いたが、それはインタビューに応じた殆ど全ての人間の証言が食い違うという、まるで小説世界のように奇妙な世界観の中で話が進んでいくからだ。
 首謀者とされる金平正紀は事件を否定している(『狂気に生き』の中で金平本人へのインタビューは実現していない)が、事件の発覚を契機に協栄ジムを去った元関係者たちの取材では、全員が薬物投与はあったと証言するものの、誰がどのようにして、という部分で各々証言は食い違っている。西出は関光徳について「彼は人を操るのが得意な人物」と言い、関は西出を「虚言癖のある人物」という(そもそも「サンケイ新聞(本文ママ)」と月刊『正論』誌が【青春とは】というテーマで論文を公募した際に関が佳作入賞したという「青春は一編の詩」と題した投稿論文が実は西出が書いたものだそうで、それを両者が認めている時点でどちらも相当なものだろう)。さらに、健一は無邪気な告白の後は口を閉ざしているし、西出は息子を事件の登場人物として認めようとしない。
 騒動の結果として、協栄ジム会長の金平正紀は疑惑濃厚としてJBCライセンスの無期限取り消し処分を受けている(後にボクシング界にカムバック)。
 事実は判然としないままだ。

 しかし佐伯は、工作があった事の状況証拠としてマルカーノ戦の際に自らが撮った写真を挙げている。
 この写真には、本来あるべきファイトする二人、夢遊病者のようにリングをさまようマルカーノの姿がない。なぜ? と考えると、佐伯もまた口にしていたのだ。西出がマルカーノに用意した葡萄を、薬物を注射していると思われる葡萄を。
 写真を撮ってはいる。しかし、自分でも驚く程撮れていない。この症状は、マルカーノの証言と同様のものと思える。戦ってはいる。しかし、マルカーノは(本人が言うには)いつもの自分ではなかった……。 


深い霧---村田と井岡

 勿論、登場人物の殆ど全てが「嘘吐き」に見えるこの作品において、マルカーノ、そして作品における全てをコントロールできる立場の佐伯が、事実を打ち明けたのかどうかは分からない。西出と関は仲違いしていたものの、佐伯の取材に対して裏で通じて口裏を合わせる位の事をしていてもおかしくはない。
 大体この事件においては、被害者とされる対戦相手は全て外国人(しかも具志堅の対戦者に対する疑惑は年単位の時間が経過している)であり、そしてこのような事件は、深い霧が立ち込める日本ボクシング村で起こった事なのである。
「これが真実だ」などと呼べるものがそう簡単に出てくる筈がない。
 
 さて、私は【ボクシングを打ち倒す者】本編で、選手の移籍や搾取の問題を批判してきた。それらも同じく「深い霧が立ち込めるボクシング村」での出来事であり、それは「一般の価値観や法基準の通用しない辺境での出来事」と言えるだろう。

 以上のような観点から、最近のボクシング界で気になったニュースを2つ取り上げ、それらが孕むさまざまな問題点、闇の部分についての私見を述べておきたい。

 まずWBAミドル級タイトルマッチとして行われた村田諒太vsアッサン・エンダムの二連戦、そして、既に「元」と断らなければならなくなってしまったWBAフライ級王者井岡一翔のタイトル返上をめぐる騒動である。


疑惑判定?---興行に翻弄される選手

 村田とエンダムの再戦は、初戦の判定に対する疑問が噴出した事から決定した。この判定が正当なものだったのかどうか、ここでは、それ自体を特に問題にはしない。ボクシング界においては、微妙な判定は逆に付けておいて再戦を組んでビジネスにしようというのはよくある話だ。結果としてみれば、判定問題が起こった事で、村田vsエンダムというカードは試合内容以上の注目を集める事になった。

 
 異常と思えるのは、村田陣営の帝拳ジム会長本田氏が判定を強く批判した途端、WBA会長のヒルベルト・メンドサも同様に判定を批判し、即座に再戦を義務付ける発表した点だ。
 本来ならば、認定団体会長が協議を経ずして独断で判定結果を否定するなどあり得ない事だろう。ジャッジはWBAが派遣した専門家の筈で、であるならばまずWBAには任命責任がある筈だ。
 これまでの通例では、判定への不満を持つ陣営の抗議が正式に認められた場合、判定が正しかったのかどうか改めて協議される。しかしこの試合ではそういった手続きを抜きにし、WBA会長自ら再戦を即断している。また、協議する必要がない程の明らかな不当判定であったのなら、買収等の調査もされるべきだろう。
 こういった手続きを抜きにして、WBA会長によるいきなりの判定批判、再戦指令は明らかに通常あるべき姿とは異なり、プロモーターへの配慮、いっその事迎合ととられても仕方あるまい。
 更に、独立して運営されなければならない筈の認定団体の有力プロモーターへの迎合も問題ならば、有力プロモーターによる団体に対する圧力もまた同様に問題とされるべきだろう。帝拳の本田会長によって発せられた「二人のジャッジを処分しなければ、指令を受けても再戦に応じるつもりはない※1」という強硬な態度の事だ。

 WBAなどのタイトル認定団体は、興行収入から利益を得ている。公平性を保つ事が求められるのならば、そもそも認定団体とプロモーターのこういった未分離の体制はそれ自体が問題ではあるが、それにしても帝拳ジム本田会長の物言いは度を越しているのではないか。これはある意味で認定団体への恫喝ととられてもおかしくないだろう。日本における村田vsエンダムの二連戦はWBAにとっても大きな収入であっただろうし、日本において支配的な力を持ち、さらにアメリカでも名の知れた帝拳グループの存在は、認定団体においても大きなものだった筈だ。
(※1=SANSPO【WBA、村田戦ジャッジ2人処分か 本田会長「処分なしなら再戦応じない」/BOX】)

 また、試合後のエンダムとトレーナーであるペドロ・ディアスのコメントに大きく相違があるのも気になる点だ。
 エンダムは試合後に、調整失敗とその理由を述べている。


――王座から陥落したエンダムが調整失敗を明かした。村田戦に向けたキャンプ直前の9月に左足首を負傷。合宿地の米フロリダ州マイアミ入りした2日後に40度近い高熱で10日間寝込み、ハリケーン「イルマ」の直撃でジムを使用することもできず「試合のキャンセルも考えた」という。――
(デイリースポーツ:【エンダムが調整不足明かす 9月に足首負傷や40度の高熱も】)

 
 しかし、これは三浦勝男氏のインタビューによるディアストレーナーの「体調は万全だった」という発言とは大いに食い違っている。エンダムのコンディションと、(彼等の本拠地である)フロリダを襲ったハリケーンの影響について、ディアストレーナーのコメントを抜粋してみよう。
 

――「私から言えるのは、アッサンはトレーニングキャンプでいい仕上がりだった。スパーリングも十分こなした。私の評価ではテクニックも上達していたし、試合前のメディカルチェックでも彼はグッドコンディションを強調していた。フィジカル、テクニック、戦術、心理面と村田戦の前のアッサンはエクセレントなコンディションだったと信じている」
 
――「キャンプ中に影響はあったよ。でもそれは言い訳にならない。(トレーニング地を)マイアミからヨーロッパへ移したのは時差がより日本に近いからだった」

(Yahoo! スポーツ【エンダムのペドロ・ディアス・トレーナーが明かす「ノー・マス」の真相】)


 勿論、エンダム、或いはディアストレーナーのコメントが事実とは異なる可能性はある。エンダムは敗戦の言い訳をしただけかもしれない。しかし、第一戦で何度も倒されたエンダムがその度に立ち上がって向かっていったのに対し、第二戦のエンダム陣営の諦めの早さはどうだろう。また、先に述べた第一戦の判定絡みのゴタゴタと併せてみてみると、そこにある「何か」を想像してみたくもなる。
 私がここで想像を逞しくしてしまうのは、何も久しぶりに『狂気に生き』を読んだ後だから、というわけではないだろう。そもそも、ボクシング界はブラックな世界なのだ。
 
 本来、この階級のミドル級チャンピオンはゲンナジー・ゴロフキンなのだ。Wikipediaの「村田諒太」の項目には以下のように記述されている。
 

――2017年3月27日、ファイトニュース・ドットコムは同月18日にダニエル・ジェイコブスがゲンナジー・ゴロフキンとの王座統一戦に敗れWBA世界ミドル級正規王座が空位となったことに伴い、WBA世界ミドル級暫定王者でWBA世界ミドル級1位のハッサン・ヌダム・ヌジカムとWBA世界ミドル級2位の村田との間でWBA世界ミドル級正規王座決定戦を行うと報道した[89]。――

 
 統一戦ならばスーパーチャンピオンのタイトルも正規王者のタイトルも全てゴロフキンのものである筈だ。 認定団体は、承認料欲しさにこのような「スーパーチャンピオン」なる馬鹿げた制度を設け、タイトルの価値を自ら形骸化させ続けている。恥ずかしげもなくこういった事を連発するから返って分かりづらいが、これは何でもありの業界のブラックな運営ぶりを表す例と言えるだろう。最早信じるに値しないのだし、ファンもそれを知って監視の目を光らせておくべきだと思う。 


井岡の"理由"

 さて、次に井岡一翔のタイトル返上、それに纏わる問題点に話を移そう。11月初旬、井岡ジムの会長であり、井岡一翔の実父でもある井岡一法会長による会見が幾つかのスポーツ新聞等で報道された。

 一法会長の言い分を要約すると以下のようになる。
 

  1. 井岡一翔は夫人(谷村奈南さん)との結婚後練習が出来ていない。
  2. 当然試合も出来ない。
  3. 王座も返上せざるを得ない。
  4. やる気があるのならすぐにでもサポートする。
  5. モチベーションがないのなら引退しかない。引退式もやる。


 一つずつ見ていこう。3については、フライ級が空位になった事がWBAの公式サイトで発表されている。問題にしたいのは、残りの1、2、4、5についでである。
 一法会長の会見以降、谷村奈南さんのTwitterには批判の声が相次いだという。1の結果だろう。今でも酷い誹謗中傷の一部を見る事が出来るが、今回の井岡一翔の周辺の騒動を見る限り、頭の悪い批判者が言うように「(谷村奈南さんに)骨抜きにされた」のが本質だとは思えないし、また井岡一翔本人が、ボクシングという危険なスポーツよりも夫人との生活を選んだというのならその決断が批判されるべきではないだろう。
 王座返上については防衛の期限等ある為仕方ないとしても、5の引退については、ジム会長が勝手に「引退しかない」などと言うべきではない。引退は(健康上の理由などない限りは)ボクサー本人が決めるべき事だろう。
 本来、選手個人の権利を考えるのなら、井岡一翔には三つの選択肢がある筈だ。それは一法会長が言うように「井岡ジム復帰」そして「引退」、さらにもう一つ「移籍」である。
 一法会長自身によって明かされているように、「週3、4日は走っている」「ウェイトは絞れている」ならば、モチベーションが全くないという事はない筈だ。また、ボクシングの練習など何処でも出来る。勿論、世界戦に向けてのトレーニングという事ならば、ある程度設備や人材の揃った環境が望ましい事は言うまでもない。しかし、これとて日本全国に幾つもあるだろう。
「モチベーションはある」けれども「井岡ジムに練習に来ない」というのなら、井岡一翔の希望は移籍と捉えるのが普通の見方だろう。
 しかし日本ボクシング界において移籍は未だに一つのタブーとみなされている。選手はジム会長の許しがなければ移籍は出来ず、場合によっては引退に追い込まれる事も少なくない。ここには本編【ボクシングを打ち倒す者】で明らかにしてきたように、選手の権利を蔑ろにするジム会長の行き過ぎた権限があるのだが、詳細は本編(【ボクシングを打ち倒す者】で特に移籍問題について扱っている第五回、第六回)に譲る事として割愛したい。 


疑惑の焦点

 現在確認できる報道だけでは何とも言えないが、私見として、井岡一翔が父のジムを離れたのは、昨年週刊新潮で報じられた脱税疑惑とジム内整骨院での医療費詐欺疑惑が原因なのではないか(井岡ジムの疑惑報道と一翔の移籍希望を結び付けている記事は幾つかある)。
 勿論、これらはまだ疑惑の段階に過ぎないが、一法会長は関係者からはかねてから問題のある人物として見られている。 ここ数年、井岡一翔の防衛戦は大晦日の恒例行事となっていたが、ダークな印象のジムはスポンサーが付きにくく、結果テレビ局から敬遠されるだろう。そして、テレビが付かなければ日本では世界戦の開催は難しい。
 一法会長は、防衛戦ができない理由を息子が練習に来ないためだと非難しているが、事実は逆で、スポンサーが離れ、テレビが及び腰になっている事が根本的な原因なのではないか。
 

昨年「週刊新潮」で報じられた井岡ジムの巨額脱税疑惑
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/09201700/?all=1
こちらはその後同誌で報じられた医療費詐欺疑惑
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/10041700/?all=1

 
 また、井岡ジムは、2013年12月31日大晦日興行において、減量失敗の影響で計量時に意識朦朧の状態へ陥った元WBAミニマム級世界王者宮崎亮を強行出場させている(結果は格下と見られていた相手に3ラウンドTKOで惨敗)。
 勿論、減量失敗については宮崎個人の責任とされる部分は多いにあるだろう。しかし当時の報道や写真を見る限り、場合によってはリング禍にも起こりかねない状況で、検診をクリアしたというのも信じられない程だ。選手の事を考えるのならば宮崎に棄権を促すべきだろう。ここには、興行に穴を空けられないという、プロモーター=興行主としての「ジム」と、選手の権利、利益を重んじるべきマネージャーとしての「ジム」の相反する利害関係が生じさせるパラドクスがある(これについて詳細は本編【ボクシングを打ち倒す者】第二回、第三回、第四回が参考にして欲しい)。
 歳をとればどのような選手でもコンディショニングは難しいものとなる。こういった健康管理の点で、井岡一翔が井岡ジムを見限ったという可能性もあるだろう。

 この二つの事例は【ボクシングを打ち倒す者】ですすんでボクシングの裏側を見ようとしてきた私の邪推なのかもしれないし、約二十年振りに『狂気に生き』を読んでいた同時期の出来事であった事から、その影響もあるかもしれない。
 とは言え、このような「深い霧」は、日本ボクシング界全体に広がっており、その奥には未だ「狂気の世界」が広がっている事だけは頭に留めておいて欲しい。 


生きている"疑惑"---マルカーノの苦悩

 最後に、再び『狂気に生き』の紹介に戻ろう。
 第二部の冒頭で、著者の佐伯は、旧友であり、具志堅のWBAジュニアフライ級に挑んだ経験を持つリゴベルト・マルカーノに会うためにベネズエラを訪ねる。マルカーノは不遇な生活を送っているが、聡い彼は、佐伯が急に訪ねてきた理由を敏感に察知する。具志堅の防衛戦の相手に薬物が投与されていたという疑惑は、当地でも報道されていたし、マルカーノ自身も自分への投与があった事を確信していた(彼はハイメ・リオス戦でも薬物投与されて負けた経験がある)からだ。

 

 この第二部前半でのマルカーノの描写は真に迫っている。彼は不運を呪い、過ぎてしまった時間を呪い、自分はこんなところにいる人間じゃないと自分の現状を呪う。
 これは元ボクサーならば、いや、夢破れた経験のあるものならば誰でも心を打たれるシーンであろう。さらに、薬物を仕込んだ犯人と目される男が、自分が日本の父と慕った西出である事を知り信じられない気持ちでいながらも、しかしそれでも、それを許すつもりで「会いたい」というシーンには心を動かされる。

 「毒入りオレンジ事件」は週刊文春のスクープであるが、この事件に関して本書の功績を上げるとすれば、「マルカーノ戦は白」と思われていたところに、上のようなマルカーノ本人の言葉も含めて、強い疑義を挟み、また新たな証言を得たところにあるだろう。

 さて、本書の刊行、そして「毒入りオレンジ事件」から30年以上が過ぎた。
 あれから日本ボクシング界は何か変わったのだろうか?
 様々な細かい点が変わった事は間違いないだろう。しかし、ジム制度の根本的な仕組みは変わっておらず、そこに手を付けようとする者は誰もいない。
 【ボクシングを打ち倒す者】の本編で、私はジム制度について「プロモーターやマネージャーなどを丸抱えし、プロボクサーの全権を握るジム経営のシステムの事である」と書いた。
 そしてジム会長による業界団体が日本ボクシング協会であり、それに従い、支えながら管理するのが日本ボクシングコミッション(JBC)である。
 日本における記者クラブ体質を思えば、ボクシングの専門誌も中々表立った批判は出来ない。
 こういった体制がずっと変わらない現在においても、30年前と同様にボクシング界の隠蔽体質は相変わらずであり、大手マスコミはボクシング界の根本的な問題を扱う事はなく、またファンはボクシング界の清浄化などには殆ど興味を示さない。
 その中で、(玉石混交で、信用出来ない情報や誤った情報、稚拙な論考が拡散する事も多いが)webメディアには裏情報も扱える自由さがある。これは一抹の希望と言えるだろう。

 村田vsエンダムの二連戦の裏側で何が起こっていたのか?
 井岡一翔引退騒動の裏側で何が起こっているのか?

 これらの裏側が白日の下に晒される日はやってくるのだろうか。

 『狂気に生き』は絶版となって久しい。しかし、Amazonなどで古本を購入する事は可能だ。この「毒入りオレンジ事件」は現在でも真相が明らかになっておらず、最大のスキャンダルとして存在し続けている。ボクシングファンとして知っておくべき事件であり、佐伯の本も読まれ続けるべきものである。「毒入りオレンジ」は今なお存在する。

「新たなるマルカーノ」を生まない為にも、ボクシング界に立ち込める深い霧が、少しでも晴れる事を期待したい。




(編集、校正/東間 嶺@Hainu_Vele)