---『回花歌』梗概---舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
(『5---"信仰と生活"』より続く)
6--- "友達"
「今後、薬草の売買はモスクが管理を行うことになったから、警察につかまる心配はないんだ。どこの店もそうだけど、ラマダン中は牛肉麺を食べにくる客がめっきり少なくなるだろう?牛肉麺屋が流行らなければ、当然、肉屋の売上も落ちる。そこで、いくつかの店が共同で摘んだ薬草を、モスクを通じて売買してもらうことになったんだ。母さん、そんな嫌な顔するなよ。去年なんて、王さん家族がラマダン中に店をたたんで街から出て行ってしまったじゃないか。でも、今年は薬草を売ったお金が入るから心配いらないよ。とりあえず今週末、俺とライヒ、それと馬さん家のラフス、西北麺屋の兄弟が一緒に薬草を摘みに行く。摘んだ薬草はモスクで乾燥させて、いい具合になれば売ってお金にする。」
兄の話を聞きながら、母は口を挟まなかった。一方、父と叔父はラマダン明けに駱駝肉を食べる相談をしており、そこに割って入った叔母は10年ほど前に親戚宅で駱駝肉を食べたと大袈裟に話していた。
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私が食べ終えるころ、ライヒは席を立って隣のテーブルから大きなヤカンを手に取り、それぞれの湯のみに茎茶を注いでまわった。食べ終えた充実感のなかでお茶をすすりながら、私はみんなの話に参加するでもなく、しばらくボンヤリとしていた。隣に座っているライヒも、私と同じようにボンヤリとしていた。
しばらくすると、農業用トラクターが店の前で停車する音がした。そして、私の名前を呼ぶ大きな声が聞こえた。友達のズフラだった。その日の夜、ズフラとモスクへ行くことになっていたのだ。「行ってきます」と家族に言い残し、私は急いで店外へ出た。路肩を見ると、ズフラがトラクターの荷台に腰かけて、笑いながら私にむかって小さく手をふっていた。運転台に座る彼女の弟のウマルは、前を見たまま林檎を齧っていた。私は、ズフラに手をふり返しながらコンクリートでできた小さな階段を駆け下り、トラクターの荷台によじ登って彼女の対面に腰かけた。
背の高い、しかし光の小さな街灯たちが両脇に等間隔で立ち並ぶ夜路の真中を、ダッダッダッダッという大きな音と濁った排気をもくもく立てながらトラクターは進んで行く。ズフラは笑いながらフルーツキャンディーを私に1つくれた。それから彼女は何かを言ったが、トラクターが前進する力強い音に彼女の声はかき消され、私の耳にはっきりと届かなかった。しかし、聞こえないながらも数回うなずくと、ズフラは満足げにトラクターが前進する方向へ顔を向けた。乾いた夜風にズフラの長い髪がなびいていた。
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私はもらったキャンディーを舐めながら、彼女の綺麗な横顔を見つめ、それから彼女と同じようにトラクターが前進する方向を見た。運転しているウマルの左手から、芯だけになった林檎が道路に投げ捨てられた。モスクにつく頃、口の中のキャンディーはすでになくなっていた。しかし、甘い感覚は残されていた。その感覚が全てなくなるまで、私はキャンディーを味わった。
門前にトラクターを停め、私達3人はモスクの脇にある管理棟の1階へ向った。1階には部屋が4つあり、1つは厨房、1つは会議室、残りの2つは教室として使われていた。縦に長く壁を切りとっただけの、戸の無い出入口から教室に入ると、長細い木製の机が2列に3卓ずつ並べられている。奥の壁には黒板がかけられていた。黒板より上の壁には木枠の丸時計がかけられており、右壁には花瓶に生けられた花を柔らかな色彩で描いたポスター、左壁には額縁に入れられた五行六信の書が飾られていた。
私達が教室に入ったときには、すでに他の生徒たちは座っており、1番前と1番後の机しか空いていなかった。私達は1番後の机に3人並んで席についた。本来ならば、授業は毎週土曜日の午後2時から実施されていた。しかし、今週の土曜日はモスクの管理人が、旧教派の集会に参加しなければならず、授業の日時が変更になったのだ。
ズフラは手で口をおさえながら、大きな欠伸をした。それにつられて、私も欠伸をした。ズフラは私に笑いかけながら、「眠いね」と言った。私はうなずいて、「明日の朝も早いの?」と尋ねた。彼女の家は写真屋を営んでいたが、ズフラ自身は親戚が経営する火鍋屋で働いていた。「明日も早番だから朝8時には店に行かなきゃならないんだ」と彼女は答えて、しばらくして「そういえば、サラが結婚するんだって」と言った。
この街の女性は一五歳前後に結婚をするのが普通であり、中学校を卒業してから高校や大学に進学する者は稀だった。それは、政府の役人や大きな商売をしている裕福な家の子くらいのものであった。
私達は二ヶ月前に中学校を卒業したばかりで、いまがまさに結婚適齢期だったけれど、週に一度、こうしてモスクに通い、アラビア語や数学、歴史、戒律などについて、いまだ勉強を続けていた。それは私とズフラが、本当は街のはずれにある民族高校に進学し、できれば都市の大学に進学したいという夢を持っていたからであった。
けれど、私たちはどちらも裕福ではない家に生まれ、その夢は叶いそうにはなかった。
それでもズフラは、最近貯金をはじめたらしく、どうも進学の夢を諦めてはいないようだった。もしかするとズフラは、本当にその夢をかなえるかもしれないと私は思っていた。幸い、ズフラには兄や姉はいない。一方、私には兄がいる。女で、しかも妹である私が男である兄よりも学をつけて進学することは難しかった。
直接、誰かにそうとがめられたわけではなかったが、私が密かに抱く、この願いを私の家族が知れば、遠まわしにでも私をとがめるはずだった。父、母、叔母、叔父、それぞれがどんなことを言うか、すでに聞いた後のように想像することができた。兄は何も言わないかもしれないが、きっと賛成もしないだろう。私が週に一度、モスクでの授業に参加することですら、家族は無駄なこととして見ているのに、進学への夢を言えるわけはなかった。
私達は二ヶ月前に中学校を卒業したばかりで、いまがまさに結婚適齢期だったけれど、週に一度、こうしてモスクに通い、アラビア語や数学、歴史、戒律などについて、いまだ勉強を続けていた。それは私とズフラが、本当は街のはずれにある民族高校に進学し、できれば都市の大学に進学したいという夢を持っていたからであった。
けれど、私たちはどちらも裕福ではない家に生まれ、その夢は叶いそうにはなかった。
それでもズフラは、最近貯金をはじめたらしく、どうも進学の夢を諦めてはいないようだった。もしかするとズフラは、本当にその夢をかなえるかもしれないと私は思っていた。幸い、ズフラには兄や姉はいない。一方、私には兄がいる。女で、しかも妹である私が男である兄よりも学をつけて進学することは難しかった。
直接、誰かにそうとがめられたわけではなかったが、私が密かに抱く、この願いを私の家族が知れば、遠まわしにでも私をとがめるはずだった。父、母、叔母、叔父、それぞれがどんなことを言うか、すでに聞いた後のように想像することができた。兄は何も言わないかもしれないが、きっと賛成もしないだろう。私が週に一度、モスクでの授業に参加することですら、家族は無駄なこととして見ているのに、進学への夢を言えるわけはなかった。
(7へ続く)
(編/構/校:東間 嶺@Hainu_Vele)